体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 12月号№297 を読む 

こんにちは。石田智巳です。

 

11月になってから忙しさが増してきました。

12月に入ったら,なお忙しく走り回ることになるのでしょう。

師走だけに。

今日は,『たのスポ』12月号をめくって考えたことを書きます。

では,どうぞ。

 

『たのスポ』12月号が届いた。

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なんと,特集が「ランニングブームと体育実践」である。

僕は,体育同志会の全国常任委員なので,編集委員会の情報を得ているが,なぜかこの号が届いて,今月号がランニングの特集だということを知った。

時宜が悪い。

 

ランニングに関しては,今ケガからの復帰中だから,僕のランニングに対するナラティヴはかなりネガティブ,というかマイナス思考。

おそらくトレーニングのしすぎで身体が弱っていて,肉離れ,ぎっくり腰になった。

肩こりもある。

 

困るのは,ここまで休んだらもう大丈夫というサインはどこからも出ない。

大丈夫と勝手に判断をして走りはじめたら,また悪くなった。

だとすると,一体いつになったら2ヶ月前のように走れるのかはわからない。

 

もうすぐ奈良マラソンだけど。

と考えると,この号を前向きに読むのがつらい。

 

でもとりあえず読もう。

めくると,玉腰・ガライの名前が出てくる。

愛知班の編集だ。

そして,めくると「かぜ」は成瀬さんだ。

「ランニング文化発展のために」(7頁)。

今は確かにランニングブームで,ランニング文化だ。

 

今のブームとかつてのブームの違い,質的変化について語られる。

①健康にとどまらない,走ることを楽しむ。

②ランナー自身が,練習メニュー,体調管理,レース参加やレース展開などを考える。

③ファッション,グッズなど,ランニング・ライフを楽しもうとしている。

 

僕は,スマホのアプリを含めた,GPS機能のおかげだと思う。

金井技術論じゃないけど,ランニングペースのフィードバックがあるとないとで大違い。

 

「こうした状況をひとことで言えば,『多くの国民がランニング文化と親しく付き合い始めた』と言ってもいいだろう」。

そして,学校体育で走ることに翻る。

「罰でグランド1周」「負けたから走って帰れ」

「などという後景はもう過去の遺物なのだろうか」

 

学校の外で人々がランニング文化と親しく付き合い始めた今,「学校体育におけるランニング指導をどう考えていけばいいのか,ランニング文化を一層発展させていくために学校体育では・・・。」

という編集のねらいが語られる。

 

学校体育における長距離走の指導は,一般的な授業がどうなのかはわからないが,すぐれた実践は沢山あると思う。

これだって,実践記録を並べて系譜を作っていけば,それなりに継承・発展させられてきたということがわかると思う。

 

古くは,亀村五郎さんの『考える体育』(牧書店,1956)に示されたマラソン大会だかに備えて練習する子どもの日記。

呼吸の仕方だったかの研究をして,それを日記に綴っている。

実際に長距離を走るときに意識するのは,呼吸のリズムだ。

 

佐藤裕さんの実践も,デッド・ポイントだとか,セカンド・ウィンドだったか体内に起こる変化を振り返る実践だった。

今では,ペースランニングでイーブンペースで走ることを教えるのが,普通になっている。

 

しかし,未だに,ただ走らせて,記録を採るだけの授業もあるのかもしれない。

特別支援学校に行くと,朝は子どもたちが走っている。

これは体力づくりのためだろうか。

僕が小学校だった1970年代半ばは,体力つくり体育の時代だったから,月曜日の木曜日の朝は,全員で隊形を作ってランニングだった。

そんな後景を今の僕が見たら(僕だけではないかもしれないが),気味が悪いと思うのかもしれない。

 

さて,ランニング文化と体育実践で言えば,僕の考えは,「まったく切りはなして考える」のがいいと思う。

とにかく,体力つくりはやめた方がいいのだが,どっちにしても,授業で子どもは走らなければならないのだ。

だから「将来のために」授業でランニングをやると考えない方がいいと思う。

そんなこと考えなくても,今のランニングブームは起こった。

考えていないからこそ,今のランニングブームになったとも言える。

学校体育でうまくいって,多くの人がさらに走りはじめたら,僕がレースにあたる確率も下がるしね。

 

昨年の3月末に,愛知のスポーツ図書館で,草深(直臣)さんが,ランニングブーム(マラソンブーム)をどう考えるのかという話をした。

これは印象的だった。

その時引き合いに出されたのが,ホノルルマラソンだった。

このマラソンは,1980年代の半ばにJAL日本航空)が協賛して,今はJALホノルルマラソンというそうだ。

そして,3万人の参加者の過半数近くが日本人だという。

つまり,シーズンオフの12月(クリスマスはハイシーズン)に,日本人をハワイに動員するという商業ベースに乗せられているのだ。

しかし,それでもスポーツをしたいという人が増えて,実際に多くの人が走っているそのことを草深さんは言祝ぐ。

 

かつて,フットボールは町のお祭りだったりした。

それが,校庭に入ってきて,遊戯性よりも,競技性を強くしていった。

そこから様々な歪みが出てきたりした。

でもそれは,スポーツの歪みというか,社会の要求でもあったと言える。

 

今のランニングブームは,校庭で行われる学校体育(ランニング)のアンチテーゼなのかもしれない。

だから,もっと遠くへ走りに行くのだろう。

知らないところを走りたくなるのだろう。

 

じゃあ,学校体育はどうすればいいのか?

今まで通りでいいと思います。

10年後や20年後には,全然違うブームが起こっているかもしれないし,やはりランニングだよね,ってなるかもしれない。

そのときに,走っている人は走りながら,「学校では無理矢理走らされたよね。それに引き替え今は自分の意志で走っている」という定型句をつぶやくのだろう。

 

このナラティヴこそが,今走っている自分の実存を確かめるのに必要なのかもしれない。

 

と考えを書いているが,ネガティヴなナラティヴしか出てこない僕は,頭と身体のギャップに悩んでいるわけです。

 

 

 

 

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