体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 4月号(№290) 沼倉実践を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』4月号の沼倉実践を読みます。

この実践は,北海道の沼倉さんが中学校で行ったときの実践です。

実は・・・・だったのです。

では,どうぞ。

 

「たのスポ」4月号は結構充実している。

やはり実践をベースに据えるということは大切だ。

できれば,「たのスポ」には,実践記録がじゃんじゃん載って,その内容や形式がもっと議論の対象になればいいのにと思ったりする。

 

昨日の花田さんの記録は,実践記録的であり,でもやはり「はじめてみようグループ学習」という特集を意識した形式と内容であった。

だからいいたいことは本当によくわかった。

しかし,実践記録的な言葉遣いでないところもあり,もう少し子どもとのやりとりの様子なんかもあったら,なおいいのになあと思ったりする。

これは,花田さんが僕をターゲットにしていないということだ。

 

そういう観点からみると,沼倉さんのは実践記録である。

だから,読者に向かって,グループ学習を始めませんか?こんな風にやってみませんか?とはなっていない。

私が,人の力を借りながら,実践をして,悩んで,なんとか作り上げて,反省して,成果と課題を書いている。

 

だから,そういうモードで読まなければならない。

で,体育同志会の先生なら,この実践記録を読んで,「ああ,あれね」と思っただろう(でもないか?)。

そう,これは,みやぎ大会の中学校分科会の実践提案と同じ中味なのだ。

大会の前にこれを読んで,この実践記録は面白いと思った。

 

「注目の実践」に値すると思ったのだった。

冒頭の「実は,・・・・」は,「実は注目の実践の候補だったんです」。

結果的には選ばれなかったが。

 沼倉さんは,本人も書いているとおり,宮城教育大学の出身である。

そして,矢部さんに教えを請うたと書いてある。

この20頁を読むだけで,今日のこのブログは書き終わることが直感された。

 

さて,実践記録である。

悩みが書かれている。

「器械運動の授業はどうしても得意な子と苦手な子の技能差が広がって,それぞれ別れての個別練習になってしまい,異質集団での学習が上手く仕組めないでいました」(20頁)。

 

それに対して,「ちょうど」大学の先輩の矢部さんに出会って,「俺らが知っていることなら教えてやればいいし,その方が早い。俺らもわからないことを生徒に聞けばいいんだ」というアドバイスをもらう。

この悩んでいたときに,アドバイスがもらえるというのはなんだろうね。

実践記録的には,これは,上手くできすぎているように思えるよね。

でも,そういうものなのだ。

 

そこに矢部さんがいて,沼倉さんの頭が回転して,「班対抗器械運動競技会」のアイディアが浮かんだ(と書いた)のは事実だ。

その意味で,ちょうど矢部さんに出会ってアドバイスをもらったから実践ができて,みやぎ大会で報告して,この4月号に載る運びとなったのだ。

もし,そこで矢部さんに出会っていなかったら,出会っていても矢部さんの言ったことがわからなかったら,沼倉さんは違う実践をしていて,違う実践報告を書いていた。

そして,おそらく「たのスポ」の原稿になっていない。

 

いやいや,そうでなくて別の人にヒントをもらって,同じような実践をやろうとしていたのだと思う。

矢部さんと出会ったのは,まさに啐啄同時というか,啐啄の機という奴だ。

沼倉さんが自分の殻を破るきっかけとなったのは,矢部さんの一言だったのだろう。

が,啐啄同時というのは,子が内側から破ろうとしているまさにそのときに,親が卵の殻を外側から割ろうとするという意味だ。

だから,全然違うことがきっかけになっても,沼倉さんは殻を割ったのだろう。

殻を割ろうともがいていたのだから。

 

それが実践記録になると,えらく単純化されてしまうことになる。

だって,そうやって因果関係にしてしまう方が物語としては収まりがいいし,きっかけが書かれる必要があったから,そういう物語にしたのだろう(勝手なことばっかりいっているが)。

 

ソクラテスは,人間は解法を知っているものを「問題」として意識しないといった。

また,解法がまるでわからないものも「問題」として意識しないという。

問題になるのは,まだ解けていないが時間と手間をかければいずれ解けることが直感されているものだけだといった,と内田樹さんが『日本の反知性主義』(晶文社,2015,31-32頁)のなかでいっていたのを,朝読んだ。

 

沼倉さんの場合もまさにそれだ。

異質協同の学びに困っていた=問題を感じていたということは,まさに「時間と手間をかければいずれ解けることが直感されていた」ということであり,そこにはあときっかけと時間が必要だったということだ。

 

さらなるきっかけが,なんとその年,2012年はロンドンオリンピックだったのだ。

偶然が重なるね。

もうわかると思うけど,偶然じゃないよね。

必然です。

どっちが先かはわからないけど,先にオリンピックの体操競技の採点のことも気になっていたのかもしれないよね。

 

ちょうど矢部さんに会って,ちょうどオリンピックの年で,文化学習をいれてみんなが議論し合うなんて物語としてはやはりできすぎだ。

でも,そういう運命だったんだろうね。

 

この内容は,とても面白いだが,今日はそこには踏み込まない。

ちょっと別な話で締めくくる。

 

宮城の人は日本酒が好きだというが,これはある種の郷土愛だ。

あの酒が旨い。

この酒が旨い。

というが,実は体調や季節や食べ合わせなどで同じものを飲んでも,いつも違うように感じる。

宮城の酒は確かに旨いと思ったものもある。

いつぞや冬に,宮城で復興記念の集会があったときに,矢部さんが飲ませてくれた酒は全くこの世のものとは思えなかった。

 

今回の夏大会にも,いろいろなお酒を用意してくれた。

僕は置いてある酒を全種類飲んだ。

その中で,一番だったのは,「まる田」という酒だった。

どっしりとした重みのあるお酒だった。

それは沼倉さんが持ってきてくれた北海道のお酒だった。

 

また飲みたいです。

奈良の「風の森」もうまいです。

和歌山の「黒牛」のうすにごりもうまいです。

 

*授業の準備があるので,今日はこれで終わり。

 

 

 

 

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