体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の実践研究についての覚え書き6-新たな教材研究の可能性とは1

こんにちは。石田智巳です。

 

いろいろ書いているので,とびとびになっていますが,今日は先日のドル平泳法の成り立ちから,考え方を少し発展させてみたいと思います。

とはいえ,何となくボンヤリとした考えがある程度です。

だから,例によって,「どうなることやら」です。

では,どうぞ。

 

先日は,ドル平泳法がなぜすぐれているのかを,中内敏夫さんの「リアリズム一元論」という考え方から考えてみた。

中内さんの言い方は難しいけど,単純化すれば,水泳という文化と学習する子どもの2つを並べるけれども,2つ並べたままにしない。

 

水泳のもっている技術的な仕組みと成り立ちをふまえた上で,子どもの生活性や論理性に屈折させて再構成した泳ぎがドル平泳法になる。

だから,その泳法には呼吸も,手も,足も,姿勢制御も含まれる。

これは,どの泳法にも含まれるのだが,もっとも単純化した泳法がドル平泳法になる。

 

ところで,みのお大会の一日目の特別講座には,永井さんからドル平誕生秘話が聞けた。

これは素晴らしい機会だった。

新しい発見がいくつかあった。

 

1つは,先日書いたことともかかわるが,永井さんが書いた論文(1962)に,「技術指導おける『水道方式』が成り立ちはしないか」という記述がある。

これは,ドル平ができるのはその1年前だとすれば,この記述はドル平を念頭においていっていたのだろうか。

おそらくそうなのだろうが,しかし,少なくとも「水道方式」を意識して呼吸を中核とする泳ぎを作り出したのではなさそうだ。

これが発見の1つ。

 

もう一つは,中村敏雄さんは,ドル平泳法を近代泳法のアンチテーゼといっていたが,永井さんは初心者指導法であり,基礎泳法であるといった。

そして,ドル平泳法を対象化してみれば(デタッチメントしてみれば),「かっこわるい泳ぎ」であり,この泳ぎを通して,個人メドレーができるようになればいいと言われたことが印象に残っている。

 

体育同志会では,近代スポーツを悪者にする傾向が見られるが,他方,スポーツそのものはみんなを引きつける魅力があるのに、みんなが充分に享受できないそのことを問題とする立場もある。

それは,技術指導の内容や方法の問題であり,指導を含めた組織の民主化の問題であり,スポーツを享受する条件(たとえば場所)を持つことができないといった問題である。

存在の問題なのか,認識の問題なのか。

 

その問題はさておいて,教育学の役割との関係で考えてみたい。

ジルーという批判的教育学の先生がいる。

この人の本の序論には,教育的伝統主義者の教育学,再生産理論などの急進派の教育学とがあるという記述がある。

これらを乗り越えるのがフレイレを源流にもつジルーの立場である。

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すごく単純に言えば,教育的伝統主義者の主張は,進歩主義教育でもいいし,体育同志会的にいえば60年代以降の科学を教える教育学でもいい。

佐藤学さんは,学校で授業を受けるということは,「その参加の仕方を通して,文化的,政治的,経済的,社会的,倫理的な価値を実現したり喪失させられたりする生々しい過程である」と述べた(「パンドラの箱を開く」)。

 

しかし,60年代に科学信仰が強まると,学校は文化的,政治的な価値からは中立的な知識や技能を伝達する場となっていった。

教育内容の脱イデオロギー化が目指された。

しかし,ジルーの言い方をすれば,脱イデオロギーというイデオロギーなのだ。

 

以前,「新しい教育社会学」を概観したときに書いたことだが,70年代になるとそんな単純な図式で描かれる学校というのは否定される。

学校は,フーコー的な権力が作用する場であり,さらに,ウィルスの再生産理論でないが,生徒たちの思考はその階級がもつ固有性が存在し,それが再生産される場として,文化的,政治的,経済的,社会的,倫理的な価値を社会構造と切りはなして考えることの誤りを教えてくれた。

 

ジルーの立場はまだ読んでいないからつかめていないが,教育実践が社会構造に還元されるそのことを乗り越える立場を示してくれるのだろう。

前に書いたように、僕にとってみれば「新しい教育社会学」は,「あきらめの理論」だから。

 

さて,ドル平泳法をつくった人たちの努力に敬意を表した上で,60年代以降の日本の教育,とりわけ各教科の教育が,人間形成的な側面を切りはなして,陶冶に徹しようとしたという問題を考えてみたい。

日本の場合は,そのうち「総中流」という言葉で,60年代になると貧困は見られなくなり(なくなったのではない),70年代半ばになると,どこへ行っても同じような文化的な享受が可能になった。

 

陶冶と訓育の問題を領域概念でとらえようとする人たち,つまり,陶冶は教科,訓育は教科外という単純図式を描く人たちは,むしろ陶冶から科学以外の混ざり物(道徳のような)を取り去りたかったのではないか。

それが,ジルーの言う「教育的伝統主義者」として,知識や技術をクールに身につけることで,一方で,今の社会を進歩させるという進歩主義や,他方で,今の社会を作り替えるという革新主義となっていったのではないか。

 

しかし,ポストモダン的な相対主義は,科学信仰をたたき壊したことを忘れてはならない。

科学,真理,理性,主体,進歩,自由,解放という絶対的と思われていた価値が相対化された。

大きな物語が解体された。

 

さらに,科学の学びはそんなに理想的な結果をもたらしたわけではなかった。

高校全入のように,みんなを高いレベルの教育を受けさせるという理念は,みんなを賢くするという平等な価値観であるものの,その価値がみんなを受験競争に誘うことになってしまった。

本来,競争をする必要がなかった人までも,一元的な競争に駆り立て,限りあるパイを奪い合うゲームに参加することになった。

社会もまた,一元的な価値(もらう賃金の多寡)で,優劣がつけられるようになったりした。

 

科学にしがみつくことで,明るい未来を描こうとするのだが,現実はそうなっていない。

しかし,科学にしがみつくことをやめることもできない。

そうやって,閉塞的な状況になっているのかもしれない。

自分で書いていて,何だかよくわからなくなってきた。

 

そうそう,60年代以降の価値中立的な科学や文化の学びについてである。

このとき,体育同志会では,学び方としてのグループ学習によって,ヒューマニズムという観点からすべての子どもを問題にした。

「教え合い,学び合い」である。

うまい子が苦手な子に教えるだけではなく,苦手な子どももまたうまい子に指摘をすることもできる。

 

しかし,そこで想定されているのは,体育の場合、技術や戦術に関わる内容のやりとりである。

斎藤喜博さんの「ゆさぶり」も,吉本均さんの「矛盾と葛藤」もそうである。

いい教育方法として,あるいは「よい授業」といて定式化される授業構想には子どもがいない。

 

現実には,学校的な価値になじめない子ども,学校的価値に過剰適応している子ども,スポーツが得意で排他的な競争観を身につけている子ども,競争するのが嫌な子ども,変なスポーツ観によって潰された子どもなどがいる。

この現実を見ることなく,教師が学校的な価値を押しつけ,そこに反応する子どもたちで実践が行われるのであれば,それは子どもたちが教師の期待する道徳を身につけた子どもたちのみが教育の対象になる。

 

そこからはみ出た子どもたちは,排除か,またはそういった価値を身につけるべき対象になる。

 そうやって,排除,または学校的価値を身につけさせることの再生産になっていないかどうか。

あるいは,そういういろいろな価値観を背負っている子どもに,クールに「わかる,できる」のみでアプローチすることがどれほど有効なのか。

 

かなりまわりくどくなったのだが,ここまできてようやく「リアリズム一元論」にたどり着いた。

続きはまた。

 

 

 

 

 

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