『一ノ蔵』4月号を読む3 -子どもに寄り添う実践を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日は,これで3回目になるのですが,『一ノ蔵』(宮城支部ニュース)4月号を読みます。
矢部ちえ子さんの記録です。
タイトルが「『子どもに寄り添う』がやっと分かった!!~6年生 3度目の正直~」です。
では,どうぞ。
ちえ子さんに初めて会ったのは,おそらくだが,2005年のことだと思う。
次の年に,前の松島大会を控えて,僕は宮城で佐々木賢太郎さんの話をした。
かなりマニアックな話をした。
その次の日だったかに,実践報告の頭出しのようなことをされたのが,ちえ子さん(と制野さん)だった。
そのときは,大変なクラスであった。
うん?
そういえば,そのときの記録残っているかも。
と思ってみたら,あった。
体育同志会の和歌山支部ニュースに書いていた。
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矢部さんは,「大阪のおばちゃん」とは違う,「東北のおばちゃん」とでもいうのでしょうか。
なんか今,とても失礼な言い方をしているような気がしますが,そんな感じでとても魅力的な話し方をされる方です。
大阪のおばちゃんというのは別に同志会のあの辺の人達のことを指しているわけではないので,これも念のため。
丁度賢太郎さんが「問題を鋭角的にあらわす子ども」を中心に学級づくりをしたような手法を用いた実践を話されました。
賢太郎さんの「かおるの体育」のように,親から「ひいき」と言われてしまうそうですが,話を聞いていると親も変わってきているようです。
これに対しては,「子どもみんなが成長している」ところをどう実感させ,どう見せるのかという課題提示がなされました。
今年の矢部さんのクラスは,算数ができないといってその時間泣いている子ども,跳び箱がとべなければ,足をぶつけたと言ってはとばない子どもなど,そういう学習観なり,スポーツ観なりを持った子どもがいるという報告がありました。
それに対して,久保さんは涼しい話し方で厳しい要求をします。
「そういう観を持っている子どもにどのような文化を持ってきて,どのようにその観を変えようとしたのかが語られていないから,報告は半分しかなされていない。」
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これは厳しい意見だった。
さて,ちえ子さんの報告は,冒頭で5年生から持ち上がった気になる子どもが,卒業式に手紙を書いてきてくれたところからはじまる。
しかし,この子は友達関係が上手くいかず,いつも悩み,6年生になって,ノートでやりとりをすることでようやく吹っ切れた子だった。
この子たちを送り出して,振り返ってみると,6年生を持ったのは3回しかないそうだ。
過去2回の6年生は,ともに上手くいったという実感が持てなかった。
1回目の6年生には強烈なキャラクターの子がいて,「彼の根っこを理解することもせず,かわいがることもできず,彼の苦しみに寄り添えず,散々な1年にしてしまった」。
2回目は,11人の少人数だが,最後までクラス全体の「なにかに縛られて,心を解放していなかった」雰囲気は変わらなかった。
ちえ子さんは,子どもに寄り添うことを学び,大切にしてきたという。
ただし,「子どもに寄り添う」=「優しい先生」=「子どもを怒らない」と,「勘違いしていた」そうだ。
そうはいっても,何かトラブルが起こるとその都度,イライラし,中途半端に怒っていた。
「いうことを聞かない子どもを疎んじていたのだと思う」。
「子どもの本当の生きづらさや切なさや,どうしようもなさに共感できなかったのだと思う」。
僕が言うことではないが,最近読んだ竹内常一さんの本で言えば,「学校的な規範に適応できない子どもに対して,学校的な規範を発動して適応させようとした」ということなのだろうか。
あるいは,子どもたちは,「本音を出し合う中で,古いたてまえを壊して,新しいたてまえを構築していかねばならない」のだが,本音を出させることをしても,そこから彼らが共同で生きていくための,彼らなりのたてまえが作りだせなかったということか。
このあたりのことを語るには,僕は子どものことを知らなさすぎる。
でも,ときどき「一人一人を大切にする」だとか,「誰も彼も平等に扱う」だとか,誰も否定できないまぶしい理想を口にする人に出会う。
その人には,「そのためにどうするのですか?」と問いたくなる。
問わないけど。
ちえ子さんは,その後,3.11を経験する。
そして,「子どもを賢くあたたかい人間に育てること。世の中が分かり,人の痛みが分かる人間にしっかり育てること。そのためには,半端なことをやってはいられないと肝が据わった」という。
それから,「話を聞かない子は本気で怒るし,友達をいじめた子にも『そんなことをしている場合ではない』と本気で訴えた」。
子どもだけでなく,親にも協力をお願いする。
そして,教師も子どもも本気で取り組んでいく。
「子どものことを心から心配すること」。
そうして,ちえ子さんが具体的にしたことが書かれている。
①朝の健康観察で必ずその子を見る。
②語って聞かせる。
③自主勉強ノートで交流する。
④気になる子がいたら,手紙を書いたり,ノートに書いたりする。
⑤子どもたちに照れずに「大好き」という。
言葉で書くと,それだけでは迫力は伝わらないのだが,肝が据わって,本気になったということなのだろう。
そこに,言葉には表れてこない何かがあるのだろうし,それは宮城の人たちが共有しているのかもしれない。
「『くそばばあ』といわれても,笑って『ありがとう』といい,口を曲げながらでも笑顔で『大好き』と言えるのが,プロだと思っている。
次は,『先生と離れがたい』ではなく,『友達と離れがたい』に,そして『自分たちが課題を乗り越える方法をしっかりと身につけさせる』ことだと思っている」。
こういう風に書けるようになったのは,まさに殻を破ったというのか,これまでとは違う新しい自分の物語を生きることができるようになったということだと思う。
この文章そのものが,新たな物語になったということかもしれない。
こちらからは,やはり久保さんが言われたことでもあるし,昨年の中間研究集会でも思ったことだが,運動文化の学習(教科内容との出会わせ方)とのリンクも考えてみてほしいのだが,それは望みすぎか。
ちえ子さんのスタイルを大切にしてほしいし,その物語を大切にしてほしい。
もちろん,物語が大胆に書き換えられることにも期待したいと思います。
追記
4月28日のブログ(一ノ蔵(体育同志会宮城支部ニュース) 4月号を読む )で制野さんに送ったパスの返事が来ました。
これについては,またの機会に紹介したいと思います。
制野さん,ありがとうございました。