高校野球は変わるのか?
こんにちは。石田智巳です。
さて,今日の記事を書こうと思った7月28日は,高校野球の奈良県予選の決勝が行われた日です。
奈良は,智弁学園が優勝しました。
その前日,27日には準決勝2試合が行われました。
このことと関わって,興味深い話を聞きました。
どんな展開になるのかはわかりませんが,記事にしてみたいと思います。
では,どうぞ。
先週の金曜日(7月25日)に,試験監督で一緒になった同僚の先生から,奈良県の大和広陵高校野球部の話をちらっと聞いた。
その先生は,ウォールストリート・ジャーナルを購読しているという。
そのある号に,大和広陵高校の投手のことが特集されてると聞かされた。
「先生は奈良だからご存じですか?」といわれた。
全く知らなかった。
立ち話で聞くところによると,なんでもエースピッチャーが「連投はしない」と宣言しているという。
「先生はどう思われますか?」と聞かれたので,「いいと思います」とだけ答えておいた。
いつものことではあるが,文脈やその学校のことを全く知らないので,ただ「いい」とだけしか答えられなかった。
強豪校でピッチャーがたくさんいるとか,監督に反抗しているのかいないのか,そんな文脈がわからぬまま答えた。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303844704580001373311080954
詳細は,上のURLから読むことができる。
もしかしたら,期限切れになるかもしれないが。
冒頭の案内文で,28日に高校野球奈良県予選の決勝があったと述べた。
当然,敗退の話は,ウォールストリート・ジャーナル(7月16日)には出てこない。
ジャーナルの記事は,主役の立田投手のお父さんの話から始まる。
高校野球の投手として,冬に投げ込みをしているときに,肩を壊してそれ以来マウンドにたてなくなった。
その息子の将太くんは,少年野球で2つのチームを全国優勝に導いた優れた投手である。
高校3年生となった今では,145キロの速球を投げる。
しかし,立田親子は,肩や肘を壊さないように,投球を制限しているのだ。
早い話が連投はしない。
そのため,理解のある高校を選んだら,地元の学校だったというわけだ。
野球の強豪校では,自分の都合で登板を回避することはまずできない。
勝ちを優先すれば,全試合登板もあり得る。
「(野球の)ルールは米国とほぼ同じだが、日本の野球には、規律、チームワーク、服従、厳しい肉体的鍛錬といった社会全体の価値観が反映されている。」
そのほか,坊主頭,お辞儀,週7日,1000本ノック,走り込みや投げ込み。
「一球入魂」で知られる飛田穂洲(とびたすいしゅう)元早稲田大学監督の言葉
「野球選手は苦しんでこそ、その選手生活に意義を生じ、精神の修養も完成される」
野球を「play」と捉えて「enjoy」するなんていう考え方は許されにくく,肉体を鍛えることで精神を修養すると考えられた。
戦時中にも野球をやるロジックが必要だった。
それが今にも受け継がれているということであろう。
野球をやるとは,日本ではそういうことなのだ。
そのため,立田親子の考え方に対しては,プロのスカウトも懐疑的である。
その意味で,立田投手がプロへ行きたいのであれば,そのやり方で結果を残さないといけない。
昨年の選抜高校野球で,済美高校の安楽投手が一人で700球以上投げて,決勝では打ち込まれて敗退したことが大きな事件(?)として取り上げられた。
その直前に行われた,WBC(野球のワールドカップ)では,投手の登板に厳しいルールがあったから余計に異常に映ったのかもしれない。
WBCのルールを確認してみよう。
一人の投手が投げられる球数は,1次リーグは65球まで。2次リーグは80球まで。準決勝以降は95球まで。
そして,連投に関しては,50球以上投げた場合,中4日空ける。30~50球投げた場合,中1日空ける。
それ以下であれば連投は可能。
ただし連投した場合は中1日空けなくてはならないのであって,3連投はできない。
WBCといいながら,基本はアメリカの意向である。
それでも,これを当たり前とする文化と,そうでない日本のような文化とはずいぶん違う。
プロ意識の質に違いがあるということだ。
かつて,日本シリーズで4連勝した「鉄腕」稲尾という投手がいた。
3連敗からの4連勝であった。
また,「権藤,権藤,雨,権藤」といわれた権藤投手もいた。
2人とも大投手ながら,投手生命は短い。
権藤投手は,その後,コーチや監督になって投げ込みや走り込みをさせなかったという。
もしかしたら,ハンカチ王子もそうかもしれない。
無名のままやめていってしまった人もいるだろう。
昨年の3ゼミでは,この問題を含めた高校野球のあり方について調べたグループがあった。
深く考察することはできなかったが,いくつかの取り組みが必要だということでは一致した。
文科省の定める運動部活動の意義には,「体力の向上や健康の増進」とある。
また,日本学生野球憲章にも,「学生野球は、部員の健康を維持増進させる施策を推奨・支援し、スポーツ障害の予防への取り組みを推進する」という文言がある。
しかし,具体的には無策であるといえよう。
空空しさすら感じる。
新聞やネットでの報道を見る限り,元プロ野球の投手だった人は,登板過多も「仕方がない」し,「自分の都合を優先させるな」という意見が多い。
彼らは,そうやって大成して,そしてプロとしても成功した人たちだから。
これは,体罰や暴力が自分を鍛えた,強くしたと答えるのと同じメンタルである。
自分は自分の外側に出て見ることができないし,もしそのやり方が悪いとなると,自分自身を否定してしまうことにも繋がる。
だから,肯定せざるを得ない。
問題は,それ(投げ込み,体罰や暴力)以外の方法でうまくいっている事例が多く出てきて,世間が「そういうものだ」と認識しないと難しいのだろう。
ちょうど,20年前には誰でもどこでもたばこを吸っていたし,会議は煙の生産の場であった。
文句を言う人もそんなにいなかった。
というか,言える雰囲気ではなかった。
誰かが「言うな」という圧力をかけていたというわけではない。
しかし,今となっては,全面禁煙が当たり前となり,たばこを吸うことが害悪のように捉えられるようになった。
そして,それまで黙っていた人も文句を言い始めた。
言える雰囲気ができたということだ。
喫煙者に圧力がかかってきている。
だから,「選手の健康を考えない主張は少数派だ」という世論を形成する必要がある。
他方では,やはり現状を変えるための組織的な判断が必要になる。
26日の新聞には,「熱中症で11人が死亡」という記事が一面に載った。
そこで新聞は当然,注意を促すのであるが,ページをめくると,京都では,準決勝2試合が行われたとある。
翌日は決勝が行われた。
これも問題だと思うけど。
何年か前に,ヘリコプターで大阪(周辺)を飛んで,どこが暑いのかサーモグラフで見ていた。
一番暑かったのは,甲子園球場。
夏は京セラドームでクールにいこう!
まだまだ難しいか。
さて,昨日は,スポーツ庁の設置の話を書いた。
既存の組織では,改革が難しいのであれば,新しい組織に期待したいところである。
冒頭にも述べたが,立田投手の所属する大和広陵高校は,智弁学園に6対11で敗退した。
立田投手は,この試合に先発した。
もし,仮に勝っていたとしたら,翌日が決勝戦であった。
投げたのだろうかどうかは,今となってはわからない。
立田投手には是非プロに行ってほしい気がするが,そこでもまた自分のやり方が通せるのかどうかに不安を覚える。
そもそも,この敗戦がプロ入りにどう影響するのかもわからない。
野茂投手やイチロー選手に,仰木監督がいたように,彼流に理解を示せる人がいるのかどうか。
まだまだ先のような気がするが,着実に変わっていくことを期待したい。