『たのしい体育・スポーツ』 1.2月合併号(№298) 久保論考を読む1
こんにちは。石田智巳です。
今日は,『たのしい体育・スポーツ』1.2月合併号の久保論考を読もうと思います。
最初に戦前・戦中の体育における「身体の教育」を読んで,ここはあっさりと通り過ぎたいと思っていたのですが,よくわからないことが出てきてしまいました。
そのことを中心に書きます。
では,どうぞ。
久保さんの論考は,「『からだ』は体育の中でどう見られてきたか」ということである。
民間研では「体」も「身体」もあまり使わず,基本「からだ」を使う。
この「からだ」という表記が意味を持つと思う。
からだとは,物理的なモノの側面としてのからだ,生物的なからだ,生理学的なからだ(肉体,体力),社会的なからだ,精神と身体,見るからだと見られるからだ,メルロ=ポンティ的にいえば,認識の視座としての身体などがある。
さらには,ストレスなどがからだに引き起こす反応,からだの不調が引き起こす心の不調などもある。
そういう「からだ」のうち,体育ではどのようなものとして「からだ」をとらえてきたのかという問いかけをする。
そして,戦前の心身二元的なからだ(とこころ),からだづくり論,体力つくり論などの50年代から60年代の「体育」におけるからだの見方・考え方,続く70年代以降のからだの歪み,あるいは心の歪みから,体育だけではなくからだをとらえる見方そのものが広がっていくことを紹介している。
さて,最初の「1.戦後の出発点における『からだ』の見方」を読んでみたのだが,よく理解できなかった。
冒頭で久保さんは,「しかし,戦前の体育の本質は本当に『身体の教育』だったのだろうか?」と問う。
この問いの意味と,この後の理路がよくみえなかった。
城丸章夫さんは,日本の近代体育は「一度たりとも,子どもの体を作ったことはなかった」といい,「労働者や兵士としての仕事もつとまる体にすること」を本質としていたと述べている(と久保さんが述べている)。
ここで論点になるのは,二つ。
一つは「近代体育」の時期区分である。
戦前,戦後という時期区分でいいのか,それとも戦前もさらに区分されるのか。
あとで,「戦時下の体練科」という言い方をしているから,戦中の体育のことも含めていっているのだろう。
城丸さんが『体育科教育の本質』を上梓したのは1960年で,論文はその前に発表されているので,近代体育に戦後は含まなくてもいいのだろう。
もちろん,戦後すぐの体育を含んでもいい。
ただし,その場合体育がからだを扱ったのではなく,衛生の問題であったといえる。
城丸さんは,おそらく大正自由教育期のことだろうが,第一次世界大戦後の体育には「身体を通しての教育」(戦前の新教育期の体育)もあったが,1941(昭和16)年の体練科では,肉体の錬成と服従心の錬成があって,両者は同一視されたという。
そして,城丸さんは,これを「近代体育の完成形」と見なしたという(のだと思う)。
もう一つの論点は,「身体の教育」の意味内容である。
「身体の教育」というか,その時期に行われていた体育は,だから「肉体の錬成と服従心の錬成」のことを本質としているから,それを「身体の教育」といっていいのか?「子どもの体を作っていない」ではないか,という異議申し立てなのか。
そして,この項の最後はこう結ばれる。
「冒頭に挙げた戦前の体育の本質のとらえ方は,『新体育』の本質が『身体活動を通しての教育』であることを強調するあまり,この『心身一体の錬成』論に目が向かなかったのであろう」。
この「新体育」は,戦前の「新体育」と読むのか,戦後「新体育」と読むのか。
さらに,「身体の教育」の時期とは,いつの時期をいうのか。
明治の新しい学制で始まる体操科,大正自由教育期の新体育,戦時下の体練科
特にこだわる必要はないのかもしれないが,教科書的な理解をしていた僕としては,少しわからなくなってしまった。
僕の中では,以下のようなとらえ方。
明治の頃,リズムや音楽に合わせて動く体操や行進ができるような体を作ること=軍事行動のできる体をつくることが目指された。
これは,ナポレオン軍に敗れたドイツが,ヤーンのドイツ体操(トゥルネン)で青少年の教育をして臥薪嘗胆を期したように,ヨーロッパの国々の多くが軍事行動のできる体づくりを目指したのと同じ。
軍隊の基本は隊列行動であって,それができる身体作りのために,日本の伝統的な身体運動は捨てざるを得なかった。
それが,大量生産を可能にする資本主義労働の時代とマッチして,肉体の大量生産,品質管理(甲乙丙丁簿というランクづけ),軍服の着用(背広のモデルは軍服)などの時代になるのは,三浦雅士『身体の零度』(講談社メチエ)に書かれているとおり。
だから,なんとなくこの明治の時代を「身体の教育」といったのかと思っていた。
なぜ僕がわからなくなったのかというと,久保さんは今書いたあたりの専門家だから。
城丸さんが,「近代体育の完成形」と見なしたというのは,城丸さんの歴史の見方が,唯物史観というか,歴史主義になっているからか。
つまり,歴史は今に向かってまっすぐに流れてきている,歴史は常に今が完成形だという見方にたてば,少なくとも戦後の断絶の前の体育の完成形は,体練科の時代の体育となる。
書いてきて,段々自分が何が言いたいのかもわからなくなってきてしまった。
繰り返すが久保さんは,体育史が専門だった方なので,本人に聞くのが早いのでしょうね。
今日はちっとも進みませんでした。