体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

末吉小学校・菊池淨先生のお話

こんにちは。石田智巳です。

 

先日また,菊池淨先生からメールをいただきました。

メールにはお話と絵がセットになっています。

今日は,この話を紹介したいと思います。

では,どうぞ。

 

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表題 私もたたいて見たいー子どものため息で教え方が良くなった
 
ずいぶん昔の話です。六年生の清子さんが私に言いました。
「私,先生になりたい」
〈清子さんは先生の仕事に何かいいことをみつけたんだな〉と思いました。
「そう。どうして」
と私がたずねると、
「先生になって子どもをたたいてみたい」
と言って、ため息をつきました。
 
私は心臓がドキドキして、なかなかおさまりませんでした。
わたしは腹を立てて子どもをたたいたことはありません。
でも、頭をこつんとやったり、おしりをたたいたりしたことはありました。
清子さんはそんな時、自分がたたかれたような気持ちで友達を見ていたのでしょう。
 
ふたりともだまって外をみていました。
やがて清子さんは,にこっとして出ていきました。
 
それから私は、たたいたり、こつんしたりするのをやめてしまいました。
するとおこることがことがへってきました。
みんなもおこられることをしなくなりました。
 
ふしぎなことに,私の教え方がだんだんよくなりました。
いまでも、たたかれた話を聞くと、清子さんのため息を思い出します。
そして、先生が勉強をして教え上手になればいいと思うのです。
 

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先日,TBSの60周年という番組をやっていて,そこで金八先生の古い話が出てきた。

第一シリーズは,杉田かおるが扮する中学校3年生が出産をするという話が中心にあるのかな。

第二シリーズは,校内暴力が中心だった。

 

金八先生は,79年に始まるのだが,第一話では,家出をした生徒を何とか探し出して,ビンタをする。

第二シリーズで,加藤勝と沖田浩之(これではカテゴリーが違うのだが)の二人が金ぱっつぁんにやはりどつかれる。

80年頃というのは,僕も中学校に入る頃になるのだが,学校でよくたたかれた。

たたかれる方が悪かった時代だ。

 

菊池先生は,自分がコツンとやったことも悔いていたが,大人が子どもをたたくことが問題ではない時代であった。

でも,子どもが「教師になって子どもをたたいてみたい」というのは,それをいうことはよくないということはおそらく誰でもわかることだ。

それを言われちゃーおしめーだぜ,という感じか。

 

コツンとでもやらなくなったら,怒ることが減ってきたというのは佳い話だ。

さらに,怒られることをしなくなったというのもいいね。

 

自分が娘に怒鳴ったりすると,娘も同じように腹が立つと怒鳴ったりする。

そうなると,場の空気が悪くなる。

 

教室でも,言葉が荒れてくると(言葉の荒れを許していると),子どもたちも荒れてくるという。

そうなると,殺伐としてくる。

 

平和学でいうところの,直接暴力と文化的暴力の構造主義的な関係ともいえる。

暴力を許す風潮があるところに,暴力が生まれるというように。

 

その意味で,ゼロトレランスはやはり荒れを誘発することになるということだろうか。

強い教師には面従腹背して,そのツケは優しい教師に回るというのはよく言われることだ。

 

言葉も暴力だから気をつけよう。 

 

 

 
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