体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

デンマークと日本の教育

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,「毎日新聞」12月24日のオピニオンのページに書かれている「福祉国家を支える教育」を読みます。

では,どうぞ。

 

新聞記事は,「くらしの明日 私の社会保障論」として,本田宏さんという病院の院長補佐の方が書いている。

 

書き出しでは,先の総選挙の投票率の悪さ(52.66%)をとりあげる。

確かに,争点はアベノミクスだったが,集団的自衛権原発再稼働,特定秘密保護法など日本の将来の浮沈を占う選挙だったにもかかわらず,国民の多くは無関心だった。

無関心というのか,あきらめというのか。

 

そして,昨年の9月に出された世界幸福度報告書によると,日本は43位だったという。

これは,富裕度や健康度などの総合評価らしいが,トップは福祉国家であるデンマークであった。

デンマーク国政選挙の得票率は,88%で世界トップクラスだという。

 

考えてみれば,福祉国家ということは,医療や介護,福祉などの分野が充実しており,その分,税金を多く取られているわけだ。

でも,自分が払った税金が,若い世代や高齢の世代に役立っていると思えれば,よしとするということだろうか。

 

もともと,福祉というものは,そういうものだ。

健康と同じで,健康なときには気にしないが,右肩下がりになってきたときに初めて意識されるものだ。

いずれは自分もお世話になるのだから,先行する世代のお世話は私達の世代がやりましょうとなる(のかな?)。

だから,自分の払った税金が無駄に使われていないかを監視するという意味で,選挙に行くということなのだろう。

 

ところで,僕が子どものころに,イギリスの政策は,「ゆりかごから墓場まで」という言葉で表された。

全部面倒見ますということだったのだろう。

日本だって,高度経済成長期には,稼ぐ人は税金を多く取られた。

そして,若い人の給料は安くても,子どもができるころ,家が必要なころに応じて,給料が上がる仕組みだった。

 

それが,イギリスではサッチャリズム,アメリカではレーガノミクス,そして日本ではナカソニック(そんな言葉はない)で,新自由主義になってしまった。

この戦略が,「トリクルダウン」を産まない構造になっていること,二極化が激しくなること,社会が殺伐となってしまったことは,多く指摘されているとおりである。

 

そして,もしかしたらもっと問題なのは,そのことで社会への期待や希望がなくなり,自分が払った税金がどのように使われているのかを気にする余裕もなくなり,それで投票率も悪くなり,さらに好き放題になるという悪循環を生むことなのか。

 

で,本田さんは,デンマーク初等教育のことを聞いて驚いたという。

やっていることのレベルが高いというのだ。

「すべての子どもはフォルケスコーレ(公立学校)で義務教育を無料で受ける権利がある」と憲法に定めてあるという。

それは,まあそうだが,次がすごい。

「学校での教育や日常生活は自由な精神,平等,民主主義の上に成り立つものでなければならない」ので,「教科書も授業方法も国から制約を受けない」という。

 

近くの川に建設された橋を見学しながら,橋の両岸の住民が建設時に戦わせた議論の内容やかかる費用などを学び,「選挙をテーマに多数決の意味や,自分の意見を伝え,相手の意見を聞いて合意を見出すことの意義を学ぶ」などだという。

 

これは,今後取り入れられるだろう21世紀型スキルの実践だと思うし,体育同志会が「スポーツ分野の主体形成」というのと同じく,社会の主体,社会の主人公にふさわしい学力と内容が実践されていると思うのだ。

それは社会をよくすることと,自分たちが幸せになることが不可分となっているから可能なのだろう。

 

「一方,検定を受けた教科書を使い,偏差値重視で全国共通試験の優劣や有名校入学者数を競い合っているのが日本の教育の現状だ」と本田さんは嘆く。

そして,「日本が最初に見直すべきなのは,教育なのではないだろうかと痛感させられた」と結ぶ。

 

その通りなのだろうけど,結論に違和感を持つ。

この人は教育をよくすれば,社会がよくなるという論になっている。

それは今の教育が悪いから,社会が悪いということにもなる。

しかし,よい教育をして,社会を変える人士が出てきて,社会がよくなるというのは短絡的だ。

 

というのも,教育が社会(国家)を悪くしたのではなく,国家が教育を悪くしたのだから。

ここは語弊があるかもしれないけど,日本が今の社会を維持するように(国家がやることに文句を云わせないように)教育を作り替えたのは国家である。

だから,逆説的だが,悪くなったけど,その思惑は成功したのだ。

だって,みんな国家がやることに反対しないでしょ。

選挙に行って,政権政党を倒そうなんて思わないんだから。

 

そして,本田さんが嘆く日本の教育も,新しい学習指導要領に変えようとしている。

入試改革と21世紀型スキルの導入だ。

でも,どれだけ入試を変えて,方法を変えても,教科書検定と教育内容と方法とに縛りをかけることは変わらないだろう。

 

だから,「自ら学ぶ力」とかだって,かなり枠づけられた力なのだ。

国家が思うように,自ら学ぶ力,考える力をつけるということだから。

だからどうしたらいいのだろうね。

 

 

 

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