生活体育について-制野さんの話を聞く
こんにちは。石田智巳です。
昨日のブログには,日曜日の午後に行われた,みやぎ-大阪-全国研究局会議の様子というか,そこで僕が考えたことを書きました。
今日は,そのあとで制野さんが語ってくれた学校の取り組みを,簡単に紹介したいと思います。
まだ公にされていないものを,僕が剽窃するというわけにいかないので,生活体育と絡ませて書いてみたいと思います。
では,どうぞ。
制野さんはすごいバイタリティがある。
身体的,知的な体力がすごい。
書き方,説得の仕方もうまい。
感動を生むことができる。
間違いなく,日本のスーパーティーチャーの一人であろう。
その制野さんが,会議の途中に学校での取り組みについて話してくれた。
こういう話になると,制野さんの独擅場になる。
僕は震災の年の11月に,制野さんの中学校を訪問した。
制野さんが震災の時に勤めていた中学校は,海岸近くにあり,津波の影響をもろに受けた。
このときの話も感動的であったが,ここではしない。
それで,僕が訪問したときは,今の鳴瀬未来中学校である,鳴瀬一中に間借りしていた。
そして,そこではバレーボールの授業を見せてもらった。
カバーを大切にしたグループでのパスの練習をやっていた。
しかし,制野さんは子どもたちの活動が始まると,今,ここで,なぜこういうバレーをやっているのかではなく,なぜかサッカーの話を熱く語ってくれた。
震災にあって生きづらさを抱えている子どもたちに,体育同志会流のサッカーをぶつけても,それはそれでうまくいったとしても,「それはそれでしかない」と感じたのだろう。
そこで,制野さんの頭が高速に回転したのだと思う。
制野さんは,震災後の体育の授業=新年度の体育の授業では,スポーツすることよりも,身体を使ってじゃれ合うようなことをさせたという。
身体的な実存の確認ということだろうか。
その発想でサッカーも考えて,それが,「お祭りフットボール」の着想に至ったのだと思う。
制野さんにとっては,震災で傷ついた子ども,生きづらさを抱えている子どもにとって体育をする意味を徹底的に問い,あてはまらないものは厳しく退ける。
東北の地で生きていくために必要な知恵はなにかを問う。
だから,まさにスポーツ的競争=新自由主義的競争と選抜に傾きがちなスポーツを対極におく。
そのため,お祭りフットボールからの発展を展望したカリキュラムの提案や,みかぐらの実践,そして,運動会実践などが語られた。
僕は一応,佐々木賢太郎さんの研究者である。
かつて,『体育学研究』という雑誌に載せた論文に,佐々木賢太郎さんの生活体育から3つの意味を読み取った。
ちょっと長いが引用する。
「佐々木の生活体育の一つの意味は,生活の現実に立ち,生活と向き合い,生活を変革する体育である。
また,『体育のための技術』を主張する佐々木にとって,子どもの生命を守ろうとしないスポーツもまた,同様に変革の対象でもあった。
体育で学んだ内容や,体育で作り上げたからだが,将来の生活や労働に生きるものとならなければならないのである。
生活体育の二つ目の意味は,生活に役立つ体育,生命を守る体育,からだづくりの体育である。
既成のスポーツや道具を含めた正式ルールは,そのために作り替えられるべき存在なのである。
生活体育の三つめの意味は,生活綴方の方法を適用した体育のことである。
観察させて書かせる体育であり,集団を作る体育であり,集団批評によって認識を深める体育であり,比較,分析によって答えを導き出す科学的な体育である」
自ら,佐々木賢太郎氏の実践が,「私の実践のベースになっている」(『運動文化研究』31号,12頁)と述べた制野さんは,まさに佐々木さんの正統的な継承者だといえよう。
ところで,僕は,中間研の報告の時に,宮城の生活体育は,いきなり生活にいきすぎるのではないか?ということを書いた。
またまた長いが引用しよう。
「系統性研究は,やはりうまくすることによって,子どもの運動生活を豊かにすることと,選手用の練習方法のオールターナティブとして国民大衆の運動生活を豊かにすることの二つの意味がある。
系統性研究は,うまくするという課題に応えるものであった。
この二つ(技術指導の系統性とグループ学習)の統一(一元的把握)こそ,矢部英さんや制野さんの実践にあらわれている。
しかし,宮城の前提としての子どもの生活と,結果としての子どもの生活は,あくまでも民主的生活に向いている。
体育的生活は宮城の実践ではどこに位置付くのか。
これがうまく位置付かないというのは,逆に運動文化・スポーツが民主的生活のための手段となっているのではないか。」(石田「3とも研究局情報3」第17号)
それはまさに,上述のように,佐々木さんがそうだったからだ。
そして,中村敏雄さんもスポーツ害毒説を採用した。
しかし,今回,体育的生活が意図された実践が語られた。
これについては,また明日。