18歳成人は先送りに
こんにちは。石田智巳です。
10月1日の朝,新聞を読んでいると小さな記事が目にとまりました。
それが「民法『18歳成人』先送り」です。
これを読んで考えたことを書きます。
と思って,書いてほったらかしにしておいたら,昨日(月曜日)の毎日新聞の社説にもこのことが取り上げられていました。
賞味期限が切れないうちに公開します。
では,どうぞ。
新聞記事は以下のように始まる。
「自民党は30日,与野党8党の実務者で作る『選挙権年齢に関するプロジェクトチーム(PT)』で,2016年夏の参院選から,国政・地方選挙の選挙権を『18歳以上』に引き下げる案を提示した。」
「一方,成人年齢を同じく18歳以上に引き下げる民法改正には慎重論が多く,今国会での議論を見送ることで各党が合意した。」(毎日新聞朝刊,10月1日総合)
18歳が議論されたのは,2007年の国民投票法の成立のときだ。
あのときも安倍さんが総理だった。
今年の6月に改正国民投票法ができた。
この法律をつくったときに,18歳以上のものが投票できるようにした。
そして,それにあわせるように,選挙権の年齢を20歳から18歳に引き下げる案を提示したということだ。
これは,公職選挙法だ。
しかし,成人の年齢を18歳以上とするのは慎重論が多いため,民法の改正は先送りにされた。
大人は20歳からのままということだ。
日本では昔は男が大人になることを元服と云ったが,これはだいたい12歳ぐらいだっという。
「赤とんぼ」の歌では,「15で姉やは嫁にゆき」とあったわけで,昔は今より若くして大人と見なされたわけである。
というか,昔は親が死んだら子どもが幼くても即位するとかあった。
子どもだから無理というわけではない。
調べてみると,シンガポール,アルゼンチン,エジプトは21歳。
アメリカは州ごとに違うそうだ。
あと,たいていの国が18歳である。
おそらくではあるが,途上国の方が成人と見なされる年齢が低いのだろう。
「いつまでも親に甘えているのではない」「自立しろ」ということだ。
国連の「子どもの権利条約」では,「この条約の適用上,児童(a child)とは,18歳未満のすべての者をいう」(第一条)とある。
日本も「子どもの権利条約」を批准しているから,国連の規定に従えば18歳,19歳は大人。
日本の民法では,18歳,19歳は子ども。
実際には,法律に従わなければならないから,やはり子どもだ。
このダブルスタンダードと全く同じなのが,集団的自衛権の問題だ。
今年の7月1日までは,憲法9条ではダメと解釈されてきた。
しかし,国連憲章には認めると明文化されている。
話が逸れそうだからやめよう。
この「子ども」にかかわる議論は,子どもと大人の線引きをどこでするかということだ。
「子ども」か「大人」か。
しかし,違う議論もある。
45歳の僕は大人だが,親から見れば子ども。
絶対的子どもと相対的子ども。
それで,18歳以上を大人とカウントするとなると,少年法などとの整合性がつかなくなったり,親の同意なくしてもクレジットカードが作れたりだとか,心配事が多いようだ。
特に,それにかかわる法律もかなりの数があって,それらをすべて整合的に換えていく必要があるという。
そこに,躊躇する理由があるようだ。
ところで,よく知られたことかもしれないが,子どもはあるときに発見されたのである。
子どもが昔からいたわけではない。
フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』(みすず書房,1960年原著,1980年日本語翻訳)に書いてある。
サブ・タイトルは,「アンシャン・レジーム下の子どもと家族生活」。
アンシャン・レジームとは,1789年のフランス革命以前の旧体制のことだ。
この革命によって「近代」の始まりを告げるとされる。
かつては,子どもが小さな大人とされていて,大人とのはっきりとした区別がない時代があった。
身分によっても違うのだろうが,子どもは働き手だったわけだ。
うちの息子は,毎日お風呂洗いをする。
働くことで家族の一員となるといってある。
しかし,娘はほったらかし。
アリエスの仕事は,人間の成長のなかで,子ども期が独自に見いだされていく歴史的過程を克明にたどって見せる。
中世の絵画には,子どもが描かれても身長の低さ以外に特徴が描かれないとか。
また,ルソーの『エーミール』でも子どもが発見される。
この本は,1762年だから,フランス革命の少し前。
ルソーにしても,アリエスにしても,近代における子どもの発見とは,教育によせる強い関心,期待の中から生まれたのである。
それ故,子どもは何よりもまず教育の対象として発見された。
僕はあんまりよくわかってはいないが,産業革命などで生まれたブルジョアジーという身分は下の階層(階級)と自分たちを区別したがっていた。
これは,スポーツに身分差別を持ち込んだことなどからもわかる。
この人たちは,教育もまた資本となり得るために,下流と差別化するためにその子弟に教育を受けさせようとした。
一方,エンゲルスだったかによれば,イギリスの労働現場を覗いたら,子どもの労働がひどかった。
だから,学校制度によって,子どもを親やブルジョアジーから引き離す必要があった。
で,フランス革命以降ということは,ナポレオンだ。
ナポレオンは,中央銀行の設立,インフラの整備,そして教育制度を作り,国民皆兵制を施行したとされる。
ブルジョアジーの目論見と,市民の目論見は全く違うが,結局子どもを学校へやるということでは同じだ。
一方,日本でも柄谷行人が『児童の発見』(1980年)という本で指摘している。
「児童が客観的に存在していることは誰にとっても自明のように見える。しかしわれわれが見ているような“児童”はごく近年に発見され形成されたものでしかない」と述べ,明治20(1887)年代の文学の中に「児童」や「子ども」もまた発見されたと述べた(161~162頁)。
日本の学制ができるのが,1872(明治5)年である。
しかし,当時は労働力としての子どもを親は手放したくなかったという。
そして,実際に子どもが義務教育らしく学校に通うようになるのは,1900(明治33)年の小学校令の改正のころだっという。
だから,どの国でも,公教育制度,あるいは教育制度ができるときに,子どもは発見されると云うことなのだろう。
いずれにしても,子どもとは小さな大人ではなく,①独自の子ども期を生きる存在として,一方で,②大人になるための準備期に,大人や学校に囲い込まれるべき存在として発見されたということだ。
この二つはある意味で矛盾する存在の仕方であり,ここに,子どもを捉える難しさがある。
これについては,前にも書いたことである。
つまり,教育学では,教育は「人格の完成を目指して行われる(教育基本法1条)」が,子どもの思い方や感じ方を大切にするなど,すでに「人格を備えた存在」として捉える必要がある。
教える・教えられるという,非対称的な関係,あるいは上下関係でいながら,対等だといっているようなものだから。
教育実践的にもここが難しい。