研究局会議in京都の報告
こんにちは。石田智巳です。
昨日は,15日に行われた研究局会議の様子をお伝えしようと思ったのですが,午前中に参加した京都支部の拡大常任委員会のことを書いていたら,それだけで一つの記事となってしまいました。
なので,今日は全国研究局会議の様子をお伝えします。
では,どうぞ。
15日の午前中は,京都支部の拡大常任委員会が,東寺の資料センターで行われた。
13時からはそのすぐそばの京建労会館にて,全国研究局会議である。
会議がバッティングしてしまったので予約したが,13時から17時まで1500円(税なし)である。
安い。
そのため,12時40分過ぎには資料センターを後にして,途中,ローソンでスパゲッティを買っていく。
ちょうど,京建労会館の入り口で安武さんに会う。
手続きをして,安武さんには上にあがってもらう。
スリッパに履き替える必要があるので,一人は表で案内をしないといけないと書いてあった。
外で,よくばり明太子のスパゲッティを食べていると,前田さんが来られた。
神谷くんは飛行機が遅れるという連絡があったので,あとは岨さんだ。
13時になるが,姿が見えないので電話をしてみると,もう上にいるとのこと。
そこで,僕も上にあがって会議がスタート。
会議の始まりは,いつもそれぞれの支部の状況を交流する。
大阪は,全国大会に向けてスタートをしているという。
実行委員会を開いたら,50人以上が参加したという。
前田さんも知らないような若い会員が参加していたようだ。
もともとそつがない支部だ。
ただ,前田さんが云うには,大阪は「船頭が多すぎる」ようだ。
安武さんによれば,すでに各分科会に一人の現地の世話役をつけたという。
この人たちは,世話役とはいえ,当日,お弁当を受け取ったり,感想文を集めたりするのが主たる仕事ではなく,この10月ぐらいから分科会の世話人と連絡を取り合うという。
原稿を集めるときには,その人たちが活躍することになる。
すごく頼もしい話だ。
宮城は,研究関連の制野,矢部,神谷で届いた原稿を読んで,書き手に要求を出していた。
それもすごいことだ。
実は2010年の京都大会のときにも,大阪と同じようにやろうとした。
そして,分科会に貼り付けたが,結局は濃淡があってうまくいかなかった。
期待したい。
兵庫は,若手を育てるべく,岨さんが八面六臂の大活躍。
支部のメンバーは減ってきており,とりわけ阪神ブロックが弱いものの,大宮さんのところと淡路は元気なようだ。
実践づくりの話になると,お互い意気投合するが,岨さんは僕のブログを読んでいなかった。
話がややこしいので休憩時間に読んでもらった。
京都については,昨日の記事にあげたので繰り返しはしない。
まずは,復興みやぎ大会の感想を述べあう。
その途中で神谷くんがやってきた。
「生活と教育」の話になる。
「意味のある授業」の話になる。
安武さんが,かつて競争研究を大阪でやったときのことを調べていて,そこで思い出した話をしてくれた。
教科内容研究の一環で,競争の成り立ちや考え方を学ぶことで,教養として身につけることができる。
しかし,宮城のある方はそれが不満で,子どもたちに役に立つのかどうかを問題にしたという。
この話は「生活に返る」かどうかの話であったと思うが,直接役に立つのか,近い将来役に立つのか,役に立たないかもしれないというように見れば,役に立つ方がいいような気がするが,そうともいい切れない。
もともと生活教育の論争のなかに,生活に役立たないものは教えないというプラグマティズムや,生活のなかで教育するという発想は,「学校死滅論」を招くという主張があった。
この場合の生活教育は,戦後の新教育の方だが。
その生活教育のプラグマティズムとは,普通キルパトリックやデューイの亜流に対して使われる。
しかし,生活綴方(による生活教育)もリアリズムではなく,攻撃的なプラグマティズムだと云われた(久野収,鶴見俊輔『現代日本の思想』岩波新書)。
学校というのは,歴史的に見れば,親や資本家の収奪=労働力として使われることから子どもを守るためにあったのだ。
だから,生活と関係がないことを学ぶのは当然だ,という見方も成り立つ。
そもそも,学びの意味は,ずっと後になってわかることの方が多い。
でも,誠実な教師たちは,自分が教えたことで,社会から子どもが自分を守ることができるようになることを願う。
これもその通りだと思う。
それが「意味のある学び」であり,「生活に返る」学びなのであろう。
矢川徳光は,『国民教育学』(1957)のなかで,3つの学力を身につけさせるべきと云った。
一つは,平和を守る学力(平和を守る人間)。
一つは,ダマサレナイ学力(ダマサレナイ人間)。
一つは,手をつなぐ学力(手をつなぐ人間)。
今だったら,やはりダマサレナイ学力だ。
これも,生活に近いレベルから,遠いレベルまであるはずだ。
・・・話を展開しすぎた。
その後,研究局会議では,1年間の役割分担の話になり,その後,冬大会の話をした。
宮城の全国総会提案では,冬大会については以下の通り。
『現時点では,「実践分析と実践づくり」をテーマとして構想している。
今年の中間研究集会では,矢部智江子実践と江島実践を俎上に載せたが,このときのように話を聞いて限られた時間の議論を行うだけでなく,実践のデータを分析したり,感想文やノートを読んだりすることを通して,実践の姿を浮かび上がらせることをしてみたい。
できれば二日目の朝から夕方まで行う。
それによって,教師の思いを実現するには,どのような仕掛けが必要なのか,語られてはいないが大切な工夫はなんなのか,授業中の指導の中味についても触れていきたい』(総会資料より)。
これについては承認されたので,これをいかに具体化するのかの話をした。
まずは登壇者の候補である。
これは,思いつくままあげてみても,
1)小学校,中学校,高校,幼年,障害児のような発達別。
2)運動学習,健康教育,子スポ,体育理論のような領域別。
3)教材の作り方,子どもの見方などのテーマ別。
4)その他,若手,ベテラン,支部の集団討議そのものを再現するなど。
さらには,登壇する人数の問題もある。
神谷くんが大胆な案を出してくれた。
それは,以下のようだ。
1日目に実践報告を全体会で聞く。
2日目は分散会で検討。
3日目は,それぞれの分散会の報告と今集会の成果と課題。
大会全部を一つのテーマで押すというのだ。
僕にはできない発想。
僕は,いろいろなところに気を遣いすぎるようだ。
小学校体育の実践報告だけでは,他の学校階梯の人が来にくいだとか,健康教育や障害児体育,幼年の人たちも来にくいと思ってしまう。
そして,安武さんからも,冬大会は注目の実践の報告も取り上げてきたのだから,注目の二つの実践でいけばいいとのこと。
一日目に,全体会で実践報告を聞くのであれば,2本が限界。
そのため,大阪のあの人と,東京のあの人に依頼をすることに。
そして,やり方としては,実践記録と同時に体育ノート,子どもの感想文,各種データや記録を全部もってきてもらう。
参加者がグループに分かれて,1グループが子どもの班を一つ担当して,子どもの感想文などの各種データから学びの質的転換の時期,質的深まり,集団の質の変化,疑問点などを分析して,彼らなりに実践を違う角度から立ち上げていく。
それらを後に出し合って,実践者とともに検証していく作業を行うというものだ。
これをやるためには,事前に相当丁寧にシミュレートをしておく必要があるだろう。
でも,実は大阪で一度そのようなことをやったことがある。
グループに分かれて,ある先生の授業で,子どもが書いた二つのグループの感想文を3時間分ぐらい分析したのだ。
あっと言う間に1時間たった。
いろいろな角度から思いつく意見が出された。
僕がかかわったグループの感想では,Aくんが「Bくんとコンビでねらい通りに点を取った」という感想があった。
そこで,同じ時間のBくんの感想を見たら,「Cに変なことを云われていやだった」と書かれてあった。
書くべきことが子どもたちにおさえられていないようだった。
そうなると,感想の書かせ方や体育ノートや子どもに書かせる感想文の体裁の議論にもなるだろうし,読み方も議論になるだろう。
自分では気づけなかったことを,別の人が気づいて納得することもできるだろう。
ということを話し合った。
これを神谷くんがまとめて,常任委員会に報告する。
実は,隠し球(爆弾)がもう一つ仕掛けてあるのだ。
ふっふっふ。
これを,常任委員会で諮って,方向を決めたら,『たのしい体育・スポーツ』11月号に頭出しをする。
そして,10月25日の研究局会議で最終決定,常任委員会に報告という形になる。
岨さんからは,運動論として展開したいので,必ず支部の若手を組織して参加することにしたいという旨のことが出された。
事務局に伝えておこう。
60周年記念中間研究集会についても話しあいをしたが,これは省略。
17時前には終了した。
僕はそそくさと帰ってランニングに出かけたが,研究局会議の後はやはり飲み会をしないといけないような気がする。