『たのしい体育・スポーツ』1月号№298 を読む前に。
こんにちは。石田智巳です。
今日は,『たのしい体育・スポーツ』1月号の論考を読んで考えたことを書こう思いました。
内容が内容だけに,やや気が重いのですが,読んでいていろいろ考えることがありました。
しかし,ワープロを打つ指が滑り出すまでの間の導入を書いていたら,その話で終わってしまいました。
なので,とりあえず論考を読んだのですが,違う内容になってしまいました。
これは,また別の日になりそうです。
では,どうぞ。
2日に箱根駅伝を見ていたら,あることに気づいた。
それは,優勝した青山学院の選手(といっても1区と2区の選手だけを見たのだが)の走りの安定具合だ。
走りが見事というのか,軸がぶれていない。
僕でもわかったのは,体幹が鍛えられているんだろうなあということ。
3日途中に出てきた選手は,後半に腕振りが粗くなったというか,軸の安定を感じなかった。
僕は,中野ジェームズ修一さんという方のランニングの本(新書)を読んでいて,ランニングのために体幹を鍛える重要さについてはわかっているつもりだ。
しかし,体幹を鍛えるというのは,まさに数値で表せるような体力とはやや違う。
たしかに,ある姿勢で何秒とか何回できるかどうかはわかる。
しかし,体幹を鍛えるというのは,インナーマッスルのどこをどう鍛えているのかがよくわからないのだ。
腕立てふせを毎日やれば,大胸筋や上腕三頭筋が鍛えられる。
さわればわかる。
腹筋(腹筋台での起き上がりこぼし)を毎日やれば,腹筋が堅くなって,腹が割れてくるので,触ってもわかるし,見た目でわかる。
しかし,あまりよくわからないのが体幹だ。
ここで話は少し飛ぶ。
小林まことさんの『柔道部物語』では,それまで手抜きの練習をしていた選手たちが,合宿で他の学校の生徒に全く歯が立たずにいた。
生徒たちは改心して,五十嵐先生に厳しい稽古をお願いする。
そこで、真剣に稽古とトレーニングを開始する。
ある日,岡が五十嵐に「腕の引きつけを強くするにはどうしたらいいですか?」と訊くと,五十嵐は「綱登りなんかがいいんじゃないか」という。
さっそく,三五や岡(名古屋も)などの1年生が練習が終わって体育館に行くと,先輩たちが登っている。
名古屋は下からその綱を揺すって先輩を落とそうとする。
それをふくめて厳しいトレーニングをして鍛えていく。
しばらくして,公式戦ではないにせよ、試合に出ることになった。
団体戦で,岬商業の先鋒小柴が,合宿ではやられっぱなしだった下山田の先鋒に勝ってしまう。
「なんか変だ」となって,「俺たち強くなっているかも」となる。
そして,平尾が「オレが証明してくる」と出て行って,結局,デビュー戦だった三五も含めて岬商全員が勝ってしまう。
「綱登りしたじゃねえか・・・」。
つい,夢中になって愛読書のある場面を書いてしまった。
記憶違いがあるかもしれないが,間違っていたらごめんね。
もちろん,綱登りだけではなく,様々なトレーニングをしたのだが,強くなったかどうかは,自分だけではわからないものだ。
そして,どのトレーニングがよかったのかというのも特定できるものではない。
体幹を鍛えることも同じで,数値や回数が上がったりするよりも,怪我が減ったり,タイムが上がったときに,もしかしたら体幹が鍛えられたからかな?と思うようなものかもしれない。
それは。「がんばって走ったから」というものとは違う。
だから,体幹を鍛えることの重要さについてはわかっているものの,そういう理由もあってサボり気味。
中野さんの書いているなかで印象的だったのは,長く走り続けられるかどうかは,体幹の強さによって決まるということだ。
もう少し正確に言えば,10キロを速いペースで走ることができても,10キロ走れる分しか体幹が鍛えられていなければ,それ以上の距離になると軸がぶれてくるということだ。
だから,レース中に落ちていく選手というのは,そのスピードに体幹がついていっていないということでもある。
それを脚力の問題にすることもできるのだろうが,足の動きを支えているのが体幹ということになる。
だから,ここまで書いてきて体幹のトレーニングをしなければならないと改めて思った。
そして,体幹を鍛えると腰痛にならないとか,おなかがへっこむとか,怪我をしないとも中野さんはいう。
『たのスポ』1.2月合併号が,「自分のからだと向き合う」を特集のテーマにしている。
ランニングで体調を崩してばかりの僕は,この体幹のトレーニングという意味で「からだと向き合う」必要を感じている。
ということで,体幹トレーニングをすることにします。