体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

「大貧民・大富豪」で社会を考える。

こんにちは。石田智巳です。

 

4回生の教職実践演習(中高)の授業で,「大富豪」をやりました。

もちろん,別の目的があって「大富豪」はそのための教材です。

今日はその話です。

では,どうぞ。

 

教職実践演習は,2010年に入学した学生からはじまった。

彼らが4回生の後期になるまで,ポートフォリオを書かせて,学びの履歴を残し,それをもとにして教職実践演習では,教職の総仕上げを行うことになる。

今は,現場のOJTがあまり効かないというのか,養成段階での完成を目指すことが国から求められている。

 

しかし,ボタンの掛け違えのところもある。

大学は完成させるのではなく,スタートラインに立たせるだけだ。

そうはいいながらも,僕も国の方針に荷担しているので立つ瀬がない。

 

この授業は結構苦労している先生が多いのではないかと思う。

1度だけ日曜日に講演を聞く授業があったが,週に1回を基本としている。

しかし,9月の最終週に後期がはじまって,張り切ってシラバスのコピーを持っていっても,学生は半分しかいない。

教育実習中の学生が多いのだ。

11月までそんな状況が続く。

 

こちらとしては,各種のアンケート,研鑽計画など提出物を求めたいのだが,誰がどの授業に来て,どの授業に来ていないのか,どの提出物は出したけど,どれは出していないのかの管理がものすごく大変。

課題を出してもおざなり,なおざりということもよくある。

だから,報告を求める場合,しっかりと準備してきている学生から報告してもらうことにする。

少しハードルをあげるのだ。

 

前振りが長くなったが,あるときに「学校って何するところか」ということを考えていたことがある。

誰だって考えるのだろうが。

それをブログの記事にしたけど,放置してある。

それは,18歳選挙権の話が出たときに「政治教育」の話が出て来て考えたのだ(と思う)。

 

日本では,道徳教育が小中学校であり,国は力を入れている。

高校は公民があるから道徳はない。

しかし,これってある意味おかしいと思ったりする。

というのは,道徳は「心のノート」に表れているように,心を問題にする。

しかし,公民というのは,社会のルールのようなものを扱う。

個人と社会の関係を教えるとも言える。

 

僕がおかしいと思うのは,道徳とあわせて小学校版の公民を教える必要があるはずで,それを抜きに「心」の問題のみを扱っていることだ。

これでは自己責任教育になるのではないかと思うからだ。

 

このぐらい書いてきて,今日はもう「大富豪」の話しには行けないなと変な確信をもつ。

 

18歳選挙権というのは,憲法改正のための国民投票法を変えて,来年の夏の参議院選挙から投票できる年齢を18歳以上にするということだ。

18歳というのは,高校3年生である。

だから,選挙にいくには簡単な社会の仕組みやルールを知らないといけない。

しかし,それだけでは選挙に行くとは思えない。

 

今でも,選挙の投票率を見ると,20代30代の投票率が,50代以上のそれと比べて大きく下回る。

10代に選挙権を持たせることにどれだけの意味があるのかとなるが,世界基準とも言える。

 

だとすれば,公民的な素養というか,政治的な素養を身につける話になる。

ところが,これはこれまで日本ではタブーのように扱われた。

教師は政治の仕組みは教えるけど,政治そのものに意見言うことは難しかった。

というか,法律でそう決まっている。

1950年代に教員の政治的な発言や活動を制限する法律ができた。

代わって,道徳の時間ができた。

 

政権批判を恐れたということだろうね。

60年代には全共闘なるものも現れたしね。

2007年には貧困や格差という言葉がはやった。

だから,時の政府は,社会に目を向けさせる前に,道徳を出してくる。

 

しかし,そういう流れから,政治的な素養を身につける教育へと舵を切ることになる。

とはいえ,今までやっていなかったのだから,やればすぐにうまくいくとは思えない。

これまでのように,衆議院の定員は何名で,任期は何年でとか仕組みのみを扱って当時者性の全くないテスト対策的な穴埋め問題か,極端な政治への批判とかになるか,というのは予想がつく。

 

どうしたらいいのかな?

なんて思っていたら,ネット上のニュースで「政治教育先進国」のドイツの話を読んだ。

ドイツの政治教育の方針は以下の3つにあるという。

  1. 教師の意見が生徒の判断を圧倒してはならない。
  2. 政治的論争のある話題は論争があるものとして扱う。
  3. 自分の関心・利害に基づいた政治参加能力を獲得させる。

それぞれにいいのだが,やはり内容に関わっては,2番目の「論争があるものとして扱う」というのが必要だろうと思う。

 

この授業で学生に,安保法案とシールズのことを知っている人手を上げるようにいうと,パラパラとしかあがらない。

それだけ政治に興味がないということなのだろう。

だから,「平和を維持するために抑止力は必要か?」と訊けば,必要という人もいるだろうし,必要ないという人もいるだろうが,論点はわからない。

 

公民の教科書に「世界で活躍する自衛隊」という項目があったけど,あれだって論争があるが,教科書になる時点で論争はないことにされる。

南京大虐殺だって,沖縄の集団自決だって,論争中だ。

歴史修正主義者の声が大きくなっている現状がある。

ヘイトスピーチや,匿名で誹謗中傷するネット右翼なんかダメに決まっているだろうと思うけど,表現の自由という観点からは,ダメとすっきり切り捨てるわけにはいかないという(あんまり納得できないけど)。

 

でも,マイケル・サンデル先生や日本でも小川仁志先生のように,白熱させる授業をやっている人がいるわけで,そういう経験の積み重ね,もっといえば当事者意識を持たせることが必要なのでしょうね。

 

ということで,ぐだぐだと書いてしましましたが,「大富豪」の話はまた記事にします。

 

 

 

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