体育同志会60周年記念集会in大阪
こんにちは。石田智巳です。
5月9日は,学校体育研究同志会創立60周年記念集会が大阪で開催されました。
その様子をダイジェスト的にお伝えします。
では,どうぞ。
いろいろ心配事がある中,大阪上本町へ出かけていく。
今日は,体育同志会の60周年記念集会だった。
最初は,田中委員長の挨拶。
スポーツの世界的普及がもたらしたものも大きいが、失ったものがあること。
これらを研究することが,求められるし,それは60年前からの体育同志会の使命ともいえる課題であった。
これからは,東京オリンピックをどう迎えるのか。
それと,体育同志会の組織をどうしていくのか。
次が,森敏生さんによる記念講演
「体育同志会60年の歩みをつなぐ-子どもに寄り添い,ともに学び,集い,生きる-」
森さんは,編集委員長という肩書きだが,前全国常任委員長という方がしっくり来るね。
ここでは,体育同志会の60年の研究を1時間でまとめて話された。
「歴史の話はあんまり」という大阪の若手がいたようだが,森さんは,ここにこだわりたいともいう。
アサヒさんは,寝るのを我慢しながらも寝てました。
森さんの話は,でもコンパクトながら説得力を持っている。
生活の現実,「無力感」「つらさ」「あれ」に寄り添い,人間らしい発達要求を読み取り,生きづらさを転換する力を育む(文化の学びを生きる力へ)
「続けること」と「変わること」という言葉で締めくくられた。
次は,シンポジウムだ。
関西近畿の若手による放言を含む未来を語るというシンポ。
司会の岨さんと,若手のみなさん。
2月の関西近畿ブロックのときと同じようにすすんだが,やはり体育同志会の活動への参加と,自分のやりたいこと,あるいは家庭との関係などが話の俎上に上がる。
質疑の時間にはムチャぶりもあって,うろたえてしまった。
ワープロを打っていて,あんまりよく聞いていなかったので,失敗した。
よくあることだけど。
で,僕の教え子の太郎くんが参加してくれた。
彼は,質問をしたのだが,その質問がフロアにうまく乗らずに,次の人の質問というか意見に消される形になってしまった。
しかし,太郎くんは,ちゃんと次の飲み会にもきてくれた。
参加者は150名ぐらい。
なかなか盛況だが,やはり1月に関東ブロック集会をやっていたので,それに参加した人はこちらへの参加は少なかったのかもしれない。
続いて,記念パーティーへ。
乾杯担当の横森さんが,感無量という感じ。
確かに,いろいろあったけど,こぎ着けたという感じだ。
この写真は,僕の隣が大貫さんで,僕の前が元日体大の森川貞夫さんで,その隣が沖縄の山内さん。
森川さんは,1963年に『体育グループ』に書かれた「佐々木賢太郎さんに会う」だったかという文章を読んだことを伝えたら,えらく喜んでくれた。
なんか変な感じだが,こちらが持っている文献を森川さんに送ることになった。
でも,そういうつながりが嬉しい。
飲み会も終わって,2次会にいこうと思っていたときに,大阪の方と中間研究集会の話をしたのだが,ものすごいやばいことが発覚した。
なので、二次会にはいかずに、家に帰った。
それは,やばいことが終わってからまた報告することになります。
やばいことが,何でもなく終わったことを期待します。