『たのしい体育・スポーツ』3月号が届きました。
こんにちは。石田智巳です。
『たのしい体育・スポーツ』2015年3月号が届きました。
1,2月合併号が届いてから2ヶ月がたちました。
早いものです。
現場の先生は,成績付けとかであんまり読んでられないかもしれませんね。
僕も忙しくて,というか読むべき資料がどんどん湧いてくるので,なかなか読めません。
でも,今日は簡単に紹介したいと思います。
では,どうぞ。
「たのスポ」が届くたびに思うのは,前の号で言及していない文章があって,それに対する後悔である。
いつも書くことだが,毎日毎日ブログを更新するといっても,毎日毎日面白いことに出会うわけでもない。
ブログ書いて,走って,大学の往復だけでもかなりの時間がとられる。
そのなかで,「たのスポ」を読んで,ブログのネタにするのは,ある意味で保険のようになっている。
つまり,何かネタがあれば書くが,なければ「たのスポ」を読んで書くということだ。
でも,ネタがなくて「たのスポ」ばかり書いていても,つきてしまう。
だから,矛盾するのだが,なるべく「たのスポ」のネタを取り上げない。
というか,残してしまう。
先月号(1,2月合併号)は,上野山さんと山内さんの「私の実践」へ言及できなかった。
上野山さんの文章に対しては,これまで2回ほど書いているので,仕方がないかなと思うところもある。
しかし,山内さんのは書いておきたかった。
僕らは,ある意味での自分史(堀江さん,山内さんなど)をどう読めばいいのかという問題に当たる。
木原成一郞さんが「ライフヒストリー研究」なるものを書いている。
そこで参照している教師の成長に関わる理論的な枠組み(吉崎静夫,木原俊行ら)に照らしてみると,やはり,「人との出会いが変える」ということになる。
それと,自分の「信念」なるものが変化する「何か」がある。
制野さんの場合だと,震災がそれにあたるだろう。
それらが,自分の物語として語られるときに,語られたことは何で,語られなかったことは何なのかを一緒に考えてみたいのだ。
なんて思っているけど,結局時間がなくて(いい訳だ!)やっていない。
そして,次の号となる。
3月号は,固定遊具か。
これは誰に当てたメッセージだろうか。
小学校と幼保の先生になるのかな。
表紙をめくる。
今月の授業は「子どもたちを遊びの達人にしよう-遊びは子どもの文化,ぼくもわたしもこま名人」である。
やや字が多いのが気になる。
この「今月の授業」はできるだけ,目で見てわかるものがほしい。
その後に論考が来たりするから。
でも,字が多い理由が痛いほどによくわかる。
こまを回すそのやり方,つまり,身体運動を言葉にするからだ。
自分もよくやるけど,これは難しいんだよね。
自転車をこぐだとか,ネクタイを締めるだとか,もっと普通に,走ることを言葉にするのだって難しいのだ。
こいでみせる,締めてみせる,走ってみせればわかることを言葉にするのだ。
だから,走る,跳ぶを取り扱う陸上運動は,動作を通した言葉=認識を問題にするのが難しいのだ。
特に走るは,リズムに関わる音とかはまだ表現できるかもしれないが,腕の振り方とか,足の蹴り方とかそうなるとこれは難しい。
で,こまを回すことを丁寧に説明しようとすればするほど,字が多くなる。
さて,昔の子どもは,学校から帰れば外で遊んだ。
しかし,僕が高校の頃ぐらいから,ファミコンがはやりだし,遊びの形態が変わった。
それとともに,体力低下が起こるのだ。
そして,文化の伝承がとぎれ,発達にも影響が出る。
だから,子どもたちに遊びやその面白さを伝承しようとしているという。
すばらしいね。
僕はけん玉が少しできる。
一回転灯台ならすぐにでもできる程度。
と思ってやってみたら,できませんでした。
「かつては」と書くべきでした。
また,3つ玉のジャグリングもできる。
でも,それを子どもに教えない。
教えるとなると,できないことにイライラしてしまうからだと思う。
置いておいて,自分でやってくれればいいと思うが,やはりやらない。
ゲームをやっている。
遊びを教えるというのは,難しい。
遊びたいから教えるのはいいけど,遊びたくないのに教えるとなると,教える方も教わる方も苦痛が生じる。
それに,一緒に遊ぶなかで身につけるものであって,遊びを教えるといったときに,どこかそれは遊びとはいわないよと冷めた目で思ってしまうのだ。
でも,スポーツが遊びの一種だとすれば,楽しさはやる中でわかっていくものだから,最初は「やらせる」ことも必要だろうと思う。
はじめから楽しいということはあんまりないような気がするし。
だから,このような取り組みはやはり必要なのだろう。
みんながみんなコマにはまらなくてもいいが,何人か(一人でも)が面白いと思ってくれればいいわけだ。
ところで,3つ玉のジャグリング(カスケード)は,「わかる,できる」系統指導を考える上で格好の教材なのだ。
しかも,すぐにできるようになる。
もしよければ,皆さんに教えましょう。
教わりたい人がいればですが。