『たのしい体育・スポーツ』 2015年3月号 堤論考を読む
こんにちは。石田智巳です。
以前から,記事を書くときに,カテゴリーをつけていたのですが,カテゴリー別に表示される機能がブログ上にないと思って,調べてみました。
そうしたら,デザインの変更のところに「モジュールの追加」というのがあって,そこでできました。
ついでに注目記事というのもつけましたが,ほとんど注目されていないようです。
それにしても,ほんと,わからないことだらけです。
さて,今日は,『たのしい体育・スポーツ』2015年3月号の堤論考を読みます。
いつものように,丁寧に読んで解説するのではなく,自分のアンテナに引っかかってくる部分で話を展開してみたいと思います。
では,どうぞ。
「たのスポ」3月号は,「固定遊具を考える」だ。
固定遊具とは,一般にいえば,学校にあるような鉄棒,ブランコ,ジャングルジム,雲底,肋木などだろうか。
その歴史を堤さんが解説してくれている。
論考のスタートは,永井道明の『学校体操要義』(大正2年5月)である。
大正2年というのは,1913年である。
僕は,歴史をやっている(というほどのことではないが,僕の佐々木賢太郎研究は,歴史的アプローチというのだ)ので,とりあえず,昭和元年=1926年,1900年=明治33年年,大正元年=1912年というのは暗記してある。
明治元年は1868年だから僕が生まれる100年前になる。
昨日読んでいた,柄谷行人の本には,明治10年代と明治20年代の違いが書かれていた。
というか引用されていた。
明治10年代というのは,自由民権運動に見られるように,ある種の理想を追いかける時代であり,その理想が破れていくのが明治20年代ということだ。
で,柄谷行人は例えば夏目漱石は,その挫折を感じて小説に内面が書かれるようになったと述べている。
もちろん,挫折だけではなくて,前にも書いたことだが,言文一致運動によって新しい表現方法を手に入れることで,内面が発見されるのだ。
その嚆矢とされるのが二葉亭四迷であり,『浮き雲』(1887(明治20)年)のことだ。
で,永井の『学校体操要義』は,大正2(1913)年だが,明治20年代というのは日本にとっては大きな時代なのだ。
それは教育にとってだけではない。
1890(明治23)年には,大日本帝国憲法が出され,同じ年に教育勅語が出されるのだ。
そして,1894(明治27)年の日清戦争から,1904(明治37)年の日露戦争,1914(大正3年)の第一次世界大戦,満州事変,第二次世界大戦へと進む。
ずっと戦争をしていたのである。
「教育実践」の零度の手前,身体とスポーツの零度 - 体育とスポーツの日記
に書いたように,明治の体育(体操)は,まずリズムに合わせて動ける,行進できる体を作ることに主眼が置かれた。
早い話が,みんなが号令にあわせて一緒の動きができることである。
日本では,スウェーデン体操が取り入れられるのであるが,ここに遊具というか体操の道具(肋木など)が入ってくる。
8頁の図に描かれるヤーンのアスレチックの道具など,ヤーンは今の器械体操の種目を考案した人である。
愛国者だったヤーンは,ナポレオンによって敗れたドイツを立て直すために,体操(トゥルネン)で青少年を鍛えるのだった。
そういう考え方が日本にも入ってきて,体操科がになったのだ。
体育は戦争に奉仕していました。ハイ。
ちなみに,僕が和歌山県の教育史を調べていたときに,スウェーデン体操のことが瑞典体操となっていて,最初は読めなかった。
「紐育」はニューヨークのことだけど,これは無理だよね。
で,大正年間というのは僕はよくわからないのだ。
日露戦争に勝利したからか,大正デモクラシーがあって,教育も大正自由教育(新教育)が出てくる。
このあたりは,世の中が明るい感じがするのだ。
どうだったんだろう。
ついでにいえば,先日の新聞の投書欄に,93歳の方の文章があった。
その文章に書かれていたことは,大体以下の通り。
第二次世界大戦が始まる前には,国民は娯楽を求めて,結構楽しんでいた。
ただ,政府は翼賛体制を敷くなどして,だんだんと自由が失われていく。
この国民と政府が対照的に描かれているのだが,これが今の日本と全く同じだというのだ。
このあたりの皮膚感覚というのが僕の中には当然だがない。
だから,なんとなく『はだしのゲン』の原爆投下前の雰囲気が,ずっと続いていたのかなと思ったりした。
『蟹工船』の小林多喜二が特高によって拷問死したのは,1933(昭和8)年のことだし。
生活綴方は,大体この頃に出てくるわけで,それが当局に取り締まりを受け弾圧されるのは1940年頃。
教育科学研究会(教科研)の解散もこの頃。
もう少し,このあたりの様子を知らないといけないね。
あれ。
堤さんの文章を読んでいない。
僕は読んだけどね。
こういうものです。
このブログは。