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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

教職ゼミの授業2014年後期-愛国と英語についてⅠ

こんにちは。石田智巳です。

 

今日も,月曜日の2限の教職ゼミの話です。

愛国心と教育について学生が中間報告をした内容で考えたことです。

では,どうぞ。

 

先週のこの授業の発表は,先日のブログにも書いた「諸外国の教育システムに学ぶ日本の教育について」と,もう一つ,「貧困と学力」であった。

今日の発表は,愛国心と教育,そして,小学校英語教育についてである。

貧困と学力についてはまたどこかで触れたいが,今日のテーマもまた面白い。

日本人として日本を愛する教育,それと,グローバル化に対応する英語教育であり,どちらも安倍政権が重視する教育だ。

 

しかし,この二つは両立するのだろうか,という疑問も出てきそうだ。

日本人だから日本を愛せよ,でも,グローバル社会なんだから日本を飛び出て活躍できる日本人を育てよ,ということにもなる。

どういうロジックでこの二つに整合性を持たせるのだろうか。

とはいえ,発表はそれぞれの班が独立して行ったので,彼らにそういう認識はない。

 

今日はまず,愛国心と教育についてみていきたい。

学生には,春先の自己紹介のときに,教育に関わってどんなトピックに興味があるかの話をさせた。

そのときに,彼ら彼女らは真面目だから,いろいろ調べてきたようで,その中の一人が,愛国心と教育について語った。

もちろん,イデオロギー的な批判とかではなく,純粋に日の丸・君が代の記事(おそらくネット上)に目がいったのだろう。

 

その学生が,自己紹介でその問題意識を披露してくれたときには,ややドキッとした。

今,愛国心といえば,中国・韓国における愛国心反日感情を生むことや,その逆に日本人の愛国心が外国人を排除する事件があったからだ。

これは,領土問題につながるし,また,その後,ヘイトスピーチのような問題も出てきた。

この問題はデリケートな問題だ。

 

それで,今回は二人の学生が報告をしてくれた。

研究の背景には,各教科,とりわけ社会科の教科書表記,教科以外でも,国歌斉唱と国旗掲揚が問題になっているという。

そして,学生の問題関心としては,いずれの強制も,憲法19条の「思想・良心の自由」を犯すものとなるのかどうかというところにある。

一方で,それは個人の思想だとする考え方と,他方で,その個人が属する組織のなかでの行動なのだから,組織に従うべきだという考え方とがあり,ここに対立点があるということである。

 そして,教育における愛国心の問題は,道徳教育の特設,日の丸・君が代の法制化,教育基本法の改正などから今に至っている。

 

早い話が,愛国心を上から与えるそのやり方がだんだんと厳しくなって,法律にその文言が盛り込まれたということだ。

いまでは,憲法19条と教育基本法の2条(教育の目的)のどちらに従うのか?ということか。

また,公的な存在としての教師の振る舞いと,私人としての教師というか個人としての振る舞いがあり,どちらが優先されるのか問題がある。

こういうのは難しい。

 

だって,「戦争は反対です。」「人殺しは良くありません。」

と公人として道徳的に教えたところで,戦争が起こったとして目の前で彼・彼女の家族が殺傷されれば,私人としてはそんなスローガンはどこかへ行ってしまうだろう。

公私なんて簡単に分けることはできないし,自分が私人としたとしても,他人はそうは認めてくれないから。

 

で,思想・良心の自由といったって,何でも好きなことをやったり,言ったりして,他人を不快にさせてはいけないのは当然だと思う。

かつて,養老孟司がその著『バカの壁』のなかで,「風呂屋で個性を発揮する人,葬式で個性を発揮する人」について触れていたのを思い出す。

あるいは,ハラスメントは受け手が決めること,というのも同じ。

 

だから,公的な存在として,儀礼のときには,夕飯のことでも考えながら歌ったふりをすればいいのにとか適当なことを思ってしまう。

しかし,それができずに,出席を拒否したり,ピアノ伴奏を拒否したり,歌うのを拒否したり,起立を拒否する行動に出るというか,出ざるを得ないのだろう。

僕なんかが軽く思う以上に,それほど彼らの心情は深刻なのだ。

 

もう一つ深刻なのは,それに対して取り締まるということだ。

口パクしていないかをチェックするという。

チェックする人は心を込めて歌っていないではないか。

なんて,突っ込みはしばしば入る通り。

そういえば,その元校長がパワハラで訴えられていたね。

 

どちらも譲れないようだ。

でも,愛国心って何だろうという質問が出る。

何だろう?

 

自国を愛するあまり,ヘイトスピーチや外国の反日教育のように,諸外国を傷つけるような愛国心の発露でいいの?

自国を愛するあまり,他の愛し方を認めずに,難しい顔をして,同じ国の人を非国民とののしるような愛国心の発露でいいの?

 

ある人がやってきて,「オレは国家だから,みんなオレを愛せ!」っていったらどうなんだろう。

①お前は愛するに足る人物(国家)だから愛する

②お前は愛するに足る人物(国家)ではないから愛さない

③お前には愛すべきいいところもあるが,愛せない部分もあるからそこは直したほうがいい

おそらく,③が普通の感情だと思う。

でも,こういう人物が出てきたらおかしいんじゃないって思うでしょ。

はじめから①以外の答えに憤りを覚えることがわかっているから。

なんて話をする。

 

彼らは研究を進めるときに,現場での調査も考えているというが,それは難しいのでやめた方がよいという。

そんなことは管理職だって,そうでない教員だっていえない。

それは公人としての発言なのか,私人としての発言なのか、と聞かれれば困るから。

 

この問題を選んだからといって解決を図るということを試みないで,対立点を探ることで見えてくるものがあるという程度にしたらいいと思うということを述べる。

 

2年前に大阪出身の学生が,大阪府教育基本条例について調べたことがあった。

難しくて手に負えないようだったが,大阪の教員になることを目指していた彼女は,何とか格闘して仕上げた。

そして(「そして,」ではないのだが),大阪府の教員になった。

 

日本の教育が,官製研と民間研という変な隔たりがあることも,この際知っておくのはいいことだろうと思う。

研究の発展に期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

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