体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのスポ』7.8月合併号を読む6-岡尾論考を読む

こんにちは。石田智巳です。

今日もまた『たのスポ』を読みます。今日は,岡尾惠市さんの『陸上ルール物語』です。あれこれと考えているうちに,まとまりのない文章になってしまいました。

では,どうぞ。

 

今日もまた『たのスポ』を読む。

いったい一冊読むのに何日かけているのか。

というか,このペースでは1ヶ月以上かかってしまうではないか。

そうか。

次の号は9月号だから,まだまだ時間はある。

というか,来月は『たのスポ』が来ないのだ。

ということは,来月のブログに『たのスポ』ネタが書けないではないか。

こちらの方が困った。

 

さて,今回取り上げるのは岡尾さんの論考である。

岡尾さんと気安く呼んでいるが,僕の父と同じ年である。

京都の大旦那さまという感じで,とても人がよい。

また話好きでもある。

岡尾論考は,「陸上競技ルール物語」というタイトルが示すように,陸上競技のルール変遷を中心とした歴史を扱っている。

岡尾さんが,陸上競技のルール研究をライフワークにしたのは,高校の教師時代に,背の低い生徒が正規のハードルでやることに文句を言ってきたこと、その彼にぞんざいな扱いをしてしまったことに端を発する。

これは,中村敏雄さんが『近代スポーツ批判』(三省堂,1968)を書くきっかけとなったのが,理論ではあったが生徒にやり込められたことで一念発起したことと似ている。

 話は変わるが、金八先生の第一話は,1979年の10月26日に放映されている。

そのなかで,金八先生が「みんなと一緒に勉強していこう」というと,生徒が「一緒に勉強しようだって」と驚いたように,バカにしたように云うシーンがある。

今では当たり前のように言われる「一緒に勉強しましょう」というセリフが,1979年当時では当たり前ではなかったことを示している。

 ましてや,1960年代に生徒が先生に文句をいったとしても,多くの場合,「うるさい。黙ってやれ!」となったのではないか。

逆に,安保などの影響で,高校生の方が権力に対して楯突く機運があったと云うことだろうか。

いずれにしても,今から約50年前に岡尾さんは,生徒の文句に対して「お茶を濁した」ことを反省し,そこから研究を始めた。

佳い話である。

 

話は、短距離走のスタートのルール変遷、ハードル、やり投げが扱われる。

やり投げでは、飛びすぎると規格が変わり、それまでの世界記録はチャラにされ、記録保持者も忘れられていく。

高校時代に陸上部だった僕は,規格が変わる前,ウベ・ホーンが104m投げたときのヤリを実際に投げたことがある(ホーンが投げたヤリそのものではない。念のため)。

もっとも,やり投げの選手ではなかったので,うまくは投げられなかったが,とにかく頭から落ちない,つまり,地面に刺さらないのだ。

では,なぜ規格を変えるのか。

それは基本的に、観客が見ることを前提としたスタジアムで行われるからだ。

サッカーとは、「11人対11人の選手が,審判と5万人の観客のみているスタジアムで行われるスポーツだ」、というイギリスのジョークがあった。

これとおなじで、衆人環視のもと行われることを前提としたルール変更なのだ。

 僕は、学生時代にハンマー投げの試合に出ていた。Jリーグができた後の広島スタジアムでは、小さな大会や記録会では,ハンマー投げだけはサブグラウンドでやっていた。

ハンマーが飛びすぎて観客が危険に晒されるからではない。

そう、芝生が痛むから。

観客が見るからというのは、レベルの高い話であって,競技レベルによっては,締め出しを食らう。

次の水曜日に行われるサッカーの方が大切なのだ。

 

岡尾論考で面白いと思ったのは、ベン・ジョンソンがスタートに関わるルール変更を睨んで、走りの作戦を考えたこと、しかし、上半身を鍛える必要が出てきたこと、そしてそれがドーピングに繋がったというところだ。

ソウルオリンピックは僕が大学二年のときのことだ。

単にロケットスタートベン・ジョンソンと,後半型のカール・ルイスとの対戦で,ベン・ジョンソンは,ドーピングで失格だと思っていたが,全然違っていた。

スタートのルール変更がジョンソンの走りを変え,さらには運命も変えた。

詳述はしないが,ルールも用具も含めて,記録の向上や更新のために払ってきた努力や工夫を考えるとき,故金井淳二技術論を思い出さずにいられなくなる。

これについても,また別の項で触れたい。

 

あとは、陸上競技は、今ではメートル法が採用されているが、かつてはヤードやフィートが用いられていたというところも面白い。僕らの感覚からすれば,どうして10進法でないのだろうかとなる。

もっとも日本の度量衡でも,一寸,尺,間などが用いられていたのだが。

僕は、1991年の東京世界陸上のときにはミクロネシアにいた。

そのころ、棒高跳びでは、セルゲイ・ブブカが一人勝ち状態であった。

ブブカは人類で初めて6mを超えたポール・ボールターだが、もう一つ世界初があった。

それは、世界で初めて20フィートの高さを超えたアスリートだったということだ。

Time誌に書いてあった。

20フィートは6m9cmぐらいだ。

アメリカンの度量衡だ。

僕の身長は180㎝。

5フィート10と7/8インチだ。

なぜ二つの単位?

ポンドとオンスもそう。

 

あれこれとまとまらない話を書いてきたが、これで最後。

かつて、オリンピックの投擲種目には,両手投げがあった。

ヤリや砲丸を両手で投げるのはない。

右手で投げて,左手で投げて,その合計を競うというのだ。

こういう発想は,バランスのよい調和のとれた身体に仕立てるというところから来たのだろうか。

今はないということは,そういった価値がオリンピックにおいては認められなくなったということである。

しかし,学校体育では一つの考え方であろう。

学生に模擬授業で,投運動をさせると,うまくできる子は自然と利き手と逆の手で投げたりする。

課題が易しすぎれば,自ずと難しい方へ向かうのだろう。

 

ルールの変遷を知ることで,学校体育で行う教材は,必ずしも現行のルールでやらなくてはならないことが相対化される。

しかし,それらを知らないと,ルールは守るものという道徳と結びついた体育が横行することになる。

ルールは守る前に,やりたい人がやりたいルールでやればよい。

授業では、「みんなにとっていい」ルールをいかに作るかが最初の課題である。

 

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