体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会はなぜ体育理論を大切にするのか  -成瀬コラムも絡めて

こんにちは。石田智巳です。
 
今日は,昨日の岡尾さんの論考の続きになります。
とはいえ,内容が続くということではありません。
 
「体育同志会はなぜ体育理論を大切にするのか」について書いてみたいと思います。
途中で,成瀬さんのコラムにも言及します。
では,どうぞ。
 
 
この合併号がまさにそうなのであるが,体育同志会では,体育実践(運動実践)のみならず,体育理論も大切にする。
当然のように, 体育理論という分科会も存在する(成瀬さんは、自虐的に「タイクツ」理論という)。
『教室でする体育』(創文企画)という本も小中で2巻出ている。

なぜ,体育理論を大切にするのか。
おそらく,体育同志会に集う若い人のなかには(あるいはもしかしたらベテランも),この理由がわからずに,「体育同志会はそういうものだ」と思っている人がいるかもしれない。
 
ところで,中学校の学習指導要領では,2008年改訂(2012年施行)から「体育理論」という領域ができた。
それまでは,「体育に関する知識」であった。
 
この「体育に関する知識」は,運動の仕方や,効果に関わる知識が中心であった。
それが,特に3年生では,「文化としてのスポーツ」を学ぶことが取り入れられた。
 
そう,まさにスポーツは発達刺激(体力つくり)の手段としてだけではなく,「歴史的,社会的な文化」として存在していることを,ようやく学校で教えることになったのだ。
これは,素晴らしいことである。
 
しかし,同志会ではその「う~んと前」から体育理論を大切にしている。
最近の動向については,2012年の「ながくて大会」の提案集の中瀬古基調提案に詳しい。
それによれば,分科会ができたのは1992年の知多大会からだという。
「う~んと前」ではない。
が,「復活?」されると書かれている。
 
正確なことを報告することを目的とするわけではないので,細かい経緯は省く。


これは,おそらくではあるが,体育同志会の初代委員長だった故中村敏雄さんの影響であろう。

中村さんは,創設者の故丹下保夫さんの後,体育同志会の理論的な中心人物であった。

その中村さんは1971年に『体育科教育』という雑誌の8月号で,「学校体育は何を教える教科であるか」という論文を発表する。

この1971年というのは,高等学校の学習指導要領改訂(1970年)の翌年にあたる。

この指導要領は,東京オリンピックでの欧米の選手との体格差や体力差の指摘を受けて,また企業が求める体力のある人材の要請に応えて,体力つくりを学校に要求するものであった。


この指導要領が,体育を,あるいは体育教師を,体力つくりの手段に貶めることを批判したのが,中村論考であった。

とりわけ,コーチでもない体育教師の役割とは何かを問う。

中村さんは,学校体育の役割として,「運動文化の継承と発展に関する科学を教える」ものとする。

そして,その内容としては,「高校段階で」と断りを入れた上で,①運動文化の歴史,②運動技術の科学,③運動生活の組織の3領域をあげる。

 学校体育の役割を考えるとき,運動技能を身につけることはその一部でしかない。
体育同志会では,体力をつけることは否定はしないが,あたかも戦前の身体教育(といいながら,精神面の教育)を思い出させるので,積極的に肯定するものでもない。

中村さんは,限られた体育の授業では科学的な内容を教え,さらに運動がやりたい人は,部活動などでやればよいと考える。

運動文化論は,高度化して一部の人しか楽しめないスポーツのあり方そのものを考えようとする。

よりうまくできるような指導方法や科学的な指導法の追求・・・・技術

社会に出たときにスポーツがしたいと思うのであれば,どういう組織を作って,どこにどう働きかければいいのか・・・・組織

スポーツをよりよい方向に発展させるのであれば,どこをどう変えていけばよいのか(ルール学習を含む)・・・・歴史

ここで中村さんは,体育理論の重要性を訴えるわけだ。
 
その後,1970年代の後半期には「体育の学力論議」が浮上する。
それと並行するような形で「スポーツ権」にかかわる議論が浮上する。
ここは,重要な議論であるが,ここで細かい話をすると,話を難しくするだけなので,議論については触れない。
 
が,ただ「権利としてのスポーツ」については一言述べておきたい。
『たのスポ』合併号のコラム,成瀬徹「女性スポーツの黎明期に思う-女性陸上競技の発展史にふれて-」(30-31頁)を読むとよくわかる。
 
成瀬さんはコラムで,人見絹江を取り上げた体育理論の授業を紹介している。
そこでは,女性スポーツの黎明期には,今では想像できないような苦労があったこと,それを乗り越えてきたこと,そして今では普通に女性がスポーツをしているが,そのための橋頭堡となったことをあげている。
しかし,授業で行うと,下手すれば「偉人伝」のようになってしまうともいう。
 
そうではなく,成瀬さんの次の文章(最後の一文)が重要。
 
「いつの時代も権利は与えられるものではなく,自ら掴み取るものだということ,そして,それは“今の時代”も間違いなくそういう状況にあることを学び取ってもらいたいし,『人見絹江』を偉人伝や昔話にしてしまうのでなく,スポーツの未来を拓く題材として”今”に生かしていきたいと思う」。
 
この一文に体育同志会のスタンスが表れている思う。
 
教科内容研究(別項で説明する)が始まり,体育理論分科会ができて,会に集う多くの教師がスポーツについての知識について学び,それを授業で実践しようとした。
 
そのときに,中村さんは「物知りを育ててどうするのですか?」と揶揄したという。
 
自分が理論の重要性を指摘しておきながら,「そんなこというか?」と思う人もいるに違いない。
 
単に歴史の知識を持つこととが大切なのではない。
成瀬さんがいうのは,単に「知っている」ということではなく,「行動できるために知る」ということである。
それが,成瀬さんの言う「子どもの必要」なのであろう。
 
中村さんの言い方では,「運動文化の継承と発展に関する科学を教える」のであり,継承・発展のために歴史を知るという形になっている。
継承と発展の筋道をつけることなく,単に歴史を教えるのではない。
 
もちろん,行動の仕方をどう教えるのか,そのために体育では何を教えるのかという問題もある。
でなければ,心構えの問題になってしまうからだ。
 
少なくとも,今の立憲主義が危機を迎えている時代だからこそ,民主的な行動の仕方をどう教えるのかは重要なテーマである。
 
ところで,中村論考(1971)を読むとわかるのだが,中村さんは「運動すること」の位置を相対的に下げている。
 
1970年代に学校体育叢書が出された。
これは,様々なスポーツの基礎技術や指導の発展性を示す系統性の研究を,まとめたものが中心であった。
それがようやく刊行されようとするそのときに,「うまくしてどうする?」と問いを発したのも中村さんであった。
 
その後も,「なぜ日本人が運動しなければならないのか」という問いを発したり,近代スポーツ害悪論を唱えたりもした。

このあたりは,会の中でも批判的な意見もある。
もっと,運動ができるようにすることにこだわってもいいと考える人もいる。

 体育同志会はまったく一枚岩ではないから。
 
 *なお,本文中の解釈は石田の勝手な解釈によるものであることを断っておきたい。
 
 
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