『たのスポ』7.8月合併号を読む5-リレー実践を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日も『たのスポ』7.8月合併号です。
この号に載っている実践のうち,大阪の川渕和美さんの実践をとりあげます。
若くてとても意欲的な実践家の労作です。
こんな風に実践をして,記録が書けるようになりたいものですね。
では,どうぞ。
「リレーのおもしろさを探る」川渕実践を読む
大阪の川渕さんのことを知ったのは,ながくて大会の最終日のことだ。
だから,2012年の8月のことである。
今でも鮮明に覚えている。
体育同志会の全国常任のうち,研究局(僕は局長)のメンバーは,分科会で報告したり運営するメンバーを除いて,基本的にはフットワークを軽くしておく。
僕らは,夏大会の前に届く提案集に目を通し,「これは面白いかも」と期待がもてる内容の実践報告を出し合う。そして,分担して各分科会会場に聞きに行くのだ。
そうして,後でそれらを持ち寄って,大会のテーマなどとあわせてみて,「注目の実践」なるものを選ぶ。
僕は,閉会行事のときに大会のまとめをする立場にあるので,閉会行事の前の時間に報告する内容を作っておく。
ながくて大会のときには,直前になって,前研究局長の岨さんが次のように言ってきた。
「中学年分科会に面白い実践があった。まだ若い人だけど,よくまとまっていた。運動論からいっても,取り上げるとよい」。
「で,何がどうよかったんですか?」と僕。
「う~ん。それが一言では言えんのよ。でも,とにかくよかった。」と岨さん。
まるで,先生と児童の会話のようである。
全く要領を得ないので,紙に書いてもらうことにした。
それをまとめて,東京の川端さんの実践とともに大会のまとめで報告した。
実は,そこで話した内容は全く覚えていない。
だって,見てもない,聞いてもない実践,読んでもスルーした実践を,あたかも自分が見たかのようにしゃべったのだから。
それが,川渕実践であった。
その後,川渕さんには,同じ年に教科外(運動会)を扱った冬大会(犬山市)で登壇してもらった。
その内容がとてもよかった。
自分たちで人選して,自分たちで褒めるのを自画自賛というが,まさにその通りであった。
何がよかったのかは,後で記す。
まずは,『たのスポ』の実践記録である。
これがとにかくいい。
僕のバイアスのかかった文章を読むよりも,ぜひ直接本文を読んでほしい。
大阪の実践者はよく鍛えられている。
一昨年の神戸での教研集会のときも,若い梅山さんがよくまとまった報告をした。
川渕さんも若いのによく鍛えられていると思う。
1で実践の背景が語られるが,これは指導案でいえば,児童観,教材観,指導観にあたる。
仕方のないことだが,学生に書かせても,思い浮かべて書くので,全くリアリティがない。川渕実践はここがはっきりしている。「遠慮があり,本音で語らない」子どもたちに,科学的な内容を媒介にして,「こう変わってほしい」という教師の願いが書かれている。
リレーの中味については,端折る。
本文にあたってほしい。
子どもたちの生活課題や発達課題をどう読み取って,どのように教材をぶつけていくのか。そして,それによって,子どもたちの固定した競争観や能力観をどう変えていくのか。
同志会の言葉で言えば,どう「意味の問い直し」をさせるのか,というストーリーが,川渕さんにはある。
しかし,このストーリーは,川渕さんの中にはじめからあったわけではない(と思う)。報告し,意見をもらい,またの機会に報告し,さらに今回の『たのスポ』に報告することが決まるなど,度々の機会を得て,自分の実践と向き合うなかで整理されてきたのだと思う。
教師の成長はこれを丁寧にやることでなされる。
これを若いうちにやってほしいということである。
自分以外の視点を持てるかどうか。
さて,冬大会で報告されたのは,リレーの実践であったが,運動会実践でもあった。つまり,『たのスポ』の実践報告は1学期の報告であり,冬大会では,2学期以降のこと(秋の運動会や参観日で親に披露すること)も含めて報告されたというわけである。
ということは,はじめから運動会というゴールに向けて年間計画を立てて進めていたわけではなかったのだ。
教師と子どもの(結果として)一致した思いが,突き動かして運動会に発展させた実践であった。
ところが,現実的な問題があった。
それは,川渕さんが運動会でリレーがしたいと思っても,これまでその学校ではリレーをやっていなかったのだ。
結果的にはやれることになったのだが,では,どうやってやれることになったのか。
ここが,冬大会の報告の一番面白いところであった。
これについては,全体会場での報告はなされなかったが,僕が司会の分散会会場で語られた。
以前より,川渕さんと同僚のベテラン教師である安武さんが,若い先生や脈のありそうな先生に呼びかけて,月に一度本を読んだり勉強する会を組織していたのだ。
そこでは,大阪の教育のこと(当時は教育基本条例など)や教育観,子ども観を身につけることを目指して行われていたようである。
その学習会に参加していたのが5,6年生の担任であった。
しかも,川渕さんがリレーをやってみたいと思っていたように,6年生の担任は組み立て体操ではなくて,ダンスや舞踊のような表現運動がやりたいという思いを持っていたのである。
そこで,若い川渕さんが,今年の運動会においては,各学年の時間というか種目を設けたいという提案を行ったのだ。
そして,それに彼らが賛同して,結果として川渕さんの思いが成就した。
これはすごいことである。
若い教師は,自分がやりたいことがあっても,学年の意向や学校の意向に従わなくてはいけないことが多い。しかも,その意向が子どものためではなく,教師の都合であることが多いとも聞く。
気合いを入れた学級通信で,子ども同士を結びつけたり,親に子どもたちの様子を報告しようと考えた若い先生がいた。
しかし,同じ学年の先輩教師からは,安いやり方にあわせられて自由に出せなかったという。
もちろん,川渕さんには安武さんというすぐれたベテラン教師の支えがあった。
本人の意欲もすごい。
ところで、優れた実践を多く排出してきた体育同志会の課題はここにある。
個々の実践家の実践はすぐれている。
それを支部やサークルで伝達する機能もまだ維持できている。
しかし,それを学校のカリキュラムにしたり,同僚と協力してやるところまではいっていないのではないか。
あったとしても少ないのではないか。
同志会実践を広めるといったときの「弱さ」といってもよい。
同志会だけではないだろう。
教師集団の組織,同僚性の構築の問題である。
難しい部分だけどここが課題である。
要するに,正論を言えば,誰もが立ち止まって熟考してくれるかと言えば,必ずしもそうではない。
取調室で犯人を落とすときには,「カツ丼」が必要である。
同様に,相手に自分の意見を通そうと思えば,何か仕掛けが必要になるということである。
若い人には,難しいところではあるが,それも会の研究課題にしていきたい。