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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の全国大会(熊本支援東京大会)その1

体育・スポーツ 運動文化論 研究会・集会

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は月曜日でもないのですが,記憶が風化してしまう前に,体育同志会の夏大会について書いておきたいと思います。

ただし,2月ぐらいから全然ブログを書いていなかったので,書き方を思い出すのに時間がかかりそうです。

なので,とりあえず思い出したことを,なるべくまとまるように書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

今年は,体育同志会の全国大会は,熊本・阿蘇での大会が予定されていた。

しかしながら,4月に起きた地震の影響で,5月に断念を決定。

その後,東京支部が大会の開催を引き取って進めてくれた。

日程も,7月末から1週間あとにずらした。

 

これにより,大会参加がかなわない人も出てきたし,ずれたから可能になった人もいた。

ただ,僕の見た印象では,提案者で来られなかったという人が何名かいて,そのことが気になった。

東京が引き取ってから約2ヶ月半で本番。

普通,8月の大会要項は4月末にはできて,5月の中間研究集会で配布。

しかし,中間研で引き継いだため,枠と内容を用意するのが精一杯だっただろう。

そこに,情宣,組織もとなると,これは望みすぎだろう。

それでも,300名を越える(1名だが)人数が集まったことはよしとしたい。

今後,コンパクトにしかできないかもしれない現地支部を,今回のやり方が勇気づけることになるのかもしれない。

 

今回は,吉祥寺の明星学園をお借りすることができた。

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吉祥寺駅から井の頭公園の中を通って,歩いて15分ぐらいのところにある。

井の頭公園といえば,なぜか「俺たちの旅」の中村雅俊さんだ。

「夢の坂道は~,木のはーもようのいし~だたみ,・・・・,も~の~なのです~」

いやあ,夕陽が丘の総理大臣にしても,なぜか中村雅俊さんが好きだった。

鎌田敏夫さんの小説も読んだ。

「男は淋しいものなのです」

東京の良江さん(僕より約一回り上)に,「知っているの?」といわれてしまった。

でも,どうやら再放送を見ていたようだ。

 

というわけで,よくわからないけど聖地なのだ。

そういえば,今,「青春」って言葉は使わないね。

昔は,みんな「青春」を歌っていたけどね。

 

そして,なぜかよくわからないけど,西側の池の橋のそば(北側)には,イナゴと蜂の子の缶詰が自販機で売られている。

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オープニングは,明星学園の生徒による太鼓の演技。

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暑いなか本当にありがたかった。

そして,委員長挨拶だが,今回は全国常任委員長が,大会実行委員長でもあった。

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そして,基調報告。

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今回は熊本支部に用意してもらっていたので,熊本の方に報告していただいた。

現地にお願いすると,つい自分たちの主張を中心にしがちとなるが,彼は体育同志会のあゆみや研究の到達点と課題という僕ら全国常任委員会で書いた部分も紹介してくれた。

 

そして,熊本支部が大切にしてきたことと,全国研究の流れから,「『わかる』の意味を問い直す『はじめの一歩』」をテーマとしてその内容が中心となった。

「わかる」というのは,「わかる,できる」といわれたり,「わかち伝える」というときの,「わかる」であり,「できる」ことにとどまらない,知識や認識の側面を表している。

 

この「わかる」ことについては,これまで割と無自覚に扱ってきたところがあるので,意味を問い直そうという提案だった。

さらに,昨年のみのお大会が60周年記念大会であったのに対して,今年は体育同志会61年目であり,その意味で「はじめの一歩」を踏みだそうという意味も込められていた。

今の指導要領が,「わかる,できる,学びあう」に近いものとなっていたが,体育同志会が「わかる」ことを言い出すのは,1970年代のこと。

これには二つの意味があった。

 

1960年代以降,技術指導の系統を徹底的に考えていくなかで,一定うまくすることができるようになってきた。

その際に,現場からは,特に球技などで子どもたちがうまくなったということをどう考えればいいのかということが教師たちの間の関心事となった。

それが,例えばサッカーの心電図であり,パスのつながり図,相関図の開発である。

もともと教師が子どもの出来具合やわかり具合を知るために作られて,その後,子どもたちの身体運動の分析-総合のツールとなった。

 

もう一つは,そもそも教師が「うまくしたところでそれがどうしたの?」という問いかけがあったことだ。

もともと体育同志会は生活体育論だったわけで,その眼目の一つは民主義的な集団づくりにあり,グループ学習とは,まさに民主主義を意識したものだった。

当時のグループ学習=アメリカ直輸入の民主主義の方法は,後に伊藤高広さんから「訓育的なにおいが強かった」というような引き取り方をなされた。

この訓育色の強さは,スポーツ教育モデルでも,責任学習でも同じ。

なぜならアメリカ的だから。

 

ああ,離れてしまった。

「うまくしてどうするの?」は,何度も書いているけど,「それと同時に」他には何を?という問いかけでもある。

1970年代の半ばに「スポーツ権」が云々されるけど,もともと権利としてのスポーツという言い方は,63年頃にさかのぼることができる。

スポーツを我が物にするためには,できるだけではダメ,組織作りだけでもダメ,歴史を知ることや,スポーツ機構の成り立ちや,ルールの持つ機能やルールを変えるためには知るべきことがあるわけで,後に,技術性,組織性,社会性というように,運動をする以外のスポーツ権に関わる内容を教科の内容に入れていこうとした。

だから,体育同志会の理論は難しくて,理解しにくいのだが,こうして,「わかる」内容を考え,実践し,目標に構造化しようとした。

 

だから,高橋健夫さんやオランダのバート・クルムの目標構造と体育同志会のそれとは全く違う。

しかも,体育同志会のなかも理解というか,力点の置き方は違ったりして,結構あわなかったりする。

そんなもんだけどね。

 

ということで,基調提案で「わかる」話が出たところで,紙幅の都合で(というのはウソだが),今日はこれで終わり。

 

 

 

 

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