明け方に変な夢を見ました。
こんにちは。石田智巳です。
今日は変な夢を見た話です。
フロイトの「夢判断」という本もあるぐらいだから,なにかの意味があるのかもしれません。
すごい抑圧されているという指摘を受けるかもしれませんが,妙にリアルで覚えているので,ここに書いておきます。
では,どうぞ。
かつて,内田樹さんの書かれた「映画の構造分析」だったかで,映画『大脱走』についての分析が書かれていた。
この場合の「構造」とは,映画の構造であるが,むしろ,構造主義的な意味での目に見えないけど背後で働いていて,その物語を成り立たせている構造のことをいう。
構造主義者のいう構造とは,例えば,レヴィ=ストロースの親族の構造が有名だ。
あるいは,マルクスの上部構造と下部構造なんかもある意味では,構造主義的だ。
人の意識や思考は,その人が所属する階級によって違うとかいうやつだ。
『大脱走』では,フロイトの抑圧の考え方が出てくるが,その解説が見事というほかない。
旅行鞄,トンネル,言葉にはどういう意味があるのか,途中で捕まる人と逃げ切る人の違いは何かなどが,全部フロイトで説明された。
フロイトは,男の子は母親を愛して自分のものにしたいけど,そこには父親という存在があって阻まれる,性的抑圧の物語を基本に据える。
それはオイディプス王の伝説であり,村上春樹の『海辺のカフカ』や『美味しんぼ』の物語にも使われている。
人間は無意識の抑圧があって,意識もそれに支配されている。
そして,それが時々顔を出す。
そこに夢が一役買うようだ。
確かに,夢は意識的であるが,無意識的でもあるという両義的な存在だ。
で,僕の見た夢は以下の通り。
なぜか(夢はいつも「なぜか」なのだ),家族と空港にいて,飛行機に乗って外国へ出かける。
そして,ついたら夜にサッカーの試合にでる。
青い日本代表のユニフォームを着て,僕はピッチに立っている。
大観衆の中,黒人選手たちを相手に,僕は真ん中から左の2列目あたりで,飛び出しをねらっている。
でも,足下がおぼつかないのが中途半端にリアル。
左足でシュートするも,惜しくも左サイドにはずす。
試合は終わって,着替えて日本に帰ろうとするが,次の試合もあるので今夜はここで宿泊するようにいわれる。
「え~,そんなこと聞いていないよ。明日の会議を休まないといけないから,学部長に電話を入れなければ・・・」。
さらに夢の中では場面が変わって,何でこんな夢を見ているんだろうと思っている自分がいる。
夢の中に出てくる僕がサッカーの試合に出るという夢を見るという複雑な構造なのだ。
手に取ったワカメの袋の裏にいろいろ書かれている。
それを読むと,今のスポーツは一部の人のものになっているので,改革案が必要だ。
年齢男女にかかわらず,みんなが楽しめるにはどうしたらいいのか,というような案が書かれている。
ということは,僕がサッカーをしたという夢は,そんな体育同志会的な発想が夢の中で実現したということか。
この夢のややこしいのは,設定は僕の夢の中で,僕がサッカーをするという夢を見るという二重構造となっていることだ。
夢のディーテールをとやかく言っても仕方がないのだが。
さっき書いていて思ったんだけど,僕は今週の火曜日に教授会を休んだ。
5時頃に研究室で仕事をしていたら,専攻の先生から専攻会議が始まります,というメールが届いた。
そのメールが届くと同時に,電話で,「教授会が終わったので,専攻会議が始まります」といわれた。
意味がわからなかった。
今日は教授会の日じゃないし,なんで専攻会議?教授会?
とにかく,会場に行ってみると,教授会が終わった後の専攻会議だった。
いつも,教授会は各週の火曜日で,だいたい5時過ぎまでやっている。
この日は6時から教育実習のガイダンスがあったので,以前,専攻会議はやるかやらないかという話をしていた(メールで)。
そのため,僕は専攻会議を別の日に設定したと勘違いをしていた。
正確には,別の日にも設定したが,火曜日も時間が許す限りやるだった。
で,専攻会議がない=教授会もない,と間違った情報(かなり都合のよい情報)のみが,頭に残っていた。
サボったなら,自分の意志で決めたことだからあまり後悔はしないが,僕は結構こういうときに後悔してしまう質なのだ。
まさか,そのことが僕を海外(アフリカと思われる)にいかせて,日本代表として試合に出て,次の試合にも出るから,教授会を休まなくてはならないという電話をかけるという状況に追い込んだのだろうか。
ちなみに今の学部長は体育同志会の会員だ。
ちなみに僕はサッカー少年だった。
どんな抑圧なのだろう。
で,そこから日本に帰って,全然違う話が展開された。
なぜか(やはり「なぜか」),実家のそばで,僕の母親と子どもたちと一緒に車に乗ってある家へ行く。
僕はよく知らないのだが,一度,母とその家を訪れたことがある(という設定)。
それで,母はその家に上がると,書棚とかをあさって,ノートなどを出してくる。
そこに書かれていた落書きというか,子どもがノートの端に描いてある絵を指さしてみせる。
そこには簡単なチョウチョの絵が描かれている。
実は,その家(古い家)の壁にもマジックでそのチョウチョの絵が描かれていた。
母は,前に一度訪れたときに,この絵を見てなんかの引っかかりがあったが,それがわかった,でわかったからまた来たというわけだ。
その絵は,同級生の子(といっても母は70代半ば)がよく書いていた絵だということが思い出されたという。
それにしても,それを確かめるために,他人の家の書棚を開けて回るというのはどうかと思うが,それも夢の中のことだ。
さて,この夢はいったい何を暗示しているのでしょう。
フロイトさん。
教えてください。