体育同志会の支部ニュース(広島支部3月号)
こんにちは。石田智巳です。
僕のところには,体育同志会のいろいろな支部からニュースが送られてきます。
いつも読んでいて感心することも多くあるのですが,このブログではあまり取り上げたことがありません。
今回,広島支部ニュースの記事を取り上げてみたいと思います。
では,どうぞ。
先週末の福山での研究会で,僕は実践記録について報告した。
そのときに,広島の中瀬古さんが,「今月の広島支部ニュースにも書いてあるが」と前置きをして,「最近の若い先生は書くことが少なくなった」ということをいっていた。
ここでいう「書くこと」というのは,実践記録を書くというよりも,何かあったことをメモるということである。
あまり具体的なことは書けないのだが,単純にいえば,「書けないから見えない」あるいは「見えないから書けない」ということであろう。
何度も言っているように,「見えるから書ける」のであり,そのためには,「書くことで見えるようにする」ことが大切なのだ。
先日も,近くの小学校の校長先生が,学校ボランティアに来てくれた学生さんのなかには,非常に気がきく学生と,なかなか気づかない学生がいるといっていた。
そういう気づかない学生を育てていかないといけないという。
あまつさえ先生という仕事が多忙で大変なのに,ボランティアで手伝ってくれるべき学生の指導までしないといけない。
発言が前向きである。
で,なんで気づかない学生なのか。
ボランティア活動の終わりに,今日の出来事を書かせるが,書けないという。
書いた中味を見て,「これだけ?」とつい言いたくなるそうだ。
その学生もゆっくりと思い出せば,いろいろなことがあったことはわかるのだろう。
しかし,その出来事にどんな意味があるのかがわからなくて,書けないのだろう。
だから,物語にすることができないのだと思う。
ということで,広島支部ニュースの中味。
「実践記録のススメ」と直球である。
(今さら?)とついているが。
その先生が大掃除をしていたときに,若い頃に(今も若いと思います。はい)書いた実践記録が出てきたという。
「手書きで毎日のように学級通信を発行し,ラグハンドボールの授業で書かせた子どもの感想文を載せ,帰りの会で読み合せて交流させていた。翌日には,戦略を考えるための次の課題を通信に載せて配っていた」。
「ひたすら体育と学級作りに時間を費やしていたんだろう」。
で,今それができるかと言えば,「NO!できっこないなあと思う」そうだ。
「でも,自分の仕事を記録として残す作業だけは,細々とでもいいから絶やさずに続けていかなければと思っている」。
なぜならば,「記録を残すと,必ず後から振り返って得られることがあることが最近分かってきた」からだ。
以下は,省略するが,自分の実践記録や,児童の様子の記録が役にたっているという。
そして,最後に,「記録だけは,何が何でもとりなさい!」と「ススメ」だったのが,口調が強くなっている。
それだけ,記録をとるということが血肉となっているという実感を感じていることなのだろう。
実践記録を書く(それ自体はとてもエネルギーがいる)ことは,自分の見えたこと感じたことを物語にするのだ。
だから,自分の生を綴り,自分の生の記録を残すことになる。
これは検証していないので,単なる僕の主張というか,思いつきでしかないが,おそらくであるが,苦労して実践記録を書いた経験があるから,子どもの様子がメモれるし,その出来事の自分にとっての意味がわかるのだと思う。
自分にとって意味あることだから,気づいてメモに残せるといった方がいいかもしれない。
ところで,若いときに苦労して実践記録を書く,いろいろ試してみることは本当に大切だと思う。
体育同志会には,若い頃にものすごく「入れ込んだ」経験を持っている人が多いようだ。
そして,それに比べると今はそうでもない,「生ぬるい」という反省をする。
年をとっても,記録を書き続け,手を抜かないで実践をする先生も多い。
岨さん,堤さん,中川さん,ひづるさん,上野山さんなんかそうだ。
でも,おそらく若いときはもっと「入れ込んでいた」と思う。
僕もそうだった。
バスケットボールの実践では,毎回グループノートに手を入れ,感想に朱をいれ,データもとってまとめた。
教授会の時間にやっていた。
今は体育実践をもっていないし,ペース配分が必要だと思うので,やはり手抜きになっている。
塩貝さんは,実践記録ではないが,きちんと毎時間の学生の感想文をデータベース化して,その変化を読み取って,しかも学生に返している。
ああ,何が言いたいかというと,若いときに入れ込めば,それが血となり肉となり,貯金ができるということだ。
お金が貯まるということではないよ。
自分の物語を書くための枠組みや,実践を読むための思考の枠組みができるということだ。
もちろん,書くだけではなくて,他の人の記録を読んでそこに意味を感じ取るだとか,書いたものがたたかれるというか,斬られるというかそういう経験も必要だ。
たたき方や斬り方という問題もあるのだが。
ということで,僕もやはり「実践記録のススメ」なのだ。
僕が毎日毎日せっせとブログを書くのにもそういう意味があるだと思う。
ちなみに,その広島の先生が川のそばの小学校に勤務していたときに,僕は一度授業を見せてもらったことがある。
それも外でラグハンドだったような気がするが。
そのときの実践かな?
最後に,子どもたちが「あなたはミスターXですか?」と訊いてきてキョトンとしたことを覚えている。
僕もまた,あのころは授業を見ても見えるものが少なかったと思う。
機会があれば,別の支部のニュースも取り上げてみたいと思います。
追記
確認したところ,「ミスターX」ではなく,「ミスター・ラグ」だったそうです。
ラグハンド=ラグビーのようにボールを持って走っていいハンドボールのことです。