体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのスポ』10月号 平田論考を読む1

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は台風が来ると云うことで,早くに走りに行きたいところです。

なお,昨日はスポーツ推薦の入試の面接でした。

 

今日は,逡巡がありましたが,『たのしい体育・スポーツ』10月号の平田論考を読むことにします。

平田さんの難解な論考を,僕がかみ砕いて易しくしてみなさんにお届けする,というわけではありません。

これを読んで考えたことを書いてみることで,自分の思考を見てみるという作業をします。

では,どうぞ。

 

平田論考は,「運動文化論の中でスポーツをどう語ってきたか」である。

これは重要な問いであるが,難しい。

どう語ってきたかは,昨日も書いたが,誰が主語なのかによって違う。

だから,多様な語り方がある。

そして,それぞれの語り方を紹介するということにすればよいが,それでは面白くない。

だから,平田さんはどのように与えられた6ページで論を組み立てるのか。

これが興味深いところ。

 

「はじめに」を読む。

「編集者から与えられた課題は私には荷が重いものである」,で始まる。

平田さんにしては弱気。

もちろん,これに強気に応えてみせようという夜郎自大の方が少ないだろう。

 

平田さんも,弱気の理由として,「主語がはっきりしない」ことをあげている。

くわえて,運動文化論をどのようなものとして捉えるのかという難しさの理由もあるようだ。

 

平田さんの運動文化論のとらえ方は,上手いと思う。

論を実体として捉えようとするのとは違い,「時々の社会と学校の中で,運動文化に対する見方・考え方を『論』として展開してきた」というわけである。

だから,その時々の社会情勢や教育状況によって,あるいは語る者によって,論の対象や語りの重点もするわけであり,関係の中に浮かび上がるものなのである。

 

そして,運動文化論を「学校と社会という,中心軸を2つ持つ,楕円のような広がりを持つ」ものだと考えて,2つの側面から「運動文化論とスポーツ」を取り上げることにする。

さらに,運動文化論の今日的立脚点を,スポーツ基本法との関係で述べる。

 

もうすでに,学校と社会という空間,1955年から2011年までの時間的スパンの大きさにめまいがしそうである。

 

1.学校の視座からの運動文化論

(1)体育科教育の成立根拠あるいは目的としての運動文化論とスポーツ

 

ここでは,運動文化論の誕生の経緯が語られる。

よく知られたように,(自らも含めて)当時の体育理論(拠って立つ立場)を総じて,下請け体育だとして,そこから運動文化の追求だとか,運動文化の継承・発展などといった言葉で,体育の目的を語る。

 

(2)「教材(研究)論」としての運動文化論とスポーツ

 

当時の丹下さんは,「近代スポーツの中にある『人間疎外』装置を批判・克服し,国民運動文化として発展・創造させようという『教材』論としての『運動文化論』を基本的性格」として構想していた。

 

僕は,丹下さんの発想の転換というのは面白いと思う。

もともと生活体育論は,子どもの遊びやスポーツを学校に持ってきて(持ち込んで),それをより良いものにして生活に返すという非常に素朴なものであった。

戦後になって,ようやくスポーツが義務教育学校で行われるようになったわけだし,子どもの遊びには,ヤミ屋ごっことかあったようだから。

そして,一日の子どもの遊び時間が3~4時間もあったわけで,その時間を有意義なものにするという体育論であった。

 

遊びを指導するというちょっとお節介な体育論だった。

でも,戦前のように子どもの興味関心を全く考慮に入れずに,体操をやらせるという体育の対案づくりで構想されたのだ。

 

そこから,地域を視野に入れたカリキュラム研究,行事単元,自主や自治を大切にするグループ学習,ガイダンスなど,えらく複雑で煩雑な生活体育学校を構想する。

というか,どんどん膨らんでしまう。

丹下さんは,自分の頭で考えた体育の問題点を解決していき,新たな問題が生まれるとまた解決の方法を考え出し,それを繰り返していったのだ。

 

そこから,さらに紆余曲折を経て,「運動文化」に着目するわけである。

繰り返すと,生活体育論のはじめは,子どもの遊びをより良いものにして生活に返すことを目的とした体育論であった。

それが,運動文化論では,社会で行われている運動文化・スポーツに人間疎外状況を見て,それをより良いものにしていく(国民大衆の文化にしていく)ことを目的とした。

中味は違うが,基本的な構想の構図は同じである。

そして,エリートに対する国民大衆という対抗軸を作る。

 

こうして,運動文化論と云うぐらいだから,それぞれの運動文化・スポーツ(種目)の文化研究や指導の研究,さらにはドル平に代表されるような教材づくりが行われる。

 

このとき,スポーツは,1「みんな」の理念をともないつつ,2「競技」を共同的競争と捉え,3スポーツ文化の特質を「競技」として捉える(10頁の上の段)。

こうして,特質から,基礎技術の規定,さらには技術指導の系統性の研究へと進む原理を作り出していく。

 

「技術と集団の統一」について平田さんは,「スローガン風には生活体育の『生活と教育の結合』から『科学と教育の結合』をスローガンとする教育現代化運動の影響下,『生活(集団)と科学(技術)の結合』の運動文化論と呼んでもいいだろう」と述べる。

 

ここで,生活(集団)をどう見るのか。

僕はここに平田さんの意図を見るべきなのか,それとも単純に方程式のように当てはめたと見るのか,わからないのだが,生活=集団となっている点に注目したい。

つまり,生活は子どもの実生活のことではなく,グループ活動(学習)そのものを生活と見ているという限定の仕方に,僕は注目するのである。

 

生活体育論は,あるとき(1955年)から行事単元を取り入れて,正課・自由時・ホームルームでの指導体系を作っていく。

生活単元とは,最後は「学校の生活設計」であった。

先に述べたように壮大な計画だった。

そして生活体育は,生活体育カリキュラムを,グループ学習で自治的に学ぶ(当時,系統指導はない)ことであった。

 

何が言いたいかわかるでしょ。

体育同志会で生活を考えるときの1つの,しかし歴史的にみて正統的な生活のとらえ方がある。

大阪の中川さんのグループ学習は,正統的な生活体育ともいえる。

行事単元ではないが。

そして,本人は嫌がるかもしれないが。

 

全生研が,生徒指導ではなく生活指導にこだわるのも似たようなところがある。

つまり,生徒を指導するのではなく,生徒の生活を指導すると考えるのである。

でもそれは,「だらしがないからキチンとしなさい」という修身的な指導ではなく,生徒を取り巻く人間関係の指導のことである。

だから,全生研の班づくりもまたグループ学習(=生活)と似ているのだ。

 

 とかなんとか書いていたら,やはりというのか,かなりの分量になってしまった。

ということで,続きは次回に持ち越し。

 

 

 

 

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