体育と実践記録9 大田堯の実践記録論1
こんにちは。石田智巳です。
「実践記録」についていくつか書いてきましたが,念入りに計画を立てたのではないので,なんとなく思いついたがままに書いてきました。
「おもいつくまま,きのむくままに~」(ゴマすり行進曲byクレージーキャッツ)です。
そして,書いている途中であれも書こう,これも書こうと思って,そのときどきに「別項で紹介したい」とか書いていました。
これから,実践記録論を読んで,それについて書きたいと思います。
一番手っ取り早いのは,『たのしい体育・スポーツ』2011年2月号(これはかなりおすすめです)の久保健論考「なぜ実践記録を書くのか」を読むことです。
しかし,久保さんは勝田守一さんと坂元忠芳さんの実践記録論を下敷きにしています。
そのオリジナルにあたる方がいいと思いましたので,これから実践記録論を読んでいきたいと思います。
そのうえで,実践記録を紹介するなど,次の展開にもっていきたいと思います。
今日取り上げるテキストは,大田堯(おおたたかし)「教師の実践記録について」(『教育』1954年7月に出された臨時増刊号)です。
では,どうぞ。
実践記録について書き始めたときに,最初に取り上げたトピックは,1955年に城丸章夫さんが戦後の新体育を植民地体育だと批判したことであった。
それは,(誇張も含まれているにしても)体育科だけが「実践記録集」が出版されていないことによった。
そして,「教育としての体育の建設は,恐らくは,体育を子どもの生活指導とむすびつけることから始まるであろう。
いわば,体育における生活綴方的方法の発見から始まるであろう」と述べた(城丸,1955)。
これは,佐々木賢太郎さんの仕事を見ていたことは想像に難くないし,S.Aというイニシャルで佐々木さんの「佐市の日記に学ぶ」(『体育の子』にも所収)について言及している。
ここで確認すべきは,実践記録は,生活綴方から生まれてきたということだ。
大田さんは,かなり後の1988年に,「実践記録」について事典に書いている。
「生活記録とよばれるものの一種で,特に教育界では,教師や保母など,子育て,教育の仕事に携わるものの仕事の記録をたんに実践記録と呼んできた。
この言葉が使われはじめるのは1930年代で雑誌『生活教育』で峰地光重らによって,また雑誌『教育・国語教育』の誌上では,『実践記録』欄が置かれるようになり,教師たちの間に普及していったといわれる」
(大田堯「実践記録」『現代教育学事典』,1988,pp.356-357)。
さて,その大田さんの実践記録論である。
これは前にも紹介したが,『教育』が臨時増刊号として,はじめて「教師の実践記録特集号」を出したなかにある。
この号の構成は,「学級経営・生活指導」4本の実践記録,「教科指導」(国語,数学,社会など)5本,「問題児指導」2本,「社会教育」3本,そして,寒川道夫,勝田守一,大田堯の選評がある。
そのなかに,この「教師の実践記録について」が入っている。
内容は以下の通り。
数多くの実践記録が送られてくるなかで,一番多いのは「いわゆる『調査もの』」(156頁)である。
「みかけは実践をつづってあるようで,内容は調査結果でつないであるような『実践記録』がかなり含まれている」(157頁)。
調査ものとは,要するに,体力調査,学力調査,学力と家庭環境の調査などのことである。
これは,戦後の新教育期にアメリカの実証主義的な研究方法が入ってきて,「○○プラン」という各学校や地域の教育課程(カリキュラム)を開発する運動がはやったときに出てくるものである。
つまり,これから教育計画を立てるにあたり,本校の児童生徒の実態はどうなっているのか,地域はどうなっているのかを調べる必要があったのだ。
実態の上に教育がなされると考えられた。
言葉を悪く言えば,その残滓である。
もっとも,調査が悪いのではなく,問題は,「実践者である教師の調査研究が,出発点であり,帰着点であるはずの自分の実践から切りはなされて,行われる」ところにある(157頁)。
ここでは,戦中の封建的で,権力に奉仕する教育学界の体質と,権力に寄り添う教師たちの体質が批判される。
なお,ここで大田さんは先に述べた「○○プラン」を批判する(大田さんは,広島の「本郷プラン」で有名な人なのだが)。
その批判は,次の通りである。
「古い教育がどういう社会の物質的条件の上に残存しているのか,どこに矛盾があるのかを直視し,分析しないで社会の現実から切りはなされた『理想的計画』あるいは『総合的な地域教育計画』をねらった点にある」(159頁)。
「個々のA子,B男のもっている生々しい問題,その背後のクラスの人間関係,家庭のなかの具体的な問題をかんじょうにいれず,たとえそれを形式的に考慮したにしても,個々の具体的字体に即して分析し,判断して,対策を立てないで,一きょに空想的な計画を立て,今度のはそのできたプランに縛られて,個々の子どもにたいする具体的な働きかけの機会をかえって失ってしまう」(160頁)。
極めつけは以下である。
「依然として教育界の古い仕組,職制の中にうずもれたまま,実践者としての発想を自ら打ち壊し,日本の特権的でゆがんだ学界の移りゆきに引き回され,衣がえを繰り返す傾向がみえる。
このような実践記録ならざる実践記録を脱皮するには,古い仕組みの中にとりこになっている教師の生活態度を克服することが問題になると思う。
自己を古い仕組みから解き放つ努力が,本物の実践記録を生み出す前提ではあるまいか」(160頁)。
字数の都合でその後(実は,こっちがメイン)については,次回にまわすことにするが,実は最後の一文が非常に大切だと思う。
実は,これに連なることを森敏生さんが書いているのだ(『たのしい体育・スポーツ』2011年7.8月合併号)。
「いわゆる研究指定などを受けて他から与えられた主題に沿った実践や,多忙な雑務に追われる中で付け焼き刃的にならざるをえない実践では,『よい実践記録』は書けない。
「『よい実践記録』が少なくなったのは,実践者が主体的な立場で自分の課題意識を持って実践に望め(ママ)なくなっていること,そのゆとりや自由が失われていることの表れであろう。」
「実践記録は教師自身が自分の実践を変え,教師として自己変革をとげるために綴られるのである。」(すべて11頁)。
大田さんが書いていることは,今でも学習指導要領体制による教育の翼賛体制化と,それに積極的に荷担する現場の少なくない教師たちとの構図に似ている。
僕は,2008年改訂の現行の学習指導要領は,これまでの「教えない」「個性重視」の新自由主義的教育観に比べれば,まともだと思う。
問題は,大きく転換したにもかかわらず,今までの主張をあっさり捨てて自家撞着もなく,新しい方針に乗っかってしまえるメンタリティだ。
さらに,始まったばかりの学習指導要領が,日本国中でスタートする前に,もう次の改訂の方針が出ているというところにも疑問を感じる。
それにしても,この批判だけで雑誌で5頁分も展開するところがすごい。
その後の実践記録論は4頁しかないのに。
さすが大田堯。
森さんのこの論考も別に取り上げようと思っていましたが,引っかかってしまい,結局摘み食いのように引用してしまいました。
中途半端になりましたが,明日は「調査もの」ではない実践記録についてです。