事故,その後2 行動が制限されました
こんにちは。石田智巳です。
昨日の記事の続きです。
大学は,22日の火曜日から始まりました。
今日,私もDr. Hill の授業に参加してきました。
今日は,昨日の続きで,冬休みのことです。
では,どうぞ。
以下は,体育同志会の京都支部ニュース「かもがわ」2月号より。
大学は,事故に遭った12月8日の次の週が最終週でした。
そして,娘の学校(日本人学校)も同じく翌週で終わりでした。
事故が起こる前は,冬休みにはサンタバーバーラの方へ出かけようとか思っていたのですが,結果的には泊まりがけで外に行くことはありませんでした。
この一ヶ月にあったことを思い出してみると,週に2回から3回のカイロプラクティック通いと,近場のビーチへ行ってきたことぐらいです。
カイロプラクティックは,鍼とマッサージなのですが,こちらではよく見かけます。
こちらの病院は個人の場合,医療系のビルディングの中にあることに特徴があります。
娘の学校のある通りにはそういったビルがいくつか建っています。
タウン誌などを見るといろいろな日本人の医者が載っているのですが,住所は同じだったりします。
つまり,日本でよく見るような自宅が病院という形式は,訴訟の対象になったときに困るのでほぼなくて,医療系ビルに入っているのです。
こっちで病院(hospital)へ行くと行ったら,ひどい病気か怪我にあったと思われるそうで,普通の場合,高校で習ったように「I go to see a doctor」といいます。
ちなみに,事故に遭った次の週に,娘に「学校で事故に遭ったのだけど,知っている先生がいるか訊いてきてほしい」と頼んだところ,今通っている先生を紹介してもらいました。
その先生との会話では,「どうやってここを知ったのですか?」「娘が学校で訊いてきた」「私の妻がその学校で働いています」という会話をしました。
ちなみに,「日本の大学はどちらですか?」「京都の立命館です」「私の妻の出身校です」なんてことも。
こっちの娘の担任の先生も理工学部出身ですし。
京都にも,全国の同志会にも,立命関係は多いのですが,まさかロスでもとは。
せっかくの休みなのに,遠くに連れて行けなくて,娘には申し訳なく思っています。
結局,行ったのは,遠くは,ロングビーチとハンチントンビーチ,それと近くのレドンド,ハモサ,マンハッタンビーチとピアでした。
なかでもレドンドの横にあるキングハーバーでは,アシカの群れに出会い,外海ではイルカが泳いでいるのを見たりして,それなりに楽しみました。
あと,ボートに乗って,ホエールウォッチングに行きました。
かろうじて?見ることができました。
車の運転に関して言えば,事故の後,右車線を走るときに,前の車がブレーキを踏むととっさにルームミラーで後ろを見るようになりました。
それだけでなく,いつも後ろが気になっています。
どうやら,少し恐怖を感じているようです。
なので,事故から1ヶ月以上,北向きのフリーウェイには乗りませんでした。
不幸の連鎖なのか,事故に遭って1週間後の12月15日に,左足のハムストリングスが切れました。
肉離れです。
普通,肉離れは普段より強度の強い運動をしたときに,耐えられなくなって切れるものです。
このときは,ジョギングを初めて600mぐらいで違和感を覚えたので,その場から家に向かってさらにゆっくり走っていたら切れました。
その後,年末と年始に少し走ったのですが,走れると思っていたら,また痛みが出て来ました。
カイロの先生に言わせると,事故で身体のバランスが悪くなったのでしょうね,とのこと。
しばらく走れませんでした。
そして,そろそろ走ろうと思っていたら,今度は風邪を引きました。
それが,1月9日の水曜日の夜に急におかしくなって,金曜日がピークでした。
娘も「お父さん,不幸だね」といいます。
何か悪いことをしたのかな?と考えるのが日本人的だと思うのですが,「何かしたっけ?」
なんて思っていたら,3日たって娘に移ってしまいました。
やれやれ。
病院に連れて行きました。
診察を終えて薬をもらうところで待っていると,なんとネズミが。
ものすごいおとなしいネズミで,見つけた娘は,最初,売り物だと思ったようです。
それで,薬をもらってお金を払うときに,店員さんに言ったら,あっさり捕獲されました。
売り物と思われるぐらいにおとなしかったのは,もしかしたらキティーちゃんににらまれて縮こまっていたのかも。
今では,娘も僕も良くなって,1月20日にGetty Museumに行くことにしました。
これは,気分的にも晴れてきたということです。
でも,これについては次に。