体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

Japanese Fishing Village Memorial 

こんにちは。石田智巳です。

 

こういうことは大切だと思ったので書き残しておきます。

Japanese Fishing Village Memorialに行ってみることにしました。

では,どうぞ。

 

昨日は午前中に大学の中にあるJapanese Gardenに行ってきた。

午後は,Japanese Fishing Village Memorial,正式にはTerminal Island Japanese Fishing Village Memorialにいくことにした。

グーグルマップで見ていて見つけたのだが,これがなんなのかよくわからないので確かめてみたくなったのだ。

場所は,ロングビーチから西に行って,サンペドロの手前にある。

これは,人工の島だろうが,規模が大きい。

 

そこに行く前に,ロングビーチ周辺でも週1度はどこかへ行くことにしていたので,シール・ビーチに行ってみることにした。

SEALは,辞書で調べると2つの意味があって(本当は3つ),いわゆるノリ状のシールと,アシカやオットセイの総称の二つだった。

後者のことを指している。

 

ピアがこれまで見たものの中で一番長い。

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左の一番手前にシール像があるのだがわかりにくいね。

そして,このピアは木でできている。

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ビーチには人が多い。

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多いけど,日本の夏とは比べものにならない。

まあ金曜日だしね。

そして,とにかく風があって寒い。

なお,シールは留守だった。

ということで,ビーチは終わり。

 

昼ご飯をJack in the Boxで食べる。

こちらも週に1度はハンバーガーと決めたので。

基本のハンバーガーを,Buttery Jackというそうだ。

バターのことだけど,何を表現しているのかよくわからない。

クーポンで5ドル+税だった。

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それから,目的地へと向かう。

車で15分程度なのだが,途中で道を間違えて時間がかかってしまった。

フリーウェイで間違えるとすごい先まで行って戻ってくることになるので,時間はかかる。

そして,目的地へ着く。

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大漁と書かれた鳥居の下に,網を持って作業している日本人のブロンズ像がある。

右の方のパネルは,この施設を作るのに協力してくれた人や組織の名前が彫られている。

一番上はカリフォルニア州となっていた。

そして,左側の壁の裏には,かつての写真やこの施設のことが書かれている。

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1900年代の初めから第二次世界大戦の間,ターミナル島には,日本からの移民とその子どもたち3000人からなる栄えた村があった。

その工場や魚を捕る船はアメリカの漁業に大きな役割を果たした。

村の店や家のならびでは,人々が愛し,笑い,働き,遊び,そして家族を育てた。

1942年2月25日に,すべての村人は48時間のうちにターミナル島を去るように命令された。

4月までに村はなくなり,家や生活の手段は撤去され,人々は収容所に送られた。

私たちは,この人々や,彼らのふるさとだったターミナル島の村を忘れない。

 

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時期的にはまさに日米開戦のあとの出来事である。

アメリカが日系人(Jpapanese American)にしたことを忘れないと書いている。

こういう記念碑のようなものを作るのには,抵抗もあったと思う。

これは2003年(だったと思う)ので,比較的新しい。

長い年月がようやくこれを作らせたのだろうか。

計画ができて,寄付が集められてようやく実現したということなのだろうね。

 

「忘れない」といっている「私たち」とは誰のことを指すのかはわからないけど,重要だと思う。

アメリカ政府がいうことでも,カリフォルニア州政府がいうことでもないだろう。

でも,記念碑を作ろうとした人たちは,誰を責めるわけでもなく,事実を伝えようとしたのだと思う。

これがなくなると,その村の存在そのものもなくなるだろうから。

なんだか,存在論と認識論,形而上学のようだけど,大切なのは,これは一つのナラティヴであるということ。

 

沖縄での平和学習で,当時ひめゆり部隊にいた人から話を聞いたことがある。

歴史修正主義者たちは,「集団自決は軍の命令ではない」という。

これは南京大虐殺にしても,従軍慰安婦にしても同じ。

あったか,なかったか,という話ではない。

当然,加害者側(国)は加害を小さく,被害者側(国)は被害を大きく語るだろう。

しかし,そこには忘れられているものがある。

それがその場にいた人たちのナラティヴである。

さまざまなナラティヴがある。

語られないナラティヴもある。

沖縄でも,部隊によっては,あるいはその中の個人によっては,語りは違うかもしれない。

 

起こったことが事実というよりも,様々なナラティヴがあるということが事実である。

なんだか,芥川の「藪の中」みたいな話だけど。

問題は,様々な語りがあるにも関わらず,唯一絶対の公式見解を用意しようとするその態度にある。

そして,その語りを用意するのは,当事者ではなかったりする。

 

なかなかデリケートな問題だけど,多くの日本人が知らないようなその村の存在や,そこで起こったことを,感情を込めずに,外交の手段にもせずに残しておくというその態度は学ぶに値すると思う。

歴史のヒダに触れた思いがした。

 

それからトーランスに帰る途中でも道を間違えて,時間がかかってしまった。

今日は家賃を払うためにお金を下ろして,郵便局でマネーオーダー(チェック)を作らないといけない日だった。

慌ててセブンイレブンに行って,ATMでお金を下ろす。

キャッシュカードからなのだが,1回400ドルまだなので必要な額をそろえるために何度も利用することになる。

しかも,20ドル札で出てくるので,何十枚も財布に入れると折りたためなくなる。

これを持って,郵便局に行って,マネーオーダーを作るのもまた大変。

お金は手で数えるからだ。

 

それがすんだら,本当は一度帰りたいが,帰ると外に出るのが面倒になるので,買い物をする。

そして,部屋に戻ってマネーオーダーに必要事項を記入して,出しに行く。

そして,昨日のブログの記事を書いたらもう一日が終わりだった。

夕飯の支度をして走りに行く。

 

それにしても,『地球の歩き方』には載っていないところを探してみるのもいいと思いました。

 

 

 

 

http://tomomiishida.hatenablog.com/