八丈島からの便りの話
こんにちは。石田智巳です。
今年も早いものでもう2ヶ月が過ぎました。
3月に入って,暖かくなってきました。
きゅうちゃんの散歩に出かけると,ユキヤナギが緑の葉をつけ,沈丁花が今にも咲きそうにふくらんでいるのを見ることができます。
さて,今日は年賀状に始まる八丈島からの便りの話です。
未だに届いています。
では,どうぞ。
消印がない年賀状が正月1日に届いた。
その中には,体育同志会のOBでもある八丈島の菊池淨先生からのものもあった。
はるけくも
きつるものかな
はちじゅうごさい
さきはかすみにつつまれて
いろはにほへとちりぬるを
わがよはいつまであるのやら
じんせいひゃくまでつづくとか
ぼろぼろぼろろん
おんぼろろん
85歳。
昭和一ケタですね。
その後,1月3日消印のはがきが届いた。
「体育と関わる」と題して,ワープロでびっしりと書かれていた。
生まれてから「運動はやるな」という母の教えで,スポーツには興味なし。
しかし,小学校の先生になったので,体育を教えることになった。
というようなことが書かれていた。
その次が1月7日消印のはがきが届く。
「体育2」書かれて,同じくワープロでびっしりと書かれていた。
町田で教師をしていた時代に,官制研にでてガッカリした話。
時代としては,60年安保のころ。
そして,八丈島に戻る。
「体育3」は,年賀はがきで届いた。
ただし,10円切手がさらに貼られていた。
消印は,1月13日となっている。
「体育3」と書かれたやはりワープロでびっしり。
「体育4」は残念ながら手元にない。
「体育5」「体育6」は1月17日消印で一緒に届いた。
さて,3月になってもまだまだ届き,なんと3月8日時点で「体育14」まで届いた。
以前,新宿の事務所で、菊池先生の書かれたレジメのような文章を読んで,ブログに書いてからのおつきあいなのだが,ここにきて新連載が始まったようだ。
ちなみに『体育科教育』の50周年記念号だったかに入っていたCDのエクセルで,菊池先生を検索すると,15セルがヒットする。
15記事を書いているということなのだが,これはなかなかすごい数だ。
「東京都八丈島・末吉小学校の実践記録」という連載もある。
この連載は,根本誠先生や,堀江邦明先生も書かれている。
知る人ぞ知る名物学校だったのだろう。
3月になっても,再課程認定,編集委員,専攻長,同志会関連などで何かと忙しくしており,返事も出せないままでいました。
この場をお借りして,菊池先生にお礼を言いたいと思います。
ありがとうございました。
とはいえ,まだ連載は続きそうですね。
楽しみにお待ちしております。
内容については,また紹介してみたいと思います。