体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

中間研究集会1日目

こんにちは。石田智巳です。

 

14日と15日(土曜日と日曜日)は,福岡で中間研究集会が開催されました。

今日は月曜日なので,ランニングの記録の日なのですが,中間研究集会の様子を紹介したいと思います。

では,どうぞ。

 

今年の中間研究集会は,福岡の西南学院大学をお借りして,行われた。

そのため,博多駅から地下鉄で西新(にしじん)へ行く。

結構大きな町だった。

テーマは,「体育実践における『わかる』ことを問い直す」であった。

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152回と書かれているけど,これは間違いで,次の夏の大会が152回。

中間研究集会はカウントしない。

 

この中間研究集会は,今は夏大会の中間という意味で,夏大会のテーマや大会で議論したい内容をあぶり出すという会になる。

今年の夏は熊本・阿蘇大会が予定されていたので,熊本支部の意向を受けて「わかる」ということで調整した。

 

この集会も準備がなかなか大変で,くじけそうになることもあった。

内容をどう設定するのかに悩んで,人選でもいろいろ紆余曲折があった。

このあたりのことはここには書かない。

結局,一日目は,「3ともモデル」と「わかる」ことの関係を問うという形で,シンポジウムを持った。

 

最初に研究局発題(趣旨説明)。

これは僕が行った。

体育同志会は,1960年以降「子どもの喜びを高める技術の指導」,「運動文化・スポーツへの着目」「中間項」「ドル平泳法」を経て,技術指導の考え方と指導の内容を明確にしていく。

つまり,当初は「できる」ことに着目していた。

そして,一定の成果をあげはじめた。

 

そのときに,「うまくしてどうする」という発言から,運動文化の歴史,技術の科学,組織を教えることが学校体育の役割だという認識が示される。

ここに「できる」とは別に,「わかる」が課題となった。

さらに,「できる」ことにおける「わかる」ことは,子どもたちが自分たちの技や身体運動を分析-総合するという形で出てくる。

そして,「うまくなることと集団の高まり」が課題となり,そういった実践が模索される。

80年代の終わりから90年代にかけて,「わかる,できる,教え合う」という実践のスタイルができあがる。

 

その後,教科内容研究が始まり,教室でする体育や実技の場面でも,歴史やルールや競争などを挟み込んだ実践が行われるようになる。

歴史では,運動文化の発展史の中に,子どもたちの興味の多様性を見いだし,子どもたちの価値観の違いを浮き彫りにして,それを止揚するなかで,スポーツ観,勝敗観,仲間観などを変革していくという実践も行われている。

 

そして,運動文化の技術性,組織性,社会性という教科内容の3領域に対応する(当初は)ように,3ともモデルという実践課題が提出される。

3ともモデルとは,「ともにうまくなる」「ともに楽しみ競い合う」「ともに意味を問い直す」である。

 

中間研究集会では,この3つの領域において「わかる」ことがどう課題化されるのか,といっても問題解決を図るというよりも,課題を示すことを目的に行われた。

 

「ともにうまくなる」については,愛知支部の若い玉腰さんにお願いした。

玉腰報告は,運動技術の学習場面においては,課題に対する認識と,方法に対する認識と,実態に対する認識がセットとなっている必要があるということが語られた。

さらに,方法は階層を持つことが語られた。

 

細かいことは書かないが,この階層的な関連が大切であることは授業でも話す。

その関連がわかって練習をするのとわからずにするのでは大違いだ。

これは部活の練習でもおそらく当てはまる。

先日の授業では,サッカー部の学生がずっとうなずきながら聞いてくれた。

寝ている学生が多かったが。

 

さて,次の「ともに楽しみ競い合う」というグループ学習にかかわる「わかる」については,滋賀のやはり若い加登本さんにお願いした。

彼は,ヴィゴツキー,そしてエンゲストロームの活動理論を援用して,学習を説明する。

これは実は,森敏生さんも同じように活動理論を用いて実践を分析していた。

 

20年ぐらい前に,佐伯胖さんや佐藤学さんらが,学習を単なる知識のコピペの過程ではなく,「文化的実践への参加」という言い方をした。

エンゲストロームの活動理論は,それをよく表しているように思う。

しかし,時間切れのところもあった。

またの機会に,ぜひ話を聞いてみたいと思う。

 

そして,「ともに意味を問い直す」と「わかる」については,愛知の丸山さんにお願いした。

さすがベテラン。

そして,この3ともモデルを作ったときの中心メンバーだっただけあって,よくわかった。

加登本さんも紹介してくれたが,教科の授業における陶冶と訓育の位置づけをめぐる論争があった。

これは古くからあるのだが,さきの「文化的実践への参加」という観点から見れば,教科の役割が単純に知識や技能を形成することとはいえない。

 

そこでは,価値観がぶつかり合うし,ときには抜き差しならぬ状況にもなる。

またみんなが学習に意欲を持っているわけではない。

それを学習へ向かわせるには,興味深い内容が用意できればいいのだが,そんなに理想的な話にもならない。

そこで,これらの「観」をどう変革するのかが問われる。

しかし,はじめから「観を変革する」ことを目的に行われるのも筋違い。

学習の結果として,「観」が形成されるのが望ましい。

そこらについて丸山さんは話してくれた。

 

かつては,この観も含めた道徳的な中味を授業に持ち込まないという原則的な立場があったが,体育同志会の「みんなが」とか,「ともに」というのはすでに一つの立場であり,一つの願いとしての「観」なのだ。

教師の願いとは違う「観」を持っている子どももいる。

それを,無理矢理かえるのではなく,違う価値観と出合わせることで,揺さぶりをかけるというのがわかりやすいだろうか。

しかも,そのためには「わかる」内容が必要になる。

これがないと,態度主義となる。

 

シンポジウムは、その後,8人ぐらいの小グループに分かれて議論を行い,そして,全体で議論を行った。

やはり社会性の内容と「ともに意味を問い直す」という実践課題に議論は集中した。

 

紙幅に制限があるので,今日はこれぐらいにしておきます。

 

 

 

 

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