体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 1.2月合併号(№298) 堀江実践を読む3

こんにちは。石田智巳です。

 

今日もまた,『たのしい体育・スポーツ』の堀江実践を読みます。

実践で行われた実験をやることで,生徒たちが動きの意味を理解することができていることに感心します。

今日も,新たな実験を紹介します。

では,どうぞ。

 

先日(土曜日)の記事では,堀江さんの剣道の最初の学習内容を取り上げた。

それは,「剣道あるいは武道に見られる独特な動きを古武術的な身体操作によって紐解く」というものだった。

そして,いくつかの実験が行われ,生徒たちは実験の結果から動きの意味について納得していった。

 

今回は,第二の学習内容である「一眼二足三胆四力」についてである。

これも面白かった。

最初は「一眼」であるが,「どのように見るとよいのか」が実験される。

方法は,2人組で手の上に手を重ねて,上の手の人は,下の手の動きに合わせて動かすというもの。

やり方は,最初は手の動きを見ながら動かし,次に周辺視でボンヤリと全体を見て手を動かす。

すると,周辺視で見た後者の方が素早く反応できるという。

これを剣道用語で,「遠山の目付」といい,相手の一点を見るのではなく,遠くの山を見るように全体を視野に入れるということだ。

 

これは,よくわかる。

車を運転していて,住宅街とか見通しの悪い交差点に入ったときには,どこかを見るのではなく,正面を向いて,視点をぼやかすように見た方が,左右両方の気配を感じやすいのだ。

これは,鬼ごっこ系の遊びでも同じだと思う。

 

また,大学のときの剣道の授業で,剣道部の学生から,「お前は自分が打ちたいところを見ているからすぐわかる」と指摘された。

これは全く素人だね。

打ちたいところを打つのではなく,相手の動きにまさにシンクロさせて打たなければならないのに,なかなかそうはいかない。

もっとも,僕は目が悪いのだが,メガネをかけて面をつけると面が曇り,とると全くボンヤリとしか相手が見えないこともあるが(いい訳)。

 

次が「二足」。

手で打つのだが,足が重要な役割を果たすことを教える。

その方法は,簡単に言うと次の通り。

相手が自分の手に力を加えてきたときに,ただじっと耐えるだけよりも,「足の指10本で床に敷いてある布をつかむように」すると,より耐えることができることだ。

これもよくわかる。

 

次が「三胆」。

臍下丹田という言い方があるが,日本的な身体操作(運動)では,ここが重要であることはよく指摘される。

すり足(ナンバ)も,臍下丹田に力を入れて歩くという。

臍(へそ)下指三本あたりというが,普通はそれをどう意識していいのかがわからない。

そこで,仰向けになって,四肢と頭を水平に引っ張ってもらう。

このときに,引っ張り返すと下腹部に力がかかっていることがわかる。

この部分が丹田だという。

剣道では,発声によって丹田を緊張させるという。

なるほど。

 

最後が「四足」だ。

しかし,これは,具体的なことがわからない。

「③キツネの手」と書かれているが,これがどうしたのだろう。

生徒の感想にも,「キツネは最初見て,本当に動くか?と思ったけど,体幹を利用するとここまでできるのだと感心しました」と書かれているが,????

 

学習内容の3つ目は,「剣道のスキの構造と演舞」である。

これは,宮城の矢部さんの実践を参考にしているのだと思うが,試合ではなく,演舞をする。

3つのスキとは,以下の通り。

①「相手の竹刀を崩してできるスキ」

②「相手がよけたときにできるスキ」

③「相手が打突というレールにのったときにできるスキ」

 

これをもとにして,ペアで受けと取りのようになって,演舞をする。

しかし,この様子は書かれていないのが残念だ。

まさに紙幅の都合なのだが,この実践は,夏の注目の実践でもあるので,『運動文化研究』にびっしりと書いてほしい。

 

さて,堀江さんは最後のところで,この実践で用いた教材(動きの意味を知ることから剣道の演舞まで)を「自分の潜在能力の会かを内側から感じる貴重な教材だったのではないかと思っています」と書かれている。

そして,「自分のからだと向き合い,他者と共鳴していくような」武道学習と結んでいる。

 

以前に,久保さんの論考を取り上げたときに,スポーツの学習にとってからだが必然であるという論理が必要だというような言い方をした。

体力だってその一側面だが,からだの動きには意味があること,だから技(技術)にも意味があること,そうやってスポーツや武道やダンスなどが成り立っていることがわかることが必要になる。

 

それなくて,からだの動きの意味だけを追求することでも,楽しさが得られる場合もあるだろうが,そうなると運動文化・スポーツの学習は体育にいらないことになる。

だから,動きの意味を理解して,それを使って競技の形式で競い合うことができるといいのだろう。

この場合の競技の形式というのは,必ずしも正式な「競技が要求する形式」である必要はない。

いかにからだが上手く使えていたかを競う「競技の形式」にしてもよい。

 

なかなか考えさせられると同時に,やってみたいと思わせる内容でした。

後は,実践報告という形式から,実践記録という形式になっていくとなおいいかなと思います。

堀江さんのナラティヴがどう変化したのか,子どものナラティヴの変化も含めて,そういったクラスの武道の見方,体育の見方,からだの見方,友だち関係の見方の変化を軸に書いてもらえるとより迫力が出てくると思います。

 

 

 

 

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