ランニングの記録-奈良マラソンを走る
こんにちは。石田智巳です。
今日は,昨日の日曜日に走った奈良マラソンの記録です。
なかなか走るコンディションが整っていないのですが,「もったいない」から走ることにしました。
結果は完走しました。
しかし,ダメージも大きかったです。
では,どうぞ。
11月にハーフマラソンにエントリーしていたが,足の調子が悪いので回避した。
これで,なんとなくやる気がなくなってしまったような気がした。
というのは,レースに出るためには,酒を断ち,食生活を見直し,斎戒沐浴をしてから臨む。
だから,レースを諦めるということは,酒は飲み,食べ放題,沐浴をしない(沐浴ははじめからしないが)ということになる。
本番前に一度も調整をすることなく,マラソンの調整期間にはいってしまった。
だから,今回のマラソンは出ると決めたものの,はっきり言って「出るだけ」のつもりでいた。
そうはいっても,走るためには,酒を断ち,食生活を見直して当日に臨んだ。
でも,はっきり言って体は絞れていない。
それでも,当日の朝が来た。
なんと,すごく暖かい。
昨年は,スタートの時間の気温が4度だったという。
今年は,10度だった。
それだけで,なんとなく嫌な予感がする。
僕は暑さに弱いから。
レース前の構想は,キロ5分30秒のペースで行って,後半,あげられるようだったらあげるというもの。
守った試しがないが。
スタートの号砲から遅れること1分ぐらいで走りはじめる。
最初の1キロは,5分20秒ぐらい。
最初は下り。
これが後でとんでもなく体に響くことになるとは,この時点では全く考えていなかった。
最初は,それなりに混んでいたとしてもまあまあのペース。
ただ,朝だからか,走りは重く感じる。
平城京跡の前を通って,最初の5キロの折り返し。
次は少し登りも出てくるが,それよりも奈良公園,東大寺の前あたりは10キロランナーと一緒になるので,道が混んでいて,走りにくくなる。
奈良公園をすぎると,南へ向かう道が気持ち良く走れる。
この頃で,1キロ5分10秒ぐらいのやや速いペース。
15キロを過ぎると難関奈良マラソンの難関部分が顔を出す。
東へ曲がるとそこから緩やかな,そしてきつい登りが待っている。
20キロ手前まで登りが続く。
この間,ワケン・ローラー,忌野清志郎さんの物まね,太鼓,アコーディオンなどの様々な出し物がランナーを迎えてくれる。
今年は,ゼッケンに愛称を入れることができたので,沿道の人たちは愛称を呼んでくれる。
これは本当に嬉しい。
ちなみに僕は「おとやん」。
これは,佐々木賢太郎さんの実践記録の中に,よくでてくる「おとやん,おかやん」で,「お父さん」のこと。
多くの人に「おとやん,頑張れ!」と声援をいただいた。
途中,ナスビの着ぐるみの人(愛称,なすび)が,走りながら観客の声援に応えていた。
昨年も同じような光景を見たが,本当にすごいと思う。
給水は選択的にヴァームをとるが,そのたびに高木ブーさんの笑顔でウクレレが思い浮かぶ。
塩分がとれなかったのは課題。
20キロぐらいから,下って天理の町へ入る。
天理の町に入っても,緩やかな登りと下りが続き,25キロで折りかえす。
そこから同じ道を通って帰るのだが,27キロぐらいからきつい登りが待っている。
僕は調子が悪くないので,登りはそれなりに落ちるものの,ペースを落とすことなく30キロすぎまで登る。
すると,今度は一気に下る。
この下りは昨年も思ったけど本当にきつい。
往きの下りの時に思ったのだけど,一歩一歩踏みしめて進むごとに,バネのコイルを1ミリずつ削り取っているのじゃないかと思えてしまうのだ。
しかし,30キロすぎの下りは,1歩で削り取られるのは3ミリぐらいに増えていく感じ。
32キロ,つまり,後10キロのところで,「こりゃあかんわ」と思った。
遠藤周作のことではない。
真面目に「こりゃあかんわ」と思った。
ここからまず,太ももの前面が痛くなってくる。
奈良佐保短期大学の手前には何でこんなきつい登りがあるの!という登りがあり,奈良教育大学のところにもある。
前が傷んで,後ろも傷む。
途中で止まってストレッチ。
走り出すも,いつまたつるかが心配。
そのうちに,去年はスネが痛くて,そこからエイリアンでも飛び出すのではないかと思ったが,今年は同じ痛みが太ももの前面にある。
奈良公園の手前あたりでは,また登り下りが出てきて,前を向いてられない。
東大寺をすぎたら,またつった。
東大寺の前を西に向かうと,次は北に向かうのだが,ここに家族がいることになっているので,前を向いて作り笑いの練習。
交差点に入ったら,妻と子どもたちから声がかかる。
それどころではないのだが,作り笑顔で手を振る。
それがすぎたら,また足がつった。
40キロで西に向かうが,前は向いてられない。
下向きながら,そろそろ走る。
「オレは,歩きに来たんじゃない。絶対に走るんだ」
なんて,かっこつけるも,41キロの表示のところでまた足がつってとまる。
しかも,ここから登り。
なんてひどいコースなんだ!と嘆きたくなるけど,それよりも足が痛い。
うまく動かせないので,歩きながらの助走で走り出す。
42キロで競技場に入るのだが,トラックにたどり着く前にまたつった。
競技場に入ったら,あと150mぐらい。
もう何も考えずにただただ走る(自分では走っているつもり)。
そしてゴール。
本当にきつかった。
「マラソンを走る足ができていない」というのはこういうことをいうのがよくわかった。
前半もっとゆっくり行けばよかったのだろうが,今はそんなこと言っていられない。
というか,「それが僕」なのだ。
タイムは,ネットで3時間49分40秒(グロスで3時間51分6秒)。
昨年は3時間36分弱だったので,約14分遅かった。
一定ペースで走れなくなると,スピードが一気に落ちるし,つったりするとストップするので,ペースはぐだぐだになる。
全体的に遅かったのではなく(それもあるが),32キロすぎから一気に落ちた。
これが練習できていないが故に,足ができていない結果だと思う。
ということで,完走記念のタオルとメダルとヴァームとバナナをもらって,着替えて帰りました。
会場から家が近いのがいいよね。
帰って,風呂に入って,王将の餃子を焼いてもらって,ビールを飲みました。
アメフトの甲子園ボウルもみました。
立命館大学,おめでとう。
4日ぐらいは走れないだろうから,それからまたゆっくりと長い距離を走るようにしよう。
ということで,よく頑張って走りました。
よしよし。
次は,2月に和歌山でマラソンに出ます。