体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

「武道の必修化」を授業しました。

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,中等の教職科目である保健体育科教育概論という授業をやってみて,いろいろ考えたことを書きます。

写真は,『たのしい体育・スポーツ』2014年9月号の表紙の一部です。

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では,どうぞ。

 

先日のブログに,体育教師論に関わる授業で,体罰・暴力問題を扱うと,おそらくその扱い方の問題で授業が学生にとってみれば,受動的な学びになるということを書いた。

この授業では,前回はカリキュラムづくりについて行い,今回はタイトルにあるように「武道の必修化」問題を扱った。

授業の内容はだいたいいつも変わらないのだが,今日は気づいたことがあるのでここに書き留めておきたい。

 

2008年改訂(中学校は2012年施行)の現行の学習指導要領で「武道が必修化」された。

中学校1年生と2年生のいずれかで,武道とダンスを必ずやらないといけないということである。

だから,「ダンスの必修化」ともいえる。

しかし,武道の必修化問題は,かなり大きな問題となっていた。

その一つは柔道死の問題である。

そのことも扱うのだが,それはほんの一部でしかない。

 

授業では最初に,武道の必修化の経緯をあげる。

一つは教育基本法にある。

第2条には,男女の平等に加えて,「伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する・・・」という文言が加わった。

もう一つは道徳の重視にもあると思う。

武道で教える内容でよくいわれるのが,礼法である。

 

そもそも伝統という言葉は,19世紀末から20世紀初めに大量生産されたといわれる。

それは,社会の不安提起に国民統合の必要に駆られてのことだという。

この時期は帝国主義支配がすすんでいる時代だ。

 

武道の歴史を見ると,明治末期に撃剣(後の剣道)と柔道が中学校教材になる。

それが1931(昭和6)年に「武道」という言い方でまとめられる。

その時の理由は,「わが国固有の武道にして質実剛健なる国民精神を涵養し,心身を鍛練するに適切」であった。

城丸章夫さんは,武道は武技を身につけるのではなく,「人間丸ごと絶対服従」の精神を教えるためにあったと自らの経験を総括する。

いずれにしても,戦争時代のことだ。

 

戦後は,武道は好戦的な役割を果たしたという理由で,学校の正課でも課外でも禁止された。

つまり,武道の持つ「精神面の強調」がダメだといわれたのである。

しかし,1950(昭和25)年には柔道が,その2年後には剣道が「しない競技」として復活する(57年には剣道へ)。

そして,これまで武道でくくられていた種目は,「格技」としてまとめられるが,それも精神性の否定であり,スポーツ性の強調だった。

 

その後,いろいろあるが,1980年代には校内暴力がはやり,その際に「礼儀やしつけのために武道を」というキャンペーンが武道関係者から出される。

そして,1989(平成元)年の指導要領で,「武道」となって,今回必修化された。

 

だから,戦争期には精神面が強調され,それが理由で武道は禁止されて,スポーツ性を強調して格技として復活して,その後また精神面が強調されて,武道が復活して必修化されたということだ。

60年もたてば,昔のことは忘れるのだ。

 

柔道死については,フランスでは柔道で死亡事故は起きていないという。

以前,和歌山の植田真帆に,映像をもらっていたので,日本の子どもの試合の様子とフランスの子どもの試合の様子を見せる。

これは本当に面白いのだが,ここでは省略。

『たのスポ』の昨年の9月号が武道特集だったので,その時にそのことは書いた。

 

さて,この武道の必修化の議論で決定的に欠けているのは,柔道でも剣道でもその技と絡めて何をどう教えるのかである。

この話をしたときに,たとえば,柔道では何を最初に教えたらいいと思うかを柔道部の学生に聞いてみた。

すると,「やはり,背負い投げとかだと思います」とこたえる。

なぜかと訊けば,「簡単だから」という。

 

僕が,ある先生は支え釣り込み足から教えるということや,体育同志会では大腰から教えるということを伝える。

と,二人で話していても他の学生には分からないであろうから,1つ1つの技を簡単に紹介してもらった。

 

今年は,柔道部の学生と剣道部の学生とが受講していたので,剣道の話もしてみた。

僕が「小手,面」を連続で打つのは難しいということを言って,剣道部の学生にこれも簡単に見本を見せてもらった。

なぜ難しいのか,「みんな立ってやってみよう」といって,やらせてみた。

もちろん,竹刀はないから,ふりをするだけ。

すると,いとも簡単に「小手,面」と叩く。

何が難しいのかが分からないようなので,小手,面の打突のときに,足の動きを合わせるのが難しいことをいう。

やらせてみても,ぎこちない。

 

そこで,「あれっ」と思って,二人で向かいあって,一人がもう一人の胴を打つ真似をするようにいう。

そしたら,なんと多くの学生が右利きだから,野球のバッティング(右打ち)をやった。逆胴だ。

そんなことも知らないで来たし,やらないとこれ以降も知らないままだ。

これはまずいと思って,柔道,剣道を少しでもやらないといけないと思うようになったのだ。

もちろん,実践記録に書いてあるような授業実践の工夫をだが。

 

授業はその後,2006年に愛知の成瀬さんの学校で撮影させてもらった柔道の授業の映像を見て,すぐれた教師の指導の考え方,授業の進め方を紹介して終わる。

僕は柔道剣道は結構好きだったが,基本的な動きについてはやはり大学できちっと指導されたのがよかったと思っている。

ただし,それだけでは授業づくりはできないことは断言できる。

授業づくりはすぐれた実践記録に学ぶのが捷径なのだ。

 

う~ん。

来年は柔道剣道のさわりだけでもやってみるかな。

柔道部や剣道部にお願いして。

来年の3回生のゼミには,運良く両方の学生が入ってきます。

 

 

 

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