『体育科教育』12月号 連載について
こんにちは。石田智巳です。
『体育科教育』12月号が届きました。
この号は特集が,「スポーツ庁の発足と学校体育」となっています。
「スポーツ庁」については,もう少し勉強しないといけないなあと思って読んでいました。
でも,今日はこの雑誌に連載している僕の原稿の話です。
では,どうぞ。
スポーツ庁の話は,行政の側にいた人,研究員,新聞記者,大学の先生の論文や書簡などに加えて,座談会が載っている。
体育同志会からは,田中委員長と神谷くんが執筆している。
なかでも僕はこの座談会を面白く読んだ。
が,ここでは読んで考えたことは書かない。
この号には僕も執筆している。
スポーツ庁ではないよ。
この号というか,連載だから前の号にも,次の号にも執筆する。
ちなみに今回は近代から現代まで,哲学から社会学,心理学までの知の枠組みについて書いている。
よく書いたと思う,ホント。
誰も読まないかもしれないのに。
簡単に流れを書いてみたい。
前号のでは,体育の授業研究,授業分析で統計的な手法をもたらした小林篤さんの話を書いた。
小林さんは,統計的な手法にとどまらず,授業を対象とする研究法を質的,量的などいくつかに分けて紹介していた。
そして,最後はすぐれた実践記録に学ぶという方向に変えたという,
しかし,省察という曖昧な方法を用いる哲学から,心理学や社会学が実証という方法を持って袂を分かったように,授業研究は量的な研究が主流となり,成果が出された。
これは,院生が論文を書くのに,ある程度の方法が定まっている必要があるという意味では,必要だったのだろう。
しかし,1992年に佐藤学さんが実証的な授業研究にパンチを喰らわした。
このパンチはかなりの影響力を持ったと思う。
そして,佐藤さんは,他の学問領域と切りはなされた独自の学としての教育学,あるいは教授学構想やその研究のあり方を批判する。
連載の最初の方に書いたけど,「教育実践」という言葉が使われるのは,1930年代のことだ。
それは,外国からの借りものの教育学が,教育実践を指導しようとしていることに対して,現場教師が抵抗を表す言葉であった。
だから,実践記録という方法が1920年代に用いられて,そこから生活綴方教育と密接な関係を持ちながら,今まで来たわけで,それは現場実践の論理を明らかにしようとしてきたともいえる。
論理というとやや大げさだが,体系化しようとしたわけではない。
教授学の構想も,借りものの教育学からの指導を受けずに,現場の論理をあきらかにしようというものかもしれない。
それは思弁的な教育学から別れて,地に足をつけた教育学を目指そうとしたといえる。
しかし,その間に知を扱う領域は様々に現れ,知の枠組みを広げていった。
佐藤さんのパンチは,その動きと全く連動しない教育学というのがあり得るのか?実証的な授業研究の守備範囲とそこから漏れるものをどうするの?という問いでもあるだろう。
だから,その問いに不肖未熟の身であることを知りつつも,僕が簡単な整理をしたのだ。
授業研究が,量的な研究から質的な研究にシフトするということは,単に「量から質へ」と見るのではなく,そこには内的な必然性があって,それをつかむ必要があると思ったのだ。
心理学や社会学が哲学における認識論から,違う実証的な方法をもって袂を分かったのに,実証的な方法を洗練させつつも,リンギスティック・ターンやナラティヴ・ターンを経てきた。
そこには,形而上学的な問い方をやめる必要があった。
つまり,疑えない底,絶対的な明証性など神に取って代わる視座を考えるのをやめたのだ。
そこから,ソシュール言語学と構造主義が出てきて,言語ゲームが出てくる。
さらに,エスノメソドロジーが出てきて,言語ゲームの内実,なかでも秩序を成り立たせる言語を含めた振る舞いのルール,文脈に依存しつつ生成されるルールなどを明らかにしていった。
授業は「徹頭徹尾,言葉によってなされる」のであって,そこで秩序がどう生まれたのか,どうして生まれないのかも研究の対象になる。
それは,子どもたちはA,B,Cではなく,構造主義的には個別の家庭環境や生育歴を保った固有名の子どもと子ども,そして教師のやりとりなのであって,そこを掬い取る研究がなかったというわけだ。
でも,なかったわけではなく,いわゆる「レッスン・スタディ」の中にはあった。
民間教育研究団体では,実践記録を元にした報告とその検討をとおして行ってきた。
しかし,これも下手をすると若い先生を統制する方向に働いてしまう。
統制機能はあるにせよ,教師の思いや願い,子どもたちのリアルに目を向けずに,「体育同志会はこうだ」とやれば,よい授業構想と同じことになる。
だから,それを打ち破るためにも,実践記録をナラティヴと見て,どんなナラティヴを編んでいるのかという観点から見る必要があるのだ。
ちょっと後付けっぽいけど。
というような話を次の号では書きます。