体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 11月号№296 片本実践を読む2

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』11月号の片本実践の続きです。

前の記事では,4頁のうちの1頁分しか読めませんでした。

というか,1頁分読んだら頭が回転してきたので,収まらなくなって中断しました。

今日はその続きです。

では,どうぞ。

 

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前回書いたように,片本さんのフラフトで教える中味は,①ガードと②だましの二つであった。

そして,これら攻撃の技術を高めるためにDFのプレスが必要となるのだが,このことは実践記録にまとめる段階で分かったことである。

 

最初は,1対1でDFの学習,つまり,プレスである。

これは,片本さんも書いているとおり,「DFがプレスを意識し強くすることでガードの必然性が生まれる」のだ。

そして,それを教師の言葉で教えてやらせてみて,感想に出てきた子どもの言葉から,観察のポイントを作っていった。

それが,「ゴーと言ったら,すばやく前に出てフラッグを取る」である。

これができていたか,いかなったかを○×で判定させるという。

 

ここで全員ができていたわけではなかったので,次の時間も同じ課題と内容で行う。

「まだできていない子を重点的に練習する」ことを確認し,うまくいっているグループを紹介する。

「教えたいポイントが子どもにわかり(感想の記述に現れる),わかった内容がアドバイスされる。そして習熟してできるようになる。わかることが先行し,習熟でできるようになるのだと思った」(21頁)。

 

次が2対1のランとフェイントである。

これが,ガードとだましである。

ここの進め方がうまいと思う。

発問は,「ボールを持っていない人(センター)は何をすればいいか」である。

それに対していろいろ出てくるが,それを片本さんが二つにまとめる。

①2人で(右ランか左ランの)どちらをするか決めておく。

②センターはQBを守りながら一緒に走る。

ここまで絞って,うまくいく方法を子どもたちに考えさせたのだ。

 

授業で考えさせることが大切だということは,認知されている。

しかし,考えさせればいいのであれば,素人でもできる。

「どうすればいいか,考えてごらん」といえばいいのだから。

しかし,発問が絞り切れていないと,多様な意見が出て来て,しかも教師が一定の答えを持っておかないと,総括できなくなる。

「みんな違って,みんないい」という金子みすゞさんの詩を安く解釈することになる。

 

さて,2対1でガードが邪魔をするのは,先日も書いたように難しいのだ。

それは,走る方向が決まれば,DFはついてくるし,ガードはボール役よりも前を走るので,DFとボール役の間にいるのかどうかが分かりにくい。

前者の問題を解消するために,だます=フェイントを使うことにする。

この辺は読んでほしいのだが,1班のなかなか成功しなかったAさんを班員が練習で鍛えて,ついにできるようになった。

そしたら,「グループ全員が歓声をあげ,Aさんはうれしさのあまり涙を流していた」という。

 

出原さんは,かつて「『みんながうまくなること』を教える体育」という言い方で,「みんながうまくなること」の感動,方法,社会的意味を教えるという言い方をした。

4年生だからという言い方もできるが,友だちがうまくなることが嬉しい,教えてもらってできるようになって嬉しい,という素直な感情が表出できるのはとても素晴らしいと思う。

これで,全員ができるようになったので,片本さんはパスプレイに向かう。

 

実践のねらい(20頁)には,「パス指導を仮説的に進め,内容や方法を探る」と書かれているし,タイトルにも「パス,ダウン制をやってみた」とあるので,まさに手探りだったということだろう。

詳細は読んでもらうことにして,ダウン制も取り入れた。

ダウン制は,アメフトだと,4回の攻撃で10ヤード進めば次の4回の攻撃権を得られるわけだが,この実践では,2回の攻撃で設定したエリアに入れれば,タッチダウン(TD)となる。

1回目の攻撃と,2回目の攻撃をどうするのかは,残りの距離が遠い場合と近い場合で変わってくるので,これも学習する中味になるのだろう。

 

そして,リーグ戦。

優勝は,勝ち数が一番多いチーム。

その他に,「最多得点チーム」と「全員タッチダウンしたチーム」も設定した。

これもいいよね。

あとは,作戦成功率の高いチームとか,多様に設定できるとよいと思う。

要するに,競技スポーツの様式のみで評価するならば,一人の上手な子どもが活躍するゲームが出現しやすくなる。

だとすると,練習でみんなができるようになっても,ゲームになると勝手なプレーがでてくることになる。

こういう工夫は是非ほしいところ。

 

いよいよ「実践を終えて」である。

今回の実践でわかったことは,「プレス」の大切さだ。

感想文には,教えたいと思ったことと子どもが気づいていったことが一致していることが多くなった。

「やはり,何を教えるかを精選し明確に提示することと,感想から読み取れることを技術として返していくことによって教え合いが深まるのだと思った」(23頁)。

 

冬大会にも登壇してもらう和歌山の狭間くんの研究でも言及していたが,教師が教えようとしたことが明確であっても子どもの感想にうまく反映されないことがある。

それは,前の時間の学習内容とその時間の学習内容の質が変わるとき,そして,教師の言葉が子どもに落ちていっていないときなどに起こる。

 

だから,片本さんは子どもの知識の表現形式を大切にするということでもある。

さらにいえば,この場合片本さんの知識と子どもの知識を比べて,子どもの知識が低いとみてはいけない。

同様に,片本さんの知識が子どもにコピー&ペーストされることが大切なのではない。子どもが片本さんの知識から何を構成したのか,どう自分に引き寄せたのかをとらえることが大切なのである。

そして,その事実によって,教師が使う言葉もまた子どもよりの言葉になるのである。

 

昨年のバスケットボールの実践,つまり過去の自分にリベンジを果たしたようです。

なかなか考えさせられる実践記録でした。

 

 

 

 

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