『たのしい体育・スポーツ』 11月号№296 片本実践を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日は,『たのしい体育・スポーツ』11月号の片本宏茂さんの実践を読みます。
11月号は実践記録が中心で,本当にためになる号だ。
この片本実践は割とオーソドックスな体育同志会の実践記録だと思ったのですが,ブログの記事にするために再び読み返してみて,なるほどと思うことがありました。
そういう観点から書いてみたいと思います。
では,どうぞ。
この11月号を最初に記事にしたときに,兵庫支部の登場が多く,頑張っているなあということを書いた。
しかし,目次をよく見ると,菅さん,片本さん,辻内さん,日名さん,塩田さんと大阪支部の人の名前も多い。
辻内さんは,みのお大会関係で登場したわけだが,それにしても大阪も頑張っている。
さすが。
さて,片本さんの実践のタイトルは,「2人フラフトで,パス,ダウン制をやってみた」というものだ。
パスとダウン制をやったということがわかる。
そのままのことが書かれている。
一度読み終えて,もう一度「はじめに」を読んだときに,「ああ,そういうことだったんだ」とある直感が出てきた。
ものすごく問題意識がはっきりした実践だったのだ。
つまり,昨年のバスケでは,シュートが入らないままコンビ学習にすすんだため,子どもは教師の出した課題についてではなく,シュートが入らないことを感想に書いてきた。
片本さんは,本文に「ドル平では呼吸を最初に教えるように,フラフトではプレスを教えることで次の学習課題ができるようになる」(23頁)と書いている。
バスケでは,呼吸やプレス(サックといったりもする)と同じように,シュートを最初に教えて,ノーマークで7割方入るような目標を立てることが多い。
おそらくそのことを言っているのだろう。
そして,プレスというのはDFの技術というか,DFがやるべきことなのだ。
DFがきっちり守るから,弁証法的にOFのプレイが機能すると考えるわけだ。
片本さんは,技術指導のそれぞれの段階の課題が「できるまでやりきり」,そして次の段階へすすむこと,感想文に書かれた子どもの気づきを取り上げ,技術の理解を広めていくことも心がけたという。
失礼なことを言うが,片本さんは意外と若いのだ。
もちろん,若いと言ってもベテランの領域なのだが。
その片本さんもまた,前の実践でうまくいかなかった反省のナラティヴをもとに,実践に取り組んでいる。
そのため,その成果と課題が「実践を終えて」に書かれることになる。
問題意識を持って実践をやる人は,実践記録もこれができなかったから,次はこうしてやろうという明確な仮説思考をする。
これは先日書いた殿垣さんの実践も同じ構図をしている。
何となく実践をしていれば,「うまくいかなかったけどまあこんなものか」という総括になり,また同じようにうまくいかないことを繰り返す。
問題意識と方法が明確であれば,総括も実はたやすい。
しかし,そこに至るまでには,何度も実践をして記録を書いてみる必要があるのだ。
実践は,4年生で29時間の授業。
大単元だ。
これもやりたい内容が明確だからこそ,そして上に書いたように,ある段階の課題をやりきるために時間もかかる。
フラフトで教えることは,「①OFガード,②だます」ことであり,これは原則であるという。
ガードを教えるのは結構難しい。
実践的には,DFをガードすることで,ボールを持っているOFの通る道を作ってあげることが目的なのだが,このタイミングをあわせるのが難しい。
この二人のコンビネーションは,ガード役はボールを持ったOFの前に行かないといけないけど,うしろに目がないため,ボール役と動きを合わせるのが難しい。
さらに,最初に通る道を右なら右と決めておいても,スタートした瞬間にDFも右(DFからみて左)に寄ってくるからだ。
だからこそ,「だます」ことが必要になる。
この場合は,左に行ってから右に進むというフェイントを入れるのだが,「これも左斜め前に2歩行って,すぐに右にターンする」とかを割と具体的に決めておかないと,ボール役がガード役から離れてしまうことになる。
だから,片本さんは,まずはランプレーでこの原則を徹底的に教えるのだ。
そして,これを教えるためには,DFがボール役にプレスをかけてこないといけないととらえている。
シンプルではあるが,弁証法的である。
そして,授業は子どもの感想文に書かれた内容を,子どもに返すという形で進めた。
これもすごいことだ。
以前,佐藤学さんがリー・ショーマンを引いて,知識とは,物理学者の知識,物理の教師の知識,子どもの知識は,同じ知識でも表現形式が違うというようなことをいっていた。
僕が感想文を分類するカテゴリ-は,僕のヴィゴツキー理解に基づいているのだが,まさに教師が教えようとした知識を,いかに子どもが受け取ったのかという観点で分類した。
それを,阪田尚彦さんの言葉を借りて,「客体に即した認識」と「主体に引き寄せた認識」とした。
つまり,教師の知識は,子どもにとっては「客体」であり,それを自分に引き寄せた場合に「主体」となり,それぞれの表現形式は違う。
だから,子どもの表現形式の方が,他の子どもも理解しやすいと考えた(のだと思う)。
「子どもの発見した言葉を使い,次時の観察ポイントの言葉を考え,そのポイントのでき具合をチェックし合うようにしていった」(20頁)。
これが言語活動で重要なんだろうと思う。
とここまででかなり書いてしまいました。
続きはまたにします。