『たのしい体育・スポーツ』 11月号№296 殿垣実践を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日は,兵庫の殿垣哲也さんの実践を読みます。
それにしても,この11月号は実践記録が多いので読み応えがあります。
そして,うっかりしていたのですが,この号には僕も書いていました。
夏のみのお大会の研究まとめでした。
それには触れずに,実践を読みます。
では,どうぞ。
殿垣さんは,体育同志会のそんなに多くない高校教員の一人だ。
とても貴重な存在であり,そして優れた実践家でもある。
また,教員の顔と子どもに体操競技を教えるコーチの顔も持っている。
そして,この実践記録には,二つのことが書かれているのだが,両方ともいいなあと思った。
今日はもしかしたら,前半部分のみの話になるかもしれない。
タイトルは,「『授業おもろない』からの出発-『できる,わかる』にこだわった,あてっこペース走の実践-」である。
タイトルの中身が前半のバレーの実践,サブタイトルが短距離走の実践。
殿垣さんは,今の工業高校に4年前に勤務し始めた。
そして,すでに年間計画があるにもかかわらず,2学期にはバレーボールの授業に変更してもらったという。
高校の授業だから,選択制は普通であろう。
先日も,授業で中学校の年間計画を立てさせることをやったが,どうしても高校のイメージが残っていて,種目選択をさせるという学生が出てきた。
殿垣さんが2学期にバレーをやろうとしたのは,高校分科会でのバレーボールの成果に手応えを感じているからであろう。
この高校分科会のバレーとは,Aクイックから始めるバレーボールなのだ。
これについては,同じ兵庫の高校教師である新井友彦さんの実践記録を読んだときに紹介したので詳細はそちらを参照してほしい(『たのしい体育・スポーツ』 7.8月合併号(№293) 新井友彦実践を読む )。
Aクイックからはじめるということは,スパイクを打ちにいって,ジャンプしたらそこにセッターからボールが差し出されるというイメージだ。
だから,時間と空間を合わせるという難しさが軽減されているのだ。
そして,中学校分科会では,「つなぐ」というラリーを中心としてスパイクを教えるという順序を採用しているところに違いもある。
おっと,殿垣さんはAクイックだとか,ラリーだとかそんなことは何も書いていない。
ただ,工業高校では,前任校で担当した女子高生相手の授業とは大きく違っていたという。
「一斉授業で説明を聞くといったことが苦手な生徒が多く,勝手気ままにボールで遊ぶような場面も見られる」。
「そんな彼らに,バレーボールのおもしろさを伝え,実践できる力をつけさせるため,これまでの研究の成果を生かしながら授業を進めていくぞと意気込んで取り組んだ」。
しかし,10時間ほど経過したときに,ある生徒が「先生の授業おもろない」とたの種目に変更させてほしいと言ってきた。
こういうドラマチックな展開は,体育同志会の実践によくある。
サボって来ないとか,手抜きをやるとかはよくあるのだろうが,変更を訴えるという直截的な行動は結構パンチとなる。
僕もそう言われたことがある。
殿垣さんは悩んで,本人とも話し合い,全体でも話し合いを持ったという。
このあたりの詳しいやりとりを読んでみたいと思うのだが・・・・。
昨年のみやぎ大会の提案集にあったのか,読んだような・・・記憶が曖昧。
結局,その生徒はとどまったのだが,「リーグ戦が始まったこともあり,サーブあり,サインプレーはなしに変更した」という。
ということは,サーブなし,サインプレーありで当初はすすめたということだろう。
これはおそらく,殿垣さんが提案して,一応「合意を得た」ものをあえて変更したということになる。
そして,変更したという以上,その生徒のわがままではなく,少なくない生徒がそれを望んでいたということだ。
「彼らにとっては型にはめ込もうとすることに対する反発である。『サーブを打ちたい』『アタックを打ちたい』といった彼らにとってのバレーのおもしろさから出発できなかったと思う。
目の前のこどもの姿から出発するという同志会の精神に立ち返ったとき,自分の設定した授業計画が彼らの実態からかけ離れていたのではないかと気づいた。」
ここまで1ページの約半分。
これが,前半部分。
こういう実態から出発したということが書かれていて,実践記録として完結させるように書いたものではない。
しかし,いつものナラティヴ論からいえば,殿垣さんのこの生徒達との授業を考える上で,授業の信念というナラティヴが書き換わったことになる。
つまり,高校生でもルールを変更(サーブなし,その他)することで,そしてAクイックからのスパイクという誰もが「スパイクを決められる」技術指導法によって,みんながスパイクを決めて,「わかって,できて,楽しめる」バレーになるというナラティヴがあった。
しかし,実際にやってみると,「おもろない」「型にはめ込まれた」「サーブやスパイクが自由に打ちたい」という生徒のナラティヴによって,殿垣さんは,やり方のまずさを反省して,「彼らの実態からかけ離れていた」というナラティヴにたどり着いた。
もちろん,結果的には殿垣さんがやりたかったバレーをこども達もやりたいと思えるようになるのだろう。
やり方次第で。
だから,生徒達のナラティヴがハレーションを起こすような仕掛けができれば,いいのだろうけどね。
なにしろ,高校分科会では,「他者との折り合いの付け方」を実践の目標に掲げているのだから。
殿垣さんは,次にあてっこペース走という教材で勝負します。
それは,別項に書きますが,バレーボールの指導をどう修正したのかを聞いてみたいところです。