体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

和歌山支部例会に参加しました。

こんにちは。石田智巳です。

 

11月8日の日曜日は,和歌山市で開催された体育同志会の和歌山支部例会に参加しました。

この例会は,和歌山支部ニュース10月号に案内が載っており,参加を決めました。

今日はこの例会に出て考えたことを書きます。

 

写真のミカンは,海南のJAのマーケットで撮った。

これは120円とある。

僕はもっと甘い250円のミカン(安~)を4つ買った。

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では,どうぞ。

 

後期がはじまってすごくバタバタしている。

授業がない日も大学で会議や教育実習校を訪問したり,やたらと実働がある。

11月6日からはハンドボールのインカレが函館であったが,それには帯同せず。

その代わり,7日の土曜日は子どもにつきあい,8日の和歌山は子どもたちにつきあってもらった。

函館を蹴って和歌山へ。

 

さて,例会である。

この日の例会は,10月に予告されていたように,和歌山支部(大阪在住)の狭間俊吾くんが報告者だった。

彼は,原先生のゼミであったが,一応教え子になる。

2月に白浜集会に参加したときに,実践をまとめたデータをくれた。

それを,今回の例会で報告するということだった。

 

実は,このとき僕は,冬大会の登壇者を探しているところだった。

大阪のグループ学習プロジェクトの方と,もう一人の候補を探していた。

候補の実践は何でもいい訳ではなく,実践のデータ(感想文)がすべて用意されていて,おまけにそれが整理されているものに限るのだ。

「そんなのあるか~?」と思ったら,あった。

 

そこで,研究局のメンバーに急遽メールで連絡をして,候補に挙げてもらうことにした。

そして,10月の研究局会議,四役会議で承認された。

どうせうち合わせも必要になるし,僕の研究は半分を和歌山が占めているので,例会に参加することにしたのだ。

 

学校は紀三井寺の競技場の東にある。

お昼は「さらしな」というオロチョンラーメンのお店に入って,豪快に汗をかいた。

和歌山市に来たら,お昼は和歌山ラーメンではなく,ほぼオロチョンになる。

そんなに好きか?

ハイ,好きです。

 

それから,天気は微妙なところがあったが,雨も上がったので子どもたちはマリーナシティーへ。

僕は,途中から歩いて会場へ向かう。

会場について始まると,外は雨になった。

かわいそうな妻と子ども。

 

それで,例会である。

最初に,串本から来られた和田さん(愛知の堤さんの弟さん)が,体育同志会が器械運動で大切にしてきたことをパワポにまとめてくれていたのでそれを見る。

よくできている。

 

器械運動は,戦前・戦中の身体形成,戦後の克服型の教材としてとらえていたが,表現ととらえたところに体育同志会の教材観がある。

しかし,和田さんはモンスターボックスの映像も見せて,高さを追求をしたい時期もあることを認め,それで行き詰まりを感じて質を競うところにもっていくという。

データをいただいてきた。

和田さん。ありがとうございました。

 

それから狭間くんの実践報告。

実は,前にいただいていた資料は,研究論文風にまとめてあった。

それはそれで素晴らしいし,彼のセンスの良さを感じるものであった。

しかし,冬大会では(支部例会報告も),むしろまず実践報告をしてもらう必要がある。

実践の概要(ねらい,教材,成果など)を理解してもらった上で,指導の流れや方法と子どもの感想文をつきあわせて,この分析を参加者が行うことが冬大会のねらいだ。

だから,彼の分析結果は,みなさんの分析のあとに狭間くんから報告されることになる。

 

冬大会のねらいをもう少し述べるならば,体育同志会では子どもの示す事実を大切にしてきたというが,じゃあ子どもが書いた感想文をどう読むのかに関しては,コンセンサスがあるわけではない。

もともと,感想文は常にある固有名を持つ子どもの感想文である。

だから,教師はそういう読み方をする。

あまり書けていなくても,今日は2行書いたらそれで「すごい」と思えることもあるし,別の子どもが2行だったら,「何かあったのかな?」と心配することもだろう。

教育実践とは常に「そういうもの」なのだが,少し抽象度を上げてみたときに,子どもの感想には何が書かれていればいいのか,認識が深まるとは記述の何がどう変化するのかを明らかにしていく必要もある。

 

さらに,教師の指導の内容や方法がどれだけ子どもたちの認識を揺り動かすものとなっているのか,あるいは子ども同士のかかわりはどうだったのか,技術に対する認識はいかに深まっていくのかなどは案外分かっていない。

だから,多様に読むことができるであろうその多様性を,みんなで追求しようというのがねらいである。

 

狭間くんは,一定のカテゴリーを用いて,技術に関わる認識を分類した。

そのカテゴリーは,僕が阪田尚彦先生の用いた方法をもとにしてつくった。

最初は,6つぐらいあったのだが,4つにした。

それが,「結果」「課題」「構造・客体」「構造・主体」だ。

これらは,僕のヴィゴツキー理解にもとづいて分類されている。

 

つまり,「呼吸の仕方」は課題であり,「呼吸を○○のようにする」というのが「構造(・客体)」であり,それをやってみて自分の言葉で「こうなった」と書かれているのが「構造・主体」である。

「結果」は,そういった課題や技術的な中身がなく,「泳ぎました」「寒かった」「楽しかった」というような中身である。

 

僕の研究では,3年生と6年生の水泳の授業でとったデータを分類した。

同じ先生が,同じようなグループ学習を行い,それで学年の差を見ようとした。

圧倒的に,6年生の方がよく書けているわけだが,狭間くんの3年生のマット運動の授業では,6年生に負けず劣らずよく書けていた。

 

これは,水泳指導とマット運動指導の違いであろう。

そして,狭間くんは,運動経過を絵にして,そこにポイントを吹き出しで書かせるという方法を用いていたが,これもよかったようだ。

 

実践報告では,系統の話にもなったが,一定の議論を経て,狭間くんが自分が次にやるときにどうしたいのかという話なので,それほど重要ではない(同志会研究としては重要だけどね)。

 

狭間くんの感想文の分析は,子どもの認識を揺り動かすために,指導の順序に関わって何が必要なのかも教えてくれる。

当日,みんながこのブログを見て仕込んでくるといけないので,内容についてはこのぐらいにしておこう。

冬大会当日の報告の仕方,全体の段取りなどはもう少し僕の方でも考えないといけない。

 

でも,内容はとてもよく,いろいろ学ぶことができました。

ぜひ,和歌山の支部研究として膨らませてください。

 

 

 

 

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