体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』11月号№296号 本田亮平実践を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』11月号の本田実践を読みます。

僕は,この方を知らないのですが,そして他にも記事はあるのですが,なぜかこの実践記録を読んで書こうと思いました。

なぜなのかは,書き終わるころに分かると思います。

では,どうぞ。

 

本田実践のタイトルは「『やだやだ』から『もっとやりたい』へ」である。

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最初に,「『できない,やだやだ絶対無理』と怒鳴るような声が教室中に響き渡り,教室は凍りついた」と書かれている。

作文を指導するときに,最初に「」の言葉を書くように指導することが多いようだが,まさにその技法が用いられている。

 

そして,「子ども同士が教え合って,助け合って,辛いこと,悲しいこと,楽しいことを共有・共感していく中で,成長していくのだと思った。こういったことを多く経験させたいと思った」という。

そして,頑張った思い出をつくりたいと思ったところ,子どもたちは「全員逆上がりができるようになりたい」となる。

最初は,25人中,12人が逆上がりができなかった。

2年生の最後の実践である。

 

できない子どもたちを見て,「完全に腕が伸びきってしまう,足の蹴りが弱い,力の入れ方や回る感覚が分からない,などさまざま」であり,どうすればできるようになるのかを,「自分なりに考えた」。

 

「はじめに」,「ねこちゃん体操で力の入れ方を教える」。

「次に」,「前転後転,そしてマットの上で鉄棒のように棒を持たせてまわる」。

「それから」,「腕の力をつける」ために,「グーパーを50回」,「5人チームでの登り棒競争」。

「さらに」,斜め懸垂。

最後に,「足を蹴り上げる力をつける」ために,カメキックとオーバーヘッドボールキックをやった。

 

ここまでで,それまでできなかった子ども12人中6人ができるようになった。

しかし,6人はできない。

そこで,「体育同志会の先生方にアドバイスをもらうことにした」。

 

誰のアドバイスか?由美さんかな?それは,書かれていない。

どんなアドバイスが?

これは6つあった。

 

1つが,擬音(オノマトペ)を使う指導。

これは,9月号の山内さんや僕の原稿にも書いてあることだ。

「手首をかえす」ではなく,「手首をクルッと回す」ということだ。

さらに,足かけ回りでは,「たおれて,カチャッ,ペッタン」という一連の動きを言葉にするということだ。

 

2つ目に,鉄棒のみではなく,ジャングルジムや登り棒などのような遊具を使うことだ。

3つ目は,子ども同士の教え合いの大切さである。

子どもの教え合いでできるようになると,喜びが2倍にも,3倍にもなる。

これは,昨年の冬大会の石井実践でも,子どもの作文に表れていた(『体育科教育』2月号に報告予定)。

 

4つ目に,子どもの言葉を拾う授業。

教師の言葉を子どもがどう子どもに伝えたのか,子どもたちの教え合いで有効な言葉は何かを拾うということである。

5つ目に,場の設定。

鉄棒は高さが決まっているが,それでも高い場合はマットを敷くなどして調整して,高さを子どもにあわせてあげるということだ。

 

最後,6つ目は,うまく伝えられないのだが,鉄棒で「痛い」とか「冷たい」とかにどう対応するかということだ。

鉄棒にクッションを巻くのではなく,膝に古い靴下の先を切ったものをサポーターのようにしてつけるということだが,これは足かけ回りのとき用だ。

 

さて,これらの結果,6人中3人ができるようになったという。

残念ながら,目標は達成できなかった。

それでも,いくつかの成果が見られたという。

その中心は,「できるようになった子と教えていた子のビックリした表情と喜んだ表情」だ。

そして,できるようになった子は,積極的に授業に取り組むことができるようになった,つまり,前向きになったということだ。

ここにこの11月号の特集「できることの価値」があるわけだ。

 

最後に,本田さんは,教師としてこれからも試行錯誤を繰り返して,指導力を向上させていきたいと述べる。

 

若い先生の実践記録だから,試行錯誤をして,実践に臨んだ姿がはっきりと分かる。

そして,若い先生の実践だから,目標に届かなかったともいえる。

 

山内基広さんも,若い頃実践をして,あと2人を残して全員できるようになったと,自信を持って実践報告をしたら,「二人もできなかったのか」といわれてガッカリしたという。

また,山内さんはできないU子ちゃんをできるようにして,「もうこれでやらなくていい」といわれてガッカリしたともいう。

でも,そのガッカリが反転して次へのエネルギーになった。

 

だから,僕も「3人もできなかったのか」というつもりはない。

本田さんのなかには新しい発見もあって,次へのエネルギーが湧いただろうから。

それは,半年たった今実践記録に書いたから湧いたんだよ(ここが重要)。

僕は「全員できるようにしてどうするの?」「子どもを追い立ててかわしそうじゃないの?」という,10年ぐらい前にいわれたシニシズムポストモダン的なこともいわない。

 

グループ学習で子ども同士が教え合い,学びあう中で,教師の指導以上の力を発揮してできるようになること,分かるようになることは,体育同志会の約60年近い成果として蓄積されている。

そして,「わかって,できる」ことで子どもが変わることもだ。

 

今回,この実践を最初に取り上げようと思ったのは,若い方だからなのだが,実践記録を書く難しさが出ていると思ったからだ。

最初の「みんな一緒に成長したい」という部分に書かれているところは,おそらく,実践記録をまとめる最後に思ったことなのではないか。

 

というのも,「教え合って,助け合って」みんなで成長することの大切さを認識したとあるが,次の自分で試行錯誤した前半の実践部分は,教師が子どもに教えているからだ。

後半に来て,体育同志会の先生のアドバイスで,「子ども同士の教え合い」が大切だということを認識したとある。

 

実践記録を書くのは,自分の「授業に対する信念」を確認する,もっと言えば,信念の変化を確認するためにある。

とすれば,この実践での信念の変容はまさに,「子ども同士の教え合い」の大切さであり,それによってできた場合は,できた子も,教えた子も,2倍,3倍嬉しいというところにある(18頁の終わりから19頁)。

さらに,できた子は自信がつくということでもある。

だから,教え合いを組織するために,教師が「わかる」ポイントをよく吟味する必要があるのだ。

 

実践記録を書く難しさは,自分の信念の変化を主題として書くことだが,実践が終わって書く段階で,自分なりの物語となるのだが,その時系列が曖昧になる。

というのも,多くの人は,書いたあとにやりたかったことがわかるのであるが,あたかもそれを実践の前に自分がやりたかったことだと錯覚するからなのだ。

それはそれでよいのだが,この実践記録は,もう一度「自分の変化」というテーマに沿って書き直してみるといいと思う。

 

それと,「できる,できない」だけでなく,できなかった子どもの「出来具合,わかり具合の変化」,感情の変化あるいは揺れ動き,回りの子どもたちとの関係なんかにも目配せしておくとなおいいと思う。

とはいえ,実践記録には書きにくいことかもしれないけどね。

 

若い先生たちが奮闘して,ベテランがそれをサポートするというのはいいですね。

もちろん,ベテランの実践記録もどんどんほしいです。

 

 

 

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