末吉小学校・菊池淨先生のお話5
こんにちは。石田智巳です。
今日は末吉小学校の菊池淨先生のお話です。
前回の4では,踊りの話をしましたが,今日はその続きです。
では,どうぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おどり その3
題 先生は秋田で勉強 みんな夢中
養護の伊勢崎先生は,夏休みに秋田県のわらび座というところへ毎年通いました。
そして日本の踊りを持って帰りました。あとで何人もの先生が秋田まで出かけました。
おかげでみんなたくさんの踊りが踊れるようになりました。
一年生の「カンチョロリン」から始まって、六年生の「御神楽」まで,六年間で18もの踊りを踊るのでした。
「春駒」「ソーラン節」「どだればち」「都南のさんさ」「花笠音頭」「豊年来い来い」「黒石甚句」などです。
教わるみんなは踊れても,教える先生には難しくて覚えきれない踊りがたくさんありました。
教えている途中で、この続きはどうだっけと保健室に駆け込み,伊勢崎先生に笑われたりしました。
でも、どの先生も熱心でしたから、みんなじょうずになりました。
学芸会には毎年同じ踊りが出ました。去年のソーラン節の方がよかったなどと、何年も同じ踊りを楽しむのでした。
六年生の沖山さんと富田さんはとても素敵に「御神楽」を踊りました。
二人が扇子をヒラヒラさせながら踊ると、ふたりの体が大きく見えました。
二人はみんなのあこがれでした。民舞クラブは三年生から入れましたが,練習が終わると,
いつの間にか二年生が踊っていたりするのでした。夢中になるっていいことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
体育同志会が1970年代には,夏の全国大会を秋田で開催して,わらび座の方に踊りを習ったという話は聞いたことがある。
それにしても,一人の先生が(しかも養護教諭が),毎年かよって教えてもらったというのはすごいと思う。
後には他の先生方も習いに行くのであるが,まずはある先生が習いに行って学んだことを学校の先生に伝えるのだ。
想像すればわかると思うが,こと踊りに関してのみそうしていたというわけではないだろう。
つまり,他の先生は他の研究会で他の教科の指導法を学びにいって,同じようにその成果をみんなで共有していたと考えるのが自然だ。
前回の話は群馬のリズム表現に学んだという話だった。
堀江邦昭先生が,「こりゃあ,なんかあるぜえ」といったリズム表現だ。
ある学年は毎年同じ踊りを踊ったというのもいいね。
同じ踊りを踊るということは,教える教師の力量の問題もあるだろうが,どれだけ末吉小学校に教え方が定着し,洗練されていったのかを毎年の踊りの中に見ることができるということだ。
さて,菊池先生の話には,かならず固有名が出てくる。
系統性指導や授業研究は科学を志向したため,誰がやっても,どの子どもがやっても同じような結果が出ることが求められる(こともあった)。
実証的な科学をベースにすることはこの時代の特徴であろう。
この実証的な態度を徹底したのが,法則化運動(今のTOSS)だといってよい。
実証科学的であって,どの教師がやっても,どの子どもがやっても同じような成果が出るというのは,理想のように聞こえるが,おそらく今の人が聞いたら違和感を覚えるであろう(聞きようによっては)。
だってこれは工学のメタファーだから。
いってみれば,機械のように危険率を少なくして大きな成果を上げるということだ。
教えてうまくすることがいけないといっているのではない。
そうではなくて,今は構造主義的な思考が無意識的にでも多くの人たちにある。
つまり,子どもの生育歴や家庭環境,競争的な社会の影響と子どもがセットで語られることが多くなってきた。
そうなると,一方で,フーコーが指摘したような,「人と違う」そのことに名前がつけられ,それらがカタログ化され,そういった子どもが教室から排除される可能性もある。
しかし,一生懸命子どもを見ながら実践をして,記録に子どものことが書かれるというのは,教育実践は単純に科学で成り立っているのではないということを教えてくれる。
日曜日に見た「下町ロケット」でも,バルブの研磨を機械任せにしないで,最後は人が磨くことで乱反射の少ないより精度の高いものができること,つまり,製作の現場でも人が関わることの大切さが主題化されていた。
教育実践も同じで,やっぱり「誰がやっても」と考えることによる陥穽もあるのだろう。
そこを実践家が自覚的であること,それが佐藤学さんのいう「専門家であって,職人である」ということなのだろう。
そして,その自覚度がわかるのが,実践記録なのでしょう。
やはり教育実践では,実践記録と,そこに書かれるナラティヴが大切なのだと思います。
教育実践には,科学も含めた物語が大切ということです。