体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

末吉小学校・菊池淨先生のお話4

こんにちは。石田智巳です。

 

実は,菊池先生からはいくつかメールをいただき,昔のお話をいろいろ教えてもらっていたのですが,こちらの方で消化し切れていないということもありまして,かなりタイムラグができてしまいました。

このブログではよくあるのですが,書いておいてしばらくほおっておくと,季節的にも時宜的(?)にも,新鮮さがなくなってしまうものもあります。

 

この昔話は,いただいたものの,書いていなかったので,書いて載せることにしました。

お話は,あといくつか送ってくださいました。

また,折々に紹介したいと思います。

では,どうぞ。

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題 おどりその1ー無口な子もチョウになるリズム表現

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体育に表現という時間があって、おどりやダンスを勉強することになっています。
でもたいてい運動会や学芸会に踊りを踊っておしまいにしてしまいます。
私たちもレコードを買って,説明書を見ながら教えてすませていました。
先生の間から、どうして、普通の授業ではやらないのだろうと声がでました。
それは,先生達が踊りを知らないからだという話になりました。
それであちこち勉強をしに行きました。
 
音楽の福田先生が、音楽に合わせて自分で踊るリズム表現を勉強してきました。
でも先生の説明では,誰も分かりません。それでみんなを福田先生にあずけて
他の先生は芝日に座っていました。
ピアノがなって、めいめいが自分で動いています。
「ねえ、あのたまみちゃん、いつもとかわってみえない?」
そこにはいつも無口で目を伏せているたまみちゃんではないたまみちゃんがいました。
音楽になってひらひらとチョウのように踊っていました。姿が話していました。
 
「そうだね。みえるみえる。」
「いつもよりうんと明るいよ。」
「こりゃ、なんかあるぜえ」
堀江先生が大きな声を出しました。
 
題 おどり その2ー「かげふみ」表現 自分もしらない新しい姿を発見
 
一年生から六年生まで、リズム表現をしました。みんなチョウやトンボやウマになりました。
だれ一人として同じにはなりません。
「かげふみ」という二人でやる表現では、校庭のあちこちにできるポーズにみとれるのでした。
 
とくに二年生のひろしくんが動き出すと校庭がしんとしました。
「青い月が出た・影を踏めば鬼」と小走りにでてポーズをとります。ひろしくんは、いったん
背伸びをして、つつーとでます。その時の気持ちでコマのように回ったり、
ふんわりとつま先立ちしたりして進みます。横に広げた腕の先は、ゆったりと風に乗っていました。
そして、おわりにぴたっとポーズを決めるのです。もう一人の子が「みんなおいでじゃんけんかげふみをしましょ」とひろしくんのところへいきます。
そして、ひろしくんの作ったポーズの中で、ひろしくんの目を見ます。
 
その時,二人の気持ちが流れてふわっと広がります。
みんな自分も知らない自分に合うことが出来るようになりました。
ほんのみじかいじかんだけれど、みんながはっと息をのむようなすばらしさを見せてくれるのでした
「今日の◎◎ちゃん、よかったねえ。」
職員室で話す先生達も,新しく出会った姿のおかげで、うんと優しくなりました。
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僕は,踊りについては詳しくない。
理屈は少しわかるが,それでも体育同志会の先生方の話を聞いている程度だ。
体育同志会では,ダンスと舞踊に別れて議論しているが,舞踊の方が人気があるようだ。
でも,舞踊の課題は,踊りを知っている教師が子どもたちに「お師匠さん方式」で教えるところを脱して,以下に子どもたちのグループ学習にさせるかというところにある。
ただ,ここにはジレンマがあって,というのは昔の農民の踊りを題材とするならば,大切にされるのは今の子どもの動きよりも,その農民の動きの方だから。
 
明治になって国策で,かつての動きであるナンバは破壊させられた。
それは軍隊での行進のため。
この農民の動きは,原初生産方式である水田農耕に由来する。
そうでなくても,着物を着て,下駄や雪駄を履いて歩くのに相応しい歩き方は,今の腕を振って足を上げる行進ではない。
 
着物から洋服へ,畳から椅子へ,様々な環境の変化に動きも合わさってようやく昔の動きを駆逐することに成功した。
しかし,その今はなき動きを子どもに求めることになる。
そうなると,自由に創作するというわけにはいかない。
 
そういう観点から見ると,リズム表現(リズム構成)は,個々人のイメージを大切にするところに特徴がある。
踊りの学習というのは難しくて,人間は喜びや感謝の気持ちを表現するときに踊った。
それは,自発的に踊るのだ。
しかし,踊らなくてはならないとなると,当然,踊るのが嫌だという子も出てくる。
それは,意味もわからず踊らされるからかもしれない。
 
しかし,リズム表現(リズム構成)は,自分のイメージを大切にする。
もちろん,イメージの指導は入る。
しかし,統一した動きを要求しない。
堀江さんが「こりゃ,なんかあるぜえ」というのもわかるような気がする。
 
しかし,僕は2回しかリズム表現(リズム構成)の映像を見たことがない。
だから,そのイメージがあっているのかどうかはわからない。
それでも,子どもたちのことを考えて教える人たちがいたということだ。
 
菊池先生のお話はまた紹介します。
 

 

 

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