末吉小学校・菊池淨先生のお話3
こんにちは。石田智巳です。
今日は,またまた八丈島の菊池淨先生から面白いお話を聞かせてもらいましたので,その話です。
こういうお話を聞くと,体育って何だろう,学校教育って何だろうって考えさせられます。
今日は,器械運動の話です。
菊池先生のお話をまず載せます。
では,どうぞ。
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題 マット運動ー芝生の上で側転,後転。馬やアザラシになって
サンパウロ日本人学校一年三組の話です。
学校の周りはほとんど芝生でした。
マット運動は教室のまわりの芝生おマットのかわりにしてやりました。
芝生を転がって体にあたる小石をとりました。
十時間もたつと自分の場所がきまり、体が芝生にあって土までやわらかくなったように思いました。
それにつかれたとき、ねっころがっていると,芝生のにおいがして雲が動いて空が高くていい気持ちでした。
馬になったりアザラシになったりトンボになったりチョウになったりしました。
ふたりでかげふみをしておたがいポーズがきまってにっこりしました。
なかまで足をくみあわせ、「でーきたできた。らかんさんができた」歌いながら回りました。
そしてみんなでわらいころげました。
後ろまわりや前まわりは丘からころがって、上手になりました。
ブラジルでは大人も子どももいっしょにフェスタ(パーティ)をします。
滝さんはブラジル人にまねかれた席で、なにかするように言われました。
滝さんはすっと出て行くと大理石の床の上で側転をしました。
白いドレスがふんわりとひろがってそのみごとなこと。
はっと息を飲み、やがて拍手がわいたとおかあさんの手紙にありました。
大きくてゆったりした滝さんの側転の合うくつの色は何色かなと思いました。
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こういう話を読むと,体育同志会も教えることについてばかり考えてきたということがわかる。
おそらく,上の世代の人たちは菊池先生のような発想でされていた方もおられたのだろう。
しかし,いつの間にかそういった子どもたちの学びが捨象されて,教える中味と方法のみが伝承されてきたように思える。
僕らが実践に関する議論でよく耳にしたのは,なんでこの教材だったの?という話。
子どもたちが分析されて,教材が選ばれるのだけど,話を聞く限り,この子どもたちには○○を教えるよりも,△△を教えた方がいいんじゃないの?というような言い方。
今は,学力重視でお尻を叩かれるので,ますます子どもの学びの内実に光が当たらないというジレンマを抱えていることになる。
昔と今では,時代が違うのでしょうか。