体育同志会の実践研究についての覚え書き7-新たな教材研究の可能性とは2
こんにちは。石田智巳です。
本当にとびとびで,しかも,一昨日は例によってくどくど書いてしまって,結局,最後までたどり着けませんでした。
でも,いいんです。
ブログは,論文を書くのと違って,まとまった中味を載せるのではなく,思考の過程がわかるように書いているのですから。
いつもいうように,何となく書きたいことがあるのですが,書いてみないとそれがわからないのです。
昨日の場合は,ようやくわかりかけたのですが,そこに至るまでに約3000字もかかってしまいました。
今日は,書きたいところへストレートにいきたいところです。
では,どうぞ。
写真は,なおこの写真は家族旅行で訪れた高島市のマキノというところにあるメタセコイアの並木道。
昔僕の出身の大学に森戸道路というのがあって,そこもメタセコイアが植わっていた。
中内敏夫さんの「リアリズム一元論」は,文化と子どもをいかに一元的に統一するのかという原理を示したものである。
この考え方で,ドル平泳法がよくできた教材であることを,前々回は示した。
前回は,しかし,日本の60年代以降の「陶冶」は教科で,「訓育」は教科外で,という図式が本当によかったのかどうかということを書いた。
「本当によかったのか?」という修辞疑問文は,当然「よくなかった」という答えが導き出されることになる。
それは,科学信仰が人を幸せにしてきたのかを問えばわかる。
原爆も,原発も,公害も,そうではないか。
でも,これももともとは人々のため,平和のため,資源の有効利用のため,日本の発展のためなどどいう大義名分が与えられていた。
じゃあどうしたらいいのか?
そんなことは僕にはわからない。
というのでは,無責任だし,ここまで引っ張ってそれか!とお叱りを受けそうだ。
だから,考え方を示しておきたい。
そこに登場するのが,「リアリズム一元論」と「教科内容研究」である。
まず「リアリズム一元論」である。
これは,文化と子どもをつなぐ方法論であった。
泳ぐという「客体としての技術」と,泳げるという「主体である子どもの技能」をつなぐ論理がドル平にあった。
というか,リアリズム一元論でドル平を読み解くことができた。
これを,「泳ぐ」「泳げる」だけではなくて,「子どもの現実に迫る運動文化の学習」というとわかったような気になるだろうか。
ここで「子どもの現実」をどう見るのかが問題になる。
「キラキラした純粋な目をした無垢な子ども」
「貧困にあえぐ子ども」
いろいろある。
しかし,ここは何の工夫もなく,ただ,授業で子どもたちにスポーツをぶつけたときに起こることを観察すればよい。
もちろん,そんなことは実際にはなかなかできない。
前の大学にいたときに,そういう状況の授業をビデオで見たことがある。
それは,たまたま学生がボランティアに行っていて,卒論のために体育授業のビデオを撮らしてもらったのだ。
バスケットボールの授業と跳び箱の授業で,ビデオに映っていたのは,恐ろしい光景だった。
けんかしている子,泣いている子,従事しない子どもたちなどなど。
もちろん,一生懸命やっている子どももいる。
一生懸命やってうまい子もいえば,へたな子もいる。
かなりアナーキーだったが,これはものすごく特殊な事態ではないと思う。
先生がいてこうだったのだから,先生がいなければ・・・・。
ホッブスいう「万人の万人に対するの戦争」のようなものだ。
今だったら,この中からどうやって本音を出させながら,合意形成を目指すのか,そしてやりたい授業をつくっていくのかが,目指すべき点になるだろう。
文化の側に近づけさせるというよりも,子どもたちのやりたいことに文化を従わせるのだ。
このときに,ドル平泳法や2:0から始めるボール運動もありかもしれない。
そして,例えば山内明治さんの「全員見学の水泳の授業」や,平野さんの定時制高校での取り組みのように,典型的な教材とグループ学習が有効な場合もあるだろう。
しかし,それは教材のレベルとは違う味付けが実践そのものにあったから可能になったのではないか。
そもそも,子どもと教材の出合わせ方というのは,そう簡単なものではないだろう。
若い人が,体育同志会の実践を学んだとしても,うまくいかないのは「教材以前」の問題なのかもしれない。
あるいは,ウィルスの再生産論ではないが,そんな教師がうまくしてやろうとする思いを,お節介と捉えて,自己アイデンティティを守るために,反抗する子どももいるかもしれない。
あんまり観念的に空想してもよくない。
震災で傷ついた心を持つ子どもに対して,スポーツから入ることにためらいがあったのが宮城の制野さんだった。
あれは制野さんの直感であり,他の人ならば違う方法をとったかもしれない。
しかし,制野さんは,あえて身体と身体のぶつかりあいを組織したり,みかぐらをやったりして,いわゆる競争を本質に持つスポーツとは違う価値をもって子どもたちにぶつかろうとした。
フットボールの学習も今ではお祭りフットボールとして教材化されているが,制野さんはぶつかり合うそのことに価値を見出して,それをスポーツに当てはめるならば,初期の頃のフットボール,あるいはフットボールの原型にオーバーラップさせたのではないか。
これは,高校分科会がAクイックから入るバレーボールを研究するのに対して,中学校分科会ではカバーから入るバレーボールを研究しようとするのと似ている。
高校分科会は,従来の基礎技術から入る系統に従って,それを今の子どもたちに合うように教材化している。
しかし,カバーから入るバレーボールは,「生徒の必要」から入って教材化されたものといえるだろう。
制野さんの場合も,「生徒の必要」を考えた時に,「身体的な実存の確認」(これは石田が勝手にいっているだけだが)を中心として,それにふさわしい教材あるいは教材化をしたということだと思う。
命あっての物種だからね。
だから,そういう文脈を探り当てたときに,「ぶつかり合いのフットボール」であり,「みかぐら」なのであって,脱文脈して「万能薬」のように用いてもしょうがない。
さて,何となくいいたいことがつながってきたのだが,先に,「子どもの現実に迫る運動文化の学習」という言い方をした。
「みんなをうまくする科学的な指導法や教材」ではなくて,「子どもの現実に迫る教材や指導」とはいかに考えられるのか。
この時に,「子どもの現実」と「教材や指導」をいかにつなぐのかという「リアリズム一元論」の考え方が出てくる。
そして,もう一つ,この二つをつなぐものが,教師によるテーマ設定であり,それを子どもの側と文化の側にある「教科内容」として抽出する作業が必要になると思う。
制野さんの「ぶつかり合い」はまさに,フットボールの歴史をとらえたなかで,子どもの必要に重なる部分があったため,フットボールをそこら辺へ屈折させた=教材化したということなのだと思う。
くどいようだが,僕は80年代の「わかる,できる」実践は有効だと思うが,今の子どもたちにとっては、あるいは、今の若い教師にとっては、それだけでは限界もあるような気がする。
そこに,90年代以降出てきた「教科内容研究」をもう一度「研究方法」の側から整理する必要を感じているのだ。
体育同志会は,運動文化の主体者を形成するという目標を立てていた。
しかし,「みんなが主体者になる」という発想がもつ限界も感じているし,それは以前書いたとおりだ。
運動文化の主体者としてではないかもしれないが,今目の前にあるスポーツで苦しむ子どもたちが授業というその場で,幸せな時間を過ごせるということも大切なような気がする。
それは運動文化論の射程に入らないのだろうか。
いずれにしても,そのためのテーマ設定,教科内容,教材はどうあるべきなのか。
教科内容研究が始まったの頃は,僕はまだ体育同志会に入っていなかった。
その後,「教材で教える中味をさぐる」という言い方で研究がなされていた。
そのときに,なんとなく違和感を覚えたのだが,そのことはあんまりよく覚えていない。
ただ,今思うのだが,次のように言い換えないといけないのではないか。
教科内容研究によって,基礎技術を中心とした教材研究,系統性研究は何が変わるのか?
変わらないのであれば,「わかる,できる」+教養となる。
教科内容研究によって,「わかる,できる」の中味も変わるのではないか。
今回の石井ちゃんの実践記録は,大阪の競争研究との違いを描き出している。
ということで,これを研究の課題にしたいと思います。
僕の。