『戦後の日本の教育と教育学』(かもがわ出版)について
こんにちは。石田智巳です。
今日は,教育科学研究会編『戦後日本の教育と教育学』(かもがわ出版,2014)の紹介です。
先日(ずいぶん前のことです。すみません。),この本のことを書こうと思ったのですが,違う中味を書いてしまいました。
しかも,この記事を書いてからずいぶんと長いこと寝かしておきました。
前にも書いたとおり,いい本というのは,中味のよさもですが,むしろ,それを読むと頭が回転して,ワープロを打つ手がつい滑っていって,あんまり関係のない物語が紡がれてしまう本のことをいうのです(僕にとっては)。
そういう意味では,この本はいい本の条件を満たしています。
でも,そうではない意味でもいい本です。
それについてです。
では,どうぞ。
この教育科学研究会(以下,教科研)の『戦後日本の教育と教育学』は,講座「教育実践と教育学の再生」の別巻である。
僕は,このシリーズの1『子どもの生活世界と子ども理解』を買って読んでいた。
それは,田中孝彦さん(武庫川女子大学)が2013年の体育同志会の全国大会(あわじ大会)で,記念講演をしてくれたのだが,そのときにこの本を買っていたのだった。
しかし,買ったものの読んでいなかった。
で,田中孝彦さんの話を聞いたあとで,読んでみた。
そうしたら,講演の内容と同じ内容が書かれていた。
なかなかいいことが書かれているので,ぜひ読んでみてください。
で,この「別巻」である。
2014年10月に発行されたこの本は,おそらく年が明けて買ったのだと思う。
さすが教科研。
教育学関係者が揃っている。
僕の興味は実践記録にあったが,それ以外も読み応えはある。
僕は,『体育科教育』4月号から1年間,「体育と実践記録」について連載している。
どういうわけだかわからないが,この本を注文して手に取ってみて,びっくり。
去年の夏から勉強していたことが,結構詳しく書いてあったりする。
まさに僕にとっての必読文献だった。
本が僕を呼んだんだと思う。
体育同志会の僕が,実践記録にこだわっているのと同じく,教科研も実践,あるいは実践記録にこだわっていた。
もちろん,教科研は組織的に,僕は個人的にだが。
しかし,実践ベースの教育学を今語らなくてはならないのには,おそらく共通項があるのだろう。
僕は,雑誌『教育』をとっていないので,教科研(戦後は1951年に雑誌『教育』が再刊される)の今の動きは知らない。
購読しなくてはいけないかな。
でも,今の教科研の人よりは,昔の教科研をよく知っていると思う。
自慢にならないけど。
さて,戦後の「実践記録運動」は,教科研が牽引したのだ。
これについては,このブログでも紹介した。
戦後,新教育が始まると,アメリカから輸入された,地域をベースとした生活教育が行われる。
しかし,その生活教育は,子どもの現実の生活を問題にしなかった。
小熊英二さんの言い方では,戦後には第1の戦後と,第2の戦後がある。
第1の戦後は,戦後貧しくなったというときの戦後である。
第2の戦後は,戦後豊かになったというときの戦後である。
それを区切るのが,1955年。
体育同志会の誕生の年。
子どもの現実の生活には,特に田舎には,「貧困」という問題があった。
アメリカ流に「買い物」という単元をやったとしても,買うお金がない,買う場所や物がないといった調子。
その問題点が,段々と指摘されるとともに,綴方復興への動きが起こる。
そして,1950年に日本綴方の会ができ,1951年に無着成恭『山びこ学校』が出る。
この年の11月には,『教育』創刊号が出る。
そのときの特集の一つが,「『山びこ学校』の検討」だったのだ。
そして,1954年に『教育』では,実践記録を特集した臨時増刊号がでる。
教科研の戦後の復活は,どこぞの外国か,大物の教育学者のいう理論を実践するのではなく,実践記録をもとに教育科学を打ち立てることがねらわれていた。
このころは,まだ官とか民とかの区別が明確ではなく(何しろ,コア・カリキュラム連盟,今の日生連なんて,民間文部省といわれていたぐらいだからね),でもアメリカから輸入された生活教育には批判的であった。
その流れ,つまり,外国の理論の翻訳調だったため,体育同志会も教科研から批判を受けたのだった。
この辺は,前にも書いたけど,書いた順番が逆で,こっちの方が先に書かれたのだ。
しかし,『山びこ学校』,生活綴方教育,実践記録という流れを作りながらも,教科研は10年後の1961年に方針を変えていく。
そして,1962年には日本作文の会(日作)も,綴方を国語の中の一領域(作文)に収めていく。
生活指導は,それを専門に研究する団体(つまり,全生研)に譲り渡して,教科研は,教科の指導,教材の研究に向かうようになる。
これはわかると思うけど,1958年の学習指導要領体制の影響だ。
ここら辺は詳しく書かないけど,紆余曲折がありながらも,教科研は,今,「原点」に戻って「現点」のチェックを行っているのだ。
その教科研が満を持して出したのが,この本なのだ。
さすが教科研だと思うのは,教育学関係者の層が厚い。
執筆陣もしっかりしている。
とにかく,教育学,臨床教育学,教育社会学の面々が書いていることもだが,第Ⅱ部は,「戦後教育実践の紹介と批評」ということで,実践記録が16冊紹介されている。
もちろん,『山びこ学校』もある。
『村を育てる学力』もある。
でも,小西健二郎『学級革命』はないね。
佐々木賢太郎『体育の子』もない。
僕は,ほるぷ出版の現代教育選集を持っているが,そこにはあるよ。
で,この本は,戦後教育学の理論と実践がわかるようになっている。
なかでも,いくつか紹介したい論文はあるのだが,ここではしないでおこう。
敢えて言えば,田中昌也(よしや)さんの論文がいい。
教育学には田中という名前が多いのだ・・・・。
京大にもいるでしょ。
うちの委員長も田中。
田中さんには2010年の中間研究集会で話をしてもらったが,僕も含めてその時のみんなの反応はいまいちだった。
それは,学力論だったのだが,学力は個人のものか?という素朴な疑問が出てきたのだった。
体育同志会は,そこから次の年に,学力論と3ともモデルの検討,そして,グループ学習の見直しへと向かった。
しかし,田中さんは,ここでナラティヴの実践を紹介する。
臨床教育学は,ケアとしてのプラクシスを任務(の一つ)とするので,ナラティヴがでてくるのだ。
制野さんのNHKスペシャルに出てくるのも,臨床教育学分野のナラティブ・プラクシスだと思う。
何が書かれているのかは,自分で読んでください。
それではあまりに,冷たいですか?
*3月末に書いた文章です。