教育実習訪問でいろいろ学ぶことができました。
こんにちは。石田智巳です。
今日は,教育実習の訪問指導に行って,学んだ話です。
当たり前なことですが,今さらながら自分は若くないというか,古い世代なんだということを知りました。
では,どうぞ。
今週と来週の水曜日は,教育実習の訪問指導に出かけることになっている。
今回の2校は,中等学校の訪問指導である。
僕は初等課程の教員であると同時に,全学中等の教職課程の授業も担当する。
かつて総合演習という半期ものの授業があったが,今では通年の「学校教育演習」という授業に代わった。
昨年度,3回生時にそれを受けた学生たちの実習である。
うちの大学は割と全国各地から集まってくるので,訪問すべき範囲は結構広い。
しかし,すべての中学校や高等学校を訪問することは不可能に近いため,要請があった場合にはまず応え,それ以外の場合は必要があれば行くというスタンスになる。
今回は姫路にある優秀な高校を訪問した。
考えてみれば,僕の勤務校は偏差値レベルではそれなりの学校だ。
だから,その子たちを排出した高校がそれなりに優秀なのはうなずける。
もちろん,うちの大学は,推薦制度もあるので,ユニークな(勉強以外に得意分野をもつ,やや知的な負荷に弱い)学生も多い。
写真は,姫路駅前の通りの向こうにある姫路城。
今,ブームだそうだ。
梅雨っぽい天気でした。
姫路から電車に乗って出かけると,そこは田んぼあり,山ありの風光明媚な土地である。
勉強に打ち込める環境だ。
生徒たちも落ち着いていたし,とてもやりやすそうな雰囲気で始まった。
授業は,法学部の学生の公民(現代社会)である。
経世済民についての授業だった。
以前,卒業した学生が社会科の先生になって,母校の後輩たちに話をしてくれたことがある。
そのときに,最古の人類の話をしてくれた。
要するに,最古の人類を我々はアウストラロピテクスだと習ったが,歴史がすすむとさらに古い人類(の化石)が発見され,今ではサヘラントロプス・チャデンシスが一番古いのだという。
僕も歴史をかじっているから何となくわかるが,歴史はいつも後の時代に新しく発見される。
だから,歴史そのものが歴史となり,常に見えない耐用年数込みで新たな歴史が発見される。
さて,授業である。
内容は具体的には,財政の仕組み,市場と政府の経済的役割などである。
教科書のコピーを用意していただいたが,それと指導案を見ると,なにやらカタカナが多い。
よく考えると,僕が高校を卒業したのは,1987年の3月。
今との違いはいろいろあるが,あの当時は消費税がなかった。
でも,中曽根首相のもと,税制が大きく変わり,大きな政府が小さな政府へと変わりつつあり,その後,バブル崩壊なのだが,その先もいろいろなことがあった。
だから,僕が習ったことと,今の生徒が習うことは違う。
この授業では,その違いというか,最近の経済の仕組みについての話であり,聞いていて勉強になった。
経済に関わる政策で,日銀が行うのは金融政策で,政府が行うのが財政政策。
財政政策には,①資源配分機能,②所得配分機能,③景気調整機能がある。
この③景気調整機能には二つあって,一つが「ビルト-イン-スタビライザー」でもう一つが,「フィスカルポリシー」だ。
『たのスポ』の原稿を書いているときに,少し前に「ガバナンスとかコンプライアンス」という言葉が登場したというようなことを書いたが,カタカナが増えた。
僕の父親も,カケフさんも,一塁のことをホワストというが,父の世代はついていけていないのだろう。
そして,「政府の役割変化について」が説明される。
これは教科書には載っていない部分だった。
つまり,資本主義の成立期には,資源配分機能さえ行っておけば,神の見えざる手が働いて市場はうまくいくと考えられた。
アダム・スミスの道徳込み込み経済学,古典的経済学だ。
これを,小さな政府,夜警国家という。
しかし,1930年代になるとこれではやっていけなくなる。
そこで,②③が導入された。
では,その頃起こった事件とは?という発問が出た。
さすがは賢い子たち。
「世界恐慌」と即答。
話はここまでだったけど,やっぱり社会科は難しいよね。
というのは,古典派経済学に対して,というよりも,世界恐慌後のアメリカでは,ケインズ経済学をもとにしたニューディーラーたちが,大きめの政府にしたでしょ。
僕の子どもの頃のアメリカのホームドラマとかは,みんな裕福な感じがした。
ところが,80年ごろのイギリスやアメリカの動きがまた小さな政府,新自由主義政策となり,それが日本に中曽根さんの時に入ってくる。
そして,バブル崩壊で,グローバル経済へとすすみ,金融ビッグバンだとか外資の参入だとか,アメリカに国益をもたらすための経済制度を整えていくのだが,そんなやや大きめの物語は語りにくいし,語っても生徒は理解しにくい。
さらに,1930年だ。
日本でいえば,1931年は満州事変の年で,もたざる国日本やイタリアやドイツは,恐慌を受けて,帝国主義的に領土やそこにある資源などを求めて,外に侵略することになった。
つまり,戦争になったわけだけど,そんな話は歴史の話だし,単元に落としこむのは難しい。
でも,そんなつながりも大切だよなと思うのだ。
もう一ついえば,金融政策と財政政策を合わせたら,ポリシー-ミックスというとも書かれていた。
だとすれば,アベノミクスとは何かについても話があってもいいような気がするが,それをすると全く時間がなくなる。
残りの時間は会計の話になって,大蔵省がなくなって,不透明さをなくそうとしたという話になって終わった。
授業を聞いていて思ったのは,こういう公民だとか,現代社会というのは,社会に出る前に,ゆっくり時間をかけて講義を受けたり,討論したりすべきものだということだ。
今の教科書と授業時間では,やや浅めにとにかく教科書の内容を伝達するしかない。
それはそれで仕方がないが,自分が生きることと切りはなされて知識が学ばれるのはもったいない。
財政政策は,増税と社会保障が一体化しているだとかの話にあったが,社会に出て政策によって不利にならないように,まずは今日の授業で出てきた単語やその組み合わせや話の流れを知っておかなければならない。
これは,湯浅誠さんの本などを読んでいたときにも同じことを思ったが,必要な人ほど知識に乏しく,しかも,自己責任を感じやすいということだ。
でも,社会の仕組みを高校でキチンと学んでおけば,そして不利なことがあったときに声を上げる訓練をしておけば,選挙にもいくのではないかな?
と考えるのは短絡的思考という奴だろうか。
子どもの興味関心に応じて授業をつくるとか,わかりやすく丁寧な授業というのは大切です。
でも,大切なことをキチンと伝えるということが,より大切になるとこの授業を見ていて,思いました。