体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 5月号(№291) 雑賀実践を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』の2015年5月号の雑賀梓さんの実践を読みます。

タイトルは,「ベテラン先生の援助を受けながら取り組んだ1・2年生のマット遊びの体育実践」です。

では,どうぞ。

 

最近,忙しくなってきたというのを実感を伴って感じている。

やることが多いのだが,それと行くところも多い。

土曜日は,学会の理事会で高田馬場早稲田大学に行ってきた。

早稲田に行くのは,何年か前にやはり学会のうち合わせで行って以来。

高田馬場駅を下りてから,歩くもちっとも着かない。

ようやく大学の西側の門に入るが,目的地がよくわからない。

敷地の外にマンションのような建物があって,たどり着けたが,開始3分前だった。

 

東京に日帰りというのも疲れるね。

でも,新幹線の中というのは,身動きが取りにくいので,本を読むにはいい環境だ。

往きは,ロラン・バルトを読む。

わかったようなわからないような感じだが,少し頭が回転した。

これは,物語論なので,今やっている連載に関係がある。

 

帰りは,村上春樹論を読んでいたが,なんと,そこにもバルトの名前が出て来た。

よくあることというか,気にしていれば目に着くということだろうね。

そして,寝てから『たのスポ』に目を通す。

以前,渡瀬さんの論考を読んで,ブログに書いたものの,中途半端に終わっていたが,この続きを書こうとは思えなくていた。

それで,次の実践を読むことにした。

 

おおっ,雑賀さんだ。

雑賀というのは,和歌山の名前だ。

雑賀という地名がダイエーのそばにあるし,和歌浦は雑賀崎だ。

雑賀小学校は,和歌浦の反対側にある。

雑賀崎小学校もある。

雑賀孫六という人の話もある。

雑賀さんには,2月の白浜集会のときにお世話になった。

 

雑賀さんの学校は単級の小さな学校で,教職員は「いつも和気藹々」としている集団だそうだ。

実際にそうなんだろうけど,そう思えて書けることがいいね。

おそらく課題はいろいろあるのだろうから。

 

そうしていい雰囲気の学校で,実践に取り組むのだが,そこにいるのが山野さん。

山野さんは,若い先生を乗せていくのがうまいというのか,山野さんに惹かれて体育同志会に来る和歌山支部の方は多い。

山野さんは,和歌山支部を結成するときに中心となった人だが,その前から佐々木賢太郎さんにいろいろ教えられたという。

例会のときも,山野さんは若い人の報告を聞いていて,最後に「細かい課題はあるかもしれないが」といってから,「子どもの見方がいい」,「こういう風にとらえられるところがすごい」,「勉強になる」と必ずほめてくれる。

だから,「よし。やってみよう」となるのだ。

 

雑賀さんは山野さんのサポートを受けながら実践をする。

報告された実践は,1,2年生の「おはなしマット」だ。

僕の授業でも,木曜日に,模擬授業の指導案検討をしていたときに,あるグループが「おはなしマット」をやることになっていて,そこでいろいろ相談を受けた。

 

3人のグループだが,そのうちの一人が「何のためにやるのかよくわからない」といってきた。

いやあ,それはこっちが聞きたいよ。

何のためにやるのかがよくわからなければ,大切なポイントや動物歩きを次にどうつなげるのかわからずに,ただ形をなぞるだけになってしまうよね。

でも,教育実習で,「算数のある単元をなんでやるんですか」とか,「社会科でこれをやる意味がわかりません」とか聞くのですか?とついつい,いってしまう。

しかし,「なんのためにやるのか」は決定的に重要だ。

それも含めて教材研究というのだ。

 

雑賀さんは,目的を二つあげる。

①手で支えての体の保持や,前転,側転につながる動きが習得できるようにする。

②グループ内で技のポイントを見合い,できていたかどうか伝える。

①は技術性に関わって,「手でからだを支える」ということの大切さが,②は組織性に関わって,グループ学習の仕方が,それぞれわかってできることがねらわれる。

②は,1・2年生でどこまでできるのか。

でも,外からの見た目をよくするのではなく,そういう学習になれさせるのだから,方向目標でよいのだろう。

 

1年生が4人なので,グループ編成にも悩んで例会で相談した結果,子どもたちの様子を見て判断することに。

それと,1・2年生の合同なので,やりにくくならないように,他の教科においても合同で取り組む機会を設けて慣れさせていった。

これは,渡瀬論考でも,運動会の縦割りグループで,運動会以外の活動をさせたというのと似ている。

やっぱり,鍵は「参加」なのだろうね。

 

成果と課題には,「ほっこりする雰囲気の中で」と書かれている。

マット運動のイメージって,普通は誰かがやる,終わると次に別の誰かがやるという感じだけど,体育同志会では見ることも大切にするので,必ず関わりをつくる。

ここでも,クマさん歩きから前転になるときに,頭のてっぺんをついて前転してしまうのに対して,スタートのところに子どもをおいてその子を見させることで,自然とあごを引いて後頭部がつけるようになるような工夫をしている。

かかわりがうまくできると,雰囲気がよくなるよね。

 

僕は岨さんに川跳びのときに,手手足足で終わった後に,ペアの人と両手タッチをして,また手手足足で戻るというのを教えてもらって,学生にもやらせてみるが,これだけでもニヤニヤ笑いが出るものだ。

 

低学年でもポイントを見させることで,アドバイスが具体的になってくるという。

少し前に,子どもの感想文を分析する視点として,結果・課題・構造に分けて,自分に引き寄せて構造(技のやり方)を記述しているものほどよいと報告したが,「子どもたちなりに工夫して相手に伝えることができるようになりました」という。

 

課題としては,「ライオンさんがガオー」では,手足を着く順番の理解で終わってしまったところにあるという。

あと,「大股歩き前転」では,「前転に入る前にあげた足をつけずに,足をそのまま後ろへもっていって前転をする」という子どもが5人もいたという。

これは,大学生では見たことがない。

よくあるのは,両足をそろえて前転するというもので,手を遠くについて体を投げ出していく動きにならないので,それは注意をする。

 

雑賀さんは,山野さん以外にも,1年生のベテランの先生からもアドバイスやサポートを受けて取り組めたという。

でも,こういう風にサポートしてもらってできたというのは,ある意味人徳なんだろうね。

村上春樹さんとの対談本のなかで,小澤征爾さんは,「僕は言葉ができないけど,みんなが助けてくれる」ということや,「彼は僕のことが気に入ってくれて,いろいろおせわになった」ということをいっているが,そういう雰囲気をもっているんだろうね。

 

読み終わって思ったのは,そういえば,特集が「職場に広げる『わかる』『できる』体育」だったことだ。

つまり,自分のマット運動の実践記録でもあり,職場でどう広げたのかという実践記録でもある。

だとすると,この実践記録にはもう少し苦労した点とかがほしいところだ。

 

いい雰囲気の教職員,山野さんのサポート,担任の協力,例会でのアドバイスがあって,すんなりと実践ができたという感じがするが,おそらく苦労した場面ももっとあったような気がする。

そこをどう乗り越えたのかなんかが書かれていると,なおいいよね。

でないと,読者の中には,「あなたの職場はいいですね。うちの職場では・・・」となるかもしれないし。

 

しかし,それら全部込みで人徳なのかもしれないのですが。

 

 

 

 

 

 

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