体育同志会の4月四役会議が行われました。
こんにちは。石田智巳です。
雨が降ったりやんだりが続きますね。
昨日は,体育同志会の四役会議が新宿で行われました。
今日はその様子を書きます。
では,どうぞ。
朝は8時過ぎの電車に乗って,京都へ向かい,そこから11時過ぎにつく新幹線に乗る。
新幹線は比較的空いていて,3列ならびの窓側Aに座ったが,となりのBには人は乗ってこなかった。
3月21日の常任委員会のときには,酔って上機嫌のおじさんが大騒ぎだったけど,今回はそんなことなかった。
今回は,研究局としてもややピンチな状況だったので,車内が静かだったのが救いだ。
資料を読むのに,車内花見モードでは困るから。
先週の週末は,大阪でみのお大会の基調提案の検討を行った。
僕としては,大会全体の基調提案の検討もだが,各分科会の基調提案がどうなっているのかが知りたくて,そしてその検討もしておきたかった。
でも,その時集まったメンバーにとってみれば,「それは大阪の仕事ではないよ」という感じ。
それはそうだよね。
そこで,一応,前田さんには,各分科会の大阪の担当者に,出てきた基調提案を読んでもらって,面白そうなものをピックアップしてもらうようにお願いはしておいた。
が,それも難しいのだろう。
僕も5年前に大会づくりをやったからこの時期に忙しいことはよくわかる。
ということで,僕の方でこれまでに届いている基調提案をプリントアウトして,新幹線の中で読むことにした。
体育同志会の夏の大会の分科会は,19分科会ある。
締め切りは3月31日。
見たところ,6分科会しか届いていない。
さきにピンチといったのは,次のことだ。
5月9日は体育同志会60周年記念行事があり,翌10日は中間研究集会。
この集会では,60周年以降の分科会の進む方向性についても大胆に書いてもらうことにしたのだ。
そのなかで,これは全体で共有しておいたほうがいいという内容があれば,それを中間研で出してもらう。
ねらいは,他分科会,あるいは各支部の研究に役立ててもらえれば良いと考えていたのだ。
すべての分科会の内容を紹介するのは難しいだろうが,発達別で1つか2つ,教材別で1つか2つぐらいを選んで話をしてもらうと考えていたのだ。
しかし,中間研まであと1ヶ月を切ったこの時点で,基調提案が6つしか出ていない。
昨日の四役会議以降,中間研までは,常任委員会もないので,ここで案を出して,決定しておかなければならなかったのだ。
ということで,とりあえず6つの分科会の基調提案4頁分を新幹線で読む。
ふむふむ,なかなか面白いではないか。
6つの分科会提案は,さすがに締め切りを守るだけあって,その内容に人格が滲み出ているというのか。
いやいやそれは他の分科会に対して失礼というものだ。
が,そうやってでも褒めておきたい。
いろいろ感心することがあった。
といっているうちに,東京に着く。
そこで,中央線に乗り換えて新宿へ。
新宿では,いつも「福しん」でタンメンを食べる。
数多のラーメン屋には目もくれず,いつもタンメン。
昨日は,トマトタンメン680円。
これはアスパラも入って,イタリアンな見た目。
食べてもうまかった。
事務所には12時ジャストにつく。
やや人の出入りがあって,バタバタしている間,いる人でみのお大会の要項の最終チェックをする。
全員揃ったところで始まる。
最初は事務局から。
各部局の内容とかぶるところもあるが,60周年記念集会,たのスポ問題,予算と人事など。
とりあえず2017年は山梨大会となることに。
次が研究局。
僕が,たいしてないものを,さも練りに練ってあたためた案を押し入れの奥の箱からとりだしたように語る。
今回,新幹線で読んでいて,感心したのがフラッグフットボールの分科会とバスケットボール分科会の基調提案。
これらは,教材別分科会であるが,感心したのは,実技指導の具体的な考え方が非常に具体的に提案されているのだ。
検討するならば,このぐらい具体的な提案の方がいい。
しかも,偶然なのだろうが,同じような2つのキーワードでそれぞれの提案がなされているのだ。
あんまりいわない方がいいのだろうが,1つは目線。
もう一つは空間。
目線といえば,器械運動や水泳などで重視されるが,ボール運動(球技)で目線ってあんまりいわないでしょ。
これはぜひ験してみたいところだ。
もう一つは空間なのだが,ここではオフェンスはディフェンスから味方を守るのではなく空間を守るという考え方,ディフェンスをかわすというよりも,空間を広げるという考え方だった。
これはわかりにくいね。
それでも,ここまで具体的に書かれていれば(イメージしにくい嫌いはあるが),すぐに授業で験せそうなのだ。
しかも,おさえるべきポイントまでも示されている。
フラフトでいえば,昨日のブログに書いたように,「2対2のランプレーをやる」というのでは教える中味はみえない。
「2対2のランプレー」は,ガード役が,ボールを持っているオフェンス(QB)が通れる空間を相手ディフェンスから守ることが大切(これが課題)。
難しいのは,ガード役はQBよりも前にいるので,QBが視界に入らないから,どこにいるのがわからないこと(つまずきのもと)。
だから・・・・,というようにポイントが示されているのだ。
う~ん,マンダム。
四役会議での提案の1つは,このように,教えるべき内容が,課題,つまずき,それを乗り越えるポイントとして示されているもの,しかも新たな提案の形式となっているものを取りだして紹介していくということ。
それと併せて,最近体育同志会では,お祭フットボールのような実践が提案されている。
戦術行動を教えるのか,理屈抜きにわいわい楽しめる部分を扱うのか,これらをどう考えるのか。
もう一つは,みのお大会の基調提案検討の後にブログに書いたが,子どもの見方やとらえ方についてだ。
これは,高校分科会の基調提案を読んでいて,頭が回転した。
2003年に,体育同志会版の「教育課程試案」が出た。
そこでは,たとえば,高校生の発達課題として,①他者との折り合いの付け方,②環境や平和などグローバルな視点からヒューマニズムを自らの生活課題の延長線上に位置づけることのできる力を養う,という2点が書かれている。
課題が出てくるというのは,そうはなっていない現実と,その目があるという現実があって,出て来たのだと思う。
だとすれば,今現在の子どもたちがどうなっているのかということを出し合うのだ。
とはいえ,単に出し合うだけでは能がない。
というか,単に出し合うだけでは,子どものおかしさやひどさ自慢のようになる可能性がある。
だから,そうではなくて,そういう子どもたちがいるなかで,実践をやったときに子どもが事実としてどう変わったのか,それが教材の持つ力,グループ学習の力なのかどうか。
そして,ここが重要なのだが,そのことによってどんな子ども観が立ち上がったのか。
「困った子が,一番困っている」
「どの子もみんなわかるようになりたい,できるようになりたいと思っている」
というような出来合いの言葉,二次的な語りではなく,体育実践によって開花された子どもの可能性の事実を,事後的にどう見たのかについて,一次的な語り(実践の事実)で交流したいのだ。
実践は個別的で,限定的だ。
だから,それがそのまま別のクラスや別の子どもにあてはまるというようなナイーヴな(ねぼけた)話をしているのではない。
なぜ4月にマットやリレーをやるのかも含めて,教材とグループ学習と子どもの様子のナラティヴを出し合う。
そして,夏の分科会では,そういった観点から子どものとらえ方と,教材の可能性について,検討してもらえるといいと思うのだ。
四役会議では,いろいろ意見をいただいた。
意見が出るのは嬉しいのだが,まとまっていないので,研究局でも検討が必要だ。
そのあと,出版経営,編集委員会の報告と提案。
最後に人事。
じっ,じんじ!
ということで,宿題がまた増えました。