またまたナラティヴの話-よい歯医者とは?
こんにちは。石田智巳です。
今日もまたナラティヴの話です。
よい歯医者と悪い歯医者の違いです。
ここだけを読んで,はは~んと思った人はいないでしょうが,その違いを考えてみてください。
では,どうぞ。
このブログを始めた頃に,「何やってるの!」とは子どもにいってはいけない言葉だということを書いた(子どもに言ってはいけない言葉「何やってるの!」)。
それは,ベイトソンのダブルバインド理論に乗っかると,大人と子どものような非対称な関係において,子どもがどう答えても叱られるような仕組みになっているからだ。
非対称でなければ,「何やってるの?」は,単なる質問である。
非対称な関係において「何やっているの!」は,「そんなことやってはいけないことが分からないのか」となる。
「わかる」と答えれば,「分かっているのに何でするんだ」となる。
「わからない」といえば,「そんなことも分からないのか」となる。
「なんでそんなことをしたの!」というのも同じで,子どもがなにか言うと,「言い訳するな」といわれてしまう。
自分が訊いておいて,それはないでしょ。
で,ここには抜け道がない。
これは,学校の先生と子どもの会話でもそうだろう。
僕もよくいってしまう。
子どもの側に抜け道があればいいのだ。
じゃあどんな場合?
となると具体的な問題状況が思い浮かばないが,一昨日も書いたような,いけてる自分の物語を立ち上げるようにしていけばいいのだ。
それは,簡単なことではないが。
でもこのことを考えていて,ふっと頭に去来するものがあった。
何だろうと思って,本を手にとってパラパラとめくってみる。
あれ,ない。
歯医者の話なんだけど,これは(も)内田樹さんの本で読んだと思ったけど,違った。
違ったのは,思ってた本と違ったということだ。
僕が思っていたのは,『街場のメディア論』(光文社新書,2010)だったので,それを手に取ってみたら違った。
でも,歯医者の話が出てくる。
ところが,これは入れ歯の話だ。
惜しい。
まあいいや。
授業でもする話だ。
どういう話かというと,まさにナラティヴアプローチにつながる歯医者の話。
歯医者に行くときは,虫歯が痛むとか,歯が抜けたとか,折れたとか,詰め物がとれたとか,嫌な思いをするからいくのが普通だと思う。
で,まず嫌な思いがあって,歯医者に行くと次のようにいわれた。
といった話。
「あ~あ~。
こんなになるまで放っておいて。
毎日ちゃんと歯磨きしているの?
もっと歯を大切にしなさいよ。
こんなひどい虫歯は自業自得なんだよ。」
ここまでの人はいないだろうが,これは嫌な歯医者だね。
嫌な思いをしたのに,歯医者に行ってまた嫌みを言われて,また嫌な思いをする。
治療で痛い思いもするし。
お金も取られるし(当たり前だが)。
学校でも子どもにここまで嫌みっぽくなくても,同じようにいうことあるでしょ?
認めると嫌な先生になるので認めにくいのだが。
僕はいってしまうのだ。
そこで,よい歯医者はなんというか?
例としては,以下の通り。
「ああ,ここに虫歯がありますね。
この虫歯が暴れているんですね。
痛かったでしょう。
でも大丈夫ですよ。
この歯を治療すれば,痛みはなくなりますから。」
というような話。
これも,ナラティヴ・アプローチに近いでしょ。
あなたではなくて,虫歯を主語にして語ってもらえれば,免責される。
抜け道がちゃんと用意されている。
日本では,かんの虫といったりして,暴れているのはその子ではなく,かんの虫がその子をして暴れさせるというように,主語を変えることができることがあるようだ。
他の言語はわからないが。
子どもたちを叱る場合も,こういう観点は必要なのだろうし,そういう実践を心がけている人もいるのだろう。
おそらく。
僕は,あの人のあの事例もそうなんではないかなと思ったりするが,丁寧に読むことが必要になるので,まだ書けない。
こういう事例があったら,教えてください。