体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

走り幅跳び実践の系譜 制野実践の手前

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,日本の走り幅跳び実践の系譜の4回目です。

佐々木賢太郎さん,塚田実さん,加藤敬三さんという3人の実践家からバトンパスを受けたのは,体育同志会宮城支部の制野俊弘さんです。

 

またキチンと紹介しますが,制野さんから先日電話がありました。

NHKスペシャルで制野さんの1年間の取り組みが放送されるとのことでした。

最初,3月28日か29日かといっていたのですが,NHKスペシャルを調べると日曜日に放送されているので,29日だと思いました。

 

そうしたら,以下のようにメールが回ってきましたので,紹介します。

「私が取り組んできた「命の授業」が2015年3月29日の夜9時からNHKスペシャルで放送される予定です。

震災を通して命の問題を子どもたちが考えるのですが,実は命の問題は震災以外でも深刻で,いじめ,不登校,親の離婚,戦争,貧困などにも触れられていきます。

長期取材の総集編ですのでぜひご覧下さい。

また,知り合いの方々にもお知らせください。制野」

 

ぜひお知らせください。

 

実は,制野さんこそ,佐々木賢太郎さんの後継者というか,佐々木さんの実践を正統的に受け継いでいるなあと感じるのです。

その理由は,はっきりとこのメールの文言に表れています。

佐々木さんの体育の基底は,「生命を守る体育」なのです。

これは,僕の論文「佐々木賢太郎の『生命を守る体育』について」(『体育学研究』51巻3号,2006)で考察しています。

 

書き出しがうまくいきませんでしたが,このまま続けます。

では,どうぞ。

 

日本の生活綴方の実践は,社会の矛盾がからだ(身体や精神,考え方)や生活に表れるので,そこに気づかせ,社会変革を図ろうとしていた。

もちろん,社会変革と簡単に言うけど,それが成功したとは言えないし,そんな簡単なものではない。

しかし,社会の矛盾に気づかせるということ,そして紀南の言い方でいえば,「共通の運命観」を育てるということは,矛盾を抱えるのはその子の自己責任ではないことを教え,手を取り合って立ち向かうことを教えるものであった。

社会の構造を変えないと,からだ(身体と精神,考え方)も変わらないという構造主義的な見方をしていた。

 

制野さんの見方もまさにその伝統を受け継いでいる。

むしろ,戦後の綴方が,あるいは日本の教育そのものが,60年代に入って社会との結節点を探る努力を怠るようになってきた。

社会と教育から,発達と教育へと転換していくのだ。

社会が均質化していき,貧乏や貧困が目につかなくなるから。

 

そのなかで,50年代の綴方教師に学んだ実践家たちは,子どもを単に発達の対象と見るだけではなく,地域,生活,社会と子どもという視点を崩さないで守り続けている。

そして子どもを見て,子どものことを書くから,子どものことが見えるようになり,その背後の生活や社会との関係も見えるようになる。

 

さて,話は長くなりそうなのだが,僕は敢えて『たのしい体育・スポーツ』1.2月合併号にある制野さんの「我が実践を語る」について触れないできた。

簡単に批評できるものではないから。

逡巡しているうちに,2月も終わりになってきて,走り幅跳びの実践の系譜を書き始めたときに,ちょうど関連づけて書こうと思っていた。

 

ところが,走り幅跳びの実践は1日1つずつとなって,途中,ランニングの記録,白浜集会,関近ブロック集会,トニー谷の話などを挟んで,ちっとも書けなかった。

本当は,制野さんの話は,2月8日の和歌山の白浜集会のときの話の続きとして書こうと思っていたのに。

 

これは,さっさとすませるが(本当か?),僕は白浜集会で佐々木さんの話をした最後に,制野さんの「こんにちは!パウエル君」「子育て日記」に学ぼうと述べた。

「こんにちは!パウエル君」はまさにこれから(いつだ?)取り上げようとする走り幅跳びの実践だ。

「子育て日記」は,綴方教師である制野さんの,学級通信や作文とならんで,子どもを捉える1つの,そしてとても重要な媒体である。

中味は紹介しないが,佐々木さんも同じようなことをやっていた。

 

で,その集会の場に,高田さんという女性がおられた。

食事のときに話を聞いたら,高田さんはダンプ園長の娘さんだった。

制野さんのことを知っているというか,家族みたいなものだ。

高田さんは,受験のときに制野さんがうちに来て騒いで,うるさかったとかいっていた。

でもものすごく気遣いされる方で,みんなで飲んでいるときも,酎ハイを何本も持ってきてくれて,アテもたくさん用意してくれた。

そして,チーズを韓国のりで巻いたものを作ってくださり,みなさんに手渡ししていた。

 

笠原さんとの再会もだが,こういう邂逅はなんだか嬉しいものだ。

東北という地が東北人に与える厳しさが,まるでユダヤ教の神がユダヤ人に与える試練のように,苛烈であった。

そして,震災というカタストロフというか阿鼻叫喚の巷に耐えてきたからこそ,人に優しくなれるのだろうか。

このことを書きたかったのだが,うまくはまらずに放置しておいた。

 

で,今から制野さんの実践にいくのか?

もう2千字越えた。

 

「たのスポ」1.2月合併号の「地域の生活にねざし,文化研究に基づいた,みんなでつくる実践」には,制野さんの実践史が書かれている。

実践史の前に,影響を与えた矢部さん,中村さん,ダンプ園長,久保さん,中森さん,佐々木さん,出原さん等からの影響が書かれている。

 

そして,制野さんの実践史は3期に分かれている。

最初が,1989年から2003年まで(1期)。

次が,2003年から2011年まで(2期)。

そして,現在まで(3期)。

 

1期が「子どもの能力観や技術観,人間観,学習観を変革することによって,子どもに文化を問い直す主体,文化変革の主体に相応しい力を育てようと考えていた」(たのスポ,p.41)。

それ自体が,無理なく,実践も本当に素晴らしい。

その中に,「パウエル君」も位置づく。

 

しかし,制野さんは,そこからスポーツ・運動文化そのものを学習することの意味の問い直しを行う。

それが2期。

これは,まさに中村敏雄さんが,系統性研究の成果で出てきて,うまくすることができるようになってきたまさにその時に,「うまくしてどうする」といったことに似ている。

いつもいうのだが,うまくすることができる人にこの問いを発する権利がある。

できない人が問うと,単なるニヒリズムシニシズムになる。

 

2007年の冬大会で,リレーの実践を報告してくれたが,あのときに競争性とカーニバル性という2つの捉えが出てきた。

そのあと,フットボール研究が行われる。

そして,震災。

 

それにしても,震災の年の秋に,授業を見せてもらったのだが,バレーボールの授業の時間中,ずっっっと,サッカーの話を熱く語っていたのが印象的だ。

ここから,制野さんは,地域や生活というかつての50年代の綴方教師たちの捉えていた視座を得る。

とはいえ,僕は制野さんもまた,当初の佐々木さんのように,あるいは中村さんのように,「スポーツを教えることそのものの意味」が見失われてしまうのではないかと危惧をした。

それが,子どもたちにどんな意味があるのかを,クールに,そしてリアルに問うからだ。

 

が,秋に東京であったときに,すごい構想を聞いて心配が杞憂だったとも思った。

そのすごい構想が,かつての同志会的な生活体育構想であり,それは長野の小山さんの体育カリキュラムに学んだカリキュラムであった。

これは,是非読んでほしいし,5月に発行予定の『運動文化研究』32号にも載る予定だ。

 

「最後に」のところで,制野さんはこの実践史を「力不足」という。

そんなことは全く思わない。

しかし,それはもしかしたら研究者の仕事なのかもしれない。

例えば,「ライフヒストリー研究」という分野があるが,それは語りを意味づける研究である。

制野さんの実践が変容するのは,事実としての子どもの生活や震災などがあるだろうが,おそらく語りが変容することに他ならないのであり,それは,教育,学校,体育,スポーツ,子ども,生活,地域,社会を語る言葉が変容するということである。

 

パウエル君はどこ行った?

 

明日で2月は終わりです。

 

 

 

 

 

 

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