体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

走り幅跳び実践の系譜 加藤実践を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日も,走り幅跳びの実践の系譜として,加藤敬三さんという方の実践記録を読みます。

走り幅跳びで教える内容は,踏み切りに関わる技術や文化などが中心になるのですが,走り幅跳びの文化について語られる実践です。

では,どうぞ。

 

ここまで走り幅跳びの実践として,佐々木賢太郎さんの実践記録と,塚田実さんの実践記録について読んできた。

佐々木さんの実践記録の特徴は二つあって,一つは,踏み切り線に足が合う合わないという事実を目に見える形で提示するために,歩幅をはかったことである。

もう一つは,「踏み切り線を支配するという形式から,自分の走り幅跳びという内容を作る」という考え方で授業を進めていったということである。

 

この「形式から内容へ」という考え方に異論を唱えたのが,塚田実さんであった。

塚田さんの実践は,逆に,「内容から形式へ」と進んでいく。

日本の芸能でいえば,「型から形へ」(佐々木さん)と「形から型へ」(塚田さん)となるのだろうか。

「形から型へ」というのは聞いたことがないけど。

 

さて,踏み切り線が大切なのは両者に共通していたが,走り幅跳びを文化として捉えたときに,技術以外に何を教えることが可能なのだろうか。

こういった問いを発してスタートしたのが,加藤さんの実践である。

よく読めば加藤さんが問いを発したわけではないが。

初出は,『体育科教育』1975年7.8月号であり,中森孜郎編『保健体育の授業』(大修館書店,1979)にも掲載されている。

 

加藤さんは,この実践をするまで,走り幅跳びを教える意味を感じておらず,「大嫌いな教材」となっていたという。

しかし,サークル(宮城保体研)で走り幅跳びに取り組むことになり,討論をしていたら次の意見が出されたという。

 

「古代の生活を考えてみると,人間が生きていくためには野山をかけめぐり,小川を跳び,石などを投げて獲物をとった。

つまり,歩く,走る,投げる,跳ぶがそのまま生命を維持することであった。

跳ぶことについて言えば,外敵を追いかけ,あるいは追いかけられ谷に川を跳びこえる,っして,その踏み切る地点を一歩あやまれば,それは死をも意味していた。

今はルール化された踏み切り線はが実は深い大切な意味を持っている(中森孜郎)」(久保健『体育科教育講義 資料集』212頁)。

 

なるほど。

人間の生活というか労働がまだその肉体に基盤があった頃,文化としての運動というよりも,労働そのものとしての身体運動を指していっているのだ。

という意味では,労働文化というのか?

そうではなく,生きるそのこと=労働=運動であったということだ。

だから,走り幅跳びという形式化された文化の手前にある,文化の原初形態というのか。

難しいな。

それも文化,あれも文化となってしまう。

 

文化鍋,文化包丁,文化住宅,運動文化。

と,かつて体育同志会も揶揄されたようだ。

 

さて,実践であるが,加藤さんは二つの目標を立てる。

(イ)踏み切り線の意味を意識した助走,無理のない助走をしよう。

(ロ)踏み切り線に足を合わせた助走をしよう。

これは,技術的な目標であるが,それ以外の目標は書かれていない。

敢えて言えば,「踏み切り線の意味を意識した助走」になる。

 

1時間目は,「これから学ぶことへの心構え」となっているが,要するにオリエンテーションであり,子どもたちの走り幅跳びの思いやねがい等を聞き取って,計画を立てていく時間だ。

2時間目と3時間目は,助走の方法と助走距離。

そして,4時間目と5時間目。

小川を利用しての助走,踏み切りの把握」とある。

 

以前,宮城の制野さんと話していたときに,「中森先生は,田んぼとかでやらない幅跳びなんて本物じゃないという」といっていたことを覚えている。

綴方と結んだ教育は,貧困とそれをどう乗り越えるのかがテーマにあり,働くことが好きになるような教育がなされていた。

ただ,その後,高度経済成長によって,貧困や貧乏という問題が可視化されなくなっていく。

だって,2006年の流行語に「格差社会」が,2007年には「子どもの貧困」が話題になるぐらいなんだから。

でも,学校教育において労働へのリスペクトは,実践のされた70年代の半ばにも残っていた。

 

さて,川跳びの時間には,加藤さんは子どもたちとの会話のやりとりの中で,さきの獲物に追いかけられたときに逃げるという話をしている。

つまり,「死を意味する踏み切り」の話をする。

そして,実際に川へ行く。

 

そして跳ぶ。

なお,「走路はヒザ以上の高さまで草がはえており,走りにくい。川は田んぼへ水を運ぶため,あふれんばかりの流れである」(215頁)。

子どもたちを跳ばしてみたあとで,「踏み切り線がない方がいい」と言っていた子どもに訊くと,「あった方がいい」と答える。

という実践だ。

 

踏み切りが持っていた意味を教えるために,川が出てきた。

今ではできないだろうなあ。

PTAがうるさいザマスからね。

中間研究集会のときに,宮城のダンプ園長がかつての映像を見せてくれたが,どろんこ遊びをやったり,自然と格闘するシーンが見られた。

その系譜とも言えるのかな。

 

「たのしい体育」シリーズでは,川幅跳びが紹介されている。

体育館に踏み切り線を描いて,その向こうが川で,その向こうにマットを近いところから段々遠くになるように並べてそこで跳ばせるのだ。

岨さんの実践だったかでは,川にワニのオモチャがおいてあったような気がするが,それはどこで見たのだろうか。

 

ところで,中村敏雄さんが「学校体育は何を教える教科であるか」(『体育科教育』1971年8月号)で,教える中味を「技術(の科学),組織,歴史」といった。

そして,中村さんはスポーツの歴史に取り組んでこられた。

そのときは,1人だったのではないかな。

1人でないにせよ,少なかったと思うし,それが体育実践(実技)と関わっていたかどうかはわからない。

 

そういう意味では,勝手に同じ時系列に載せるのはまずいのかもしれないが,この実践は,運動文化の歴史にあたるとも読める。

もちろん,先述のように「労働文化の歴史」とも読める。

ここら辺が,教科研の中森さんらしさでもある。

そして,実技と絡まっている。

 

体育同志会が歴史を実技で取り上げたものに,例えば,ハードル走の技術史の変遷を子どもの出来具合の違いに見立てた石谷実践がある。

丸山さんのバレーボールの歴史の追体験学習もある。

これらは,体育同志会の実践でもあるが,丸山さんのお師匠さんの佐藤裕先生(僕の先生でもある)の『体育教材学序説』に出てくる考え方だ。

 

もっと前には,やはり佐々木賢太郎さんの歴史を教えるという発想もあった(1952年)が,これは講義形式だった。

 

さて,次回はいよいよ最後の幅跳び実践です。

実は,この実践をした人のことも書きたかったのですが,もう2月も終わりですね。

ということは,「たのしい体育・スポーツ」も3月号が届くではないか。

これはいけない。

『たのスポ』1.2月号の中味を書こうとねばっていたら,こんなことになってしまいました。

 

よくあることですが。

 

 

 

 

 

 

 

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