学校体育研究同志会 関西近畿ブロック集会の開催
こんにちは。石田智巳です。
2月21日と22日は,体育同志会の関西近畿ブロック集会が開催されました。
場所は,滋賀県の瀬田にあるアーブ滋賀(滋賀県青年会館)です。
1日目の様子をお送りします。
では,どうぞ。
21日の土曜日は,朝大学にいってから滋賀へ行こうと思っていた。
ところが,車を車検に出していて,それを取りに行かなくてはならなかった。
朝10時にならないと,車は引き取れない。
だから,大学に行くことをあきらめた。
車を受け取って,そのまま滋賀に向かう。
奈良からだとナビでは,京奈和自動車道で城陽までいって,降りてそのまままっすぐ行くと,京滋バイパスに出るので,それに乗っていくことになる。
しかし,京奈和自動車道は前は朝300円で乗れたのに,今は600円かかる。
だから,そこは避けて,木津川の東側の道を通っていくことにした。
そして,しばらく行くと右に曲がれと指令が出る。
その通りに曲がると,山の中へ入っていく。
結局,下道,裏道を通って,予定とは全く違う南から攻めることになった。
高速料金は0円だった。
ラッキー。
途中で,新福菜館があったので,そこで黒いラーメンと黒いチャーハンの小を食べる。
久しぶりに食べたが,うまかった。
ここのは麺が少し違うようだ。
会場に入ると,ちょうど始まったところだった。
最初に,関近ブロック長の狭間さんの挨拶。
新聞記事をもとに,「一番科学的な体育が,一番非科学的という現状がある」という話があり,やはり体育同志会の出番だという話。
続いて,主管の滋賀支部より澤さんの話。
関近ブロックの全国に対して果たしている役割の大きさを強調されていた。
本当にそうだよな,と思う。
そして集会の趣旨と今集会の基調報告が,岨さんより語られた。
岨さんは,このために「同志会ニュース」をたぐって,組織や研究に関わる内容を引っ張ってきて,資料をつくってくれた。
なかでも,同志会の組織論に触れながら,関近ブロックの歴史やその発展について,
この集会の進め方について語られた。
そして,各支部の沿革というのか,支部結成からの推移消長が語られた。
基本は若い先生が,支部の初期のメンバーへの聞き取りや,今のベテランに教えてもらって報告してくれた。
滋賀は,今のメンバーがなぜ体育同志会に集まってくるのかについて。
和歌山は,佐々木賢太郎さんの話から今のことへ。
兵庫は,その時々の研究のことから,今の実践記録を書くことまで。
大阪も,「体育の理科」から,そのときどきの全国の研究と組織に学びながら,支部独自の研究内容を設定して,組織も原則的にやってきたことが。
それぞれ語られた。
そして,最後は京都支部。
京都支部は塩貝さんが,原稿を全く無視して語ってくれた。
というか,塩貝さんの言いたかったことはいろいろあったのだが,僕は,支部の独自性や色も大切だけど,「個人加盟の全国組織」のことだと受け止めた。
全国の事務局もされた塩貝さんは,かなり視野が広い。
あと,「だれかが寄り添って受け止めて,苦労してその役をやるのか,これが必要」ということが,岨さん,大宮さん,塩貝さんなどのベテランから語られたが,本当にそうだ。
結局,勉強できることも大切だけど,居場所があるということがまず大切なのだろうな。
それと,記録を残すということは大切だと思った。
記録が残っているからこそ,振り返ってそのときどきにあったことを総括できるのだ。
そうそう。
滋賀支部から、爆弾が投げられた。
委員長がいなかったのだが、ここに書いていいのだろうか?
さて、1月に行われた関東集会では,各支部の歩みと実践について語られたが,どんな実践作りをやっているのかもあわせて語られても面白いと思った。
今更だけど。
なんと珍しく,夕方の5時に終わってしまった。
考えてみたら,僕は集会や大会に出ると,つくる側だから,いつも資料を用意したり,司会をしたり,終わっても会議をしたりして忙しくしていた。
しかし,この集会はまったくない。
5時に終わり。
ということで,走りに行くことにした。
ちょうど,ラン友の狭間くん(彼は教え子でもある)も走るということで,一緒に出かける。
瀬田川沿いなので,河川敷を走れば信号にかからずにすむと思ったら,すぐに琵琶湖があるではないか。
ということで,琵琶湖に向かってというか途中から琵琶湖沿いに走り,近江大橋を渡って,反対側を走って戻る。
写真は,反対側の瀬田の唐橋(翌朝)。
僕のガーミンでは,8.2キロ。
狭間くんのスマホでは,8.5キロ。
その差300m。
何となく思うのは,奈良マラソンの時に,970mで1キロを表示していたことと関係があるのではないか。
川に弱いか?ガーミン。
それにしても,2人で走るのは初めてだけど、いい感じだった。
景色もね。
風呂に入って,夕飯。
そして,8時から交流会。
これがなかなか,趣向がこらされていた。
例えば,映像のあるクイズが用意されたりしていて,なかなか盛り上がった。
支部対抗のコーラの一気のみ選手権があった。
優勝者はなんと,最高齢の原先生だった。
やっぱりアメリカが好きだったのだろう。
ちなみに,僕はトリスと炭酸水をもっていった。
会場にはコップもなければ氷もない。
湯飲みで作って飲む。
しかし,好評で結構すぐになくなった。
夜も遅くなってきたら,滋賀の会員外の方が来られた。
今日は,別の研究会が近くで行われていたようだ。
前に僕のブログに登場してくれた滋賀の石垣さんが来られた。
次の日も来てくれて,書かれたものをいただいた。
ブログをやるといいこともある。
で,アサヒさんという方に,アサヒという焼酎を持ってきてくれたようだ。
このアサヒは,大学の先輩(寮の隣の住人)のおじさんが作っている会社だそうで,当時,寮でのみながら,鹿児島に電話をかけて,よく送ってもらった。
木箱で大学に届くのだ。
すごい話だが。
で,アサヒさんが自己紹介のようにアサヒを注ぐ。
クリアアサヒもありました。
僕は12時頃に布団を敷いて寝ました。
翌日は,各支部の若手によるシンポジウムというか放言。
すごくリアルな内容が語られた。
特に女性の方の話は,身につまされるものがあった。
というか,それを聞きながらワープロのキーをたたいているところ。
すごくいい話になったが,ここには書きません。